”海軍記念日” | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

今日、五月二十七日は、「海軍記念日」だ。
明治三十八年(一九〇五年)五月二十七日、
対馬沖で東郷平八郎率いる我が連合艦隊が、
ロジェストウェンスキー率いるロシア帝国のバルチック艦隊主力に
回復不能の壊滅的な打撃を与え我が帝国の存立を確保した。
この日がなければ、
現在の我々は日本人として生まれてくることはなかった。
バルチック艦隊の戦艦オリヨールの水兵であった
ノビコフ・プリボイは、
対馬海峡に近づく五月二十七日の未明のことを、
次のように書いている(同人著「ツシマ、バルチック艦隊の潰滅」)。

航程すでに一万八千浬、
後わずか三日で、ウラジオストックへ辿り着く。
だが、その間の長く思われたことは今までにない。
その母国の土をみるには、
われわれにとって恐ろしい死の関門、
「対馬」海峡を通過しなければならないのだ!

他方、我が連合艦隊の水兵達は、
プリボイのように自分が国に帰れるかどうかではなく、
この一戦に負ければ日本は無くなると全員が知っており
まなじりを決して武者震いしてバルチック艦隊を待ち構えた。
そして、勝った。

陸戦における同様の日は、
明治三十八年三月十日の奉天会戦勝利の日だ。
この日、奉天会戦において我が軍が敗北していたら、
海戦におけると同様に
我が国家は存続不能つまり滅亡だったろう。
よって、この日は「陸軍記念日」だ。

現在、
歴史を取り戻す為に、
明治天皇の御誕生日である十一月三日を
「明治の日」とする国民運動が拡がっている。
我々は、是非、何としてでも
「明治の日」を実現しなければならない。
そして、
「明治の日」と
「陸軍記念日」及び「海軍記念日」は
不可分であると知らねばならない。

私は、二〇〇五年五月二十七日の
日本海海戦百周年の二年前から、
昨年の二〇一九年五月二十七日まで、
毎年五月二十七日には、
対馬北端の海戦海域を眺めることができる殿崎の丘で行われる
日本海海戦の顕彰と慰霊の集会に出席してきた。
しかし、
本年は、武漢ウイルスにより中止となった。

そこで、言っておくが、
武漢ウイルス禍は、
秋頃に第二波が来て再び世界を覆う可能性大である。
第二波が本年後半に襲ってくれば、
来年の東京オリンピックは、その時点で無くなる。
緊急事態宣言が解除されたと安心するのは禁物だ。
前にも指摘したが、
我が国におけるPCR検査数は欧米諸国と比べて極端に少ない。
そして、この武漢ウイルスの特徴は、
感染しても潜伏期間が長く、
その間、発症しなくとも他人に感染させてしまうことである。
従って、実際の感染者数は、
厚生省が、今、把握している感染者の10倍か20倍か誰にも分からない。つまり、今は、
海面上の氷山を眺めているだけで、
海面下の氷山を誰も観ていないのだ。
従って、緊急事態宣言が解除されても、
それは、政府の貧弱な調査結果を前提にした解除であるから
決して油断してはならない。