日本はゆっくりと凡庸になっていく。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 
【野口裕之の軍事情勢】

中国の代弁者に堕ちたシンガポール。


アジア安全保障会議で基調演説するシンガポールのリー・シェンロン首相。龍ににらまれたカエルのごとく中国を弁護し、見苦しかった=2015年5月29日、シンガポール(AP)

 中国は華人の血を引く「親戚筋」を反日同盟の正式メンバーに引き込み始めた。シンガポール。2002年以来14回、毎年かの地で開かれるアジア安全保障会議(シャングリラ対話)はある意味、中国の「増長史」を刻んできた。ただ、5月末の安保会議に集まった各国国防相らは中国の傲岸無礼に加え、ヘビならぬ龍に睨まれたカエルを絵に描いたごとき気概なき宰相の見苦しい姿を目の当たりにしたはず。シンガポールのリー・シェンロン(李顯龍)首相(63)は国際秩序をかき乱す中国を露骨に弁護し、国際法を守る日本を罵ったのだ。

 脅されるまま、中国に向かう危険な漂流に兆候は有った。国土面積が東京23区並みのシンガポールは、軍事的抗堪性/縦深性の限界から台湾に国軍を駐屯させている。攻撃された後の反撃や長射程兵器・戦闘機の演習域確保が難しいためだ。ところが2014年、中国人民解放軍の、あろうことか台湾侵攻を担任する南京軍区と合同演習を行った。大東亜戦争(1941~45年)時に華人の抗日拠点と化したシンガポールが先祖返りし、中国と軍事連携するのなら、わが国の輸入原油の9割が通航するマラッカ海峡への影響がゼロとはいえまい。

アジア安保会議での醜態

 シェンロン氏の基調演説は酷かった。南シナ海の8平方キロという途方もない面積を埋め立て軍事基地を建設する中国を擁護。ベトナムやフィリピンの資源探査・開発を念頭に、他国も採掘・埋め立てをして軍事プレゼンスを強めていると訴えた。中国の埋め立て規模や狙いに目をつぶる“知恵”を働かせたつもりの演説は、無理筋の分惨めだった。米国と海洋権益を折半せんとする中国提唱の「新型大国関係」にも、太平洋は2大国を受けいれる十分な広さを持つ-と主張する中国に賛同。返す刀で、対日非難を、中国の常套表現で“再生”してみせた。

 「過去の過ちを認め、日本国民は右翼の学者・政治家の非常識な歴史歪曲をはっきりと拒否すべきだ」

 反日の素地は感じていた。シェンロン氏は靖国神社を首相として参拝した小泉純一郎氏(73)に対し「日本が占領した国に悪い記憶を思い起こさせる/戦犯をあがめる対象にすべきではない」と、既に説教を垂れていた。父のリー・クアンユー初代首相(李光耀/1923~2015年)も他の多くのアジア指導者とは違い、大日本帝國による植民地解放の側面を評価しなかった。クアンユー氏が2008年に披露した歪んだ中国観も、経済発展には政治的安定が必要だとして、国民の政治参加を激しく制限する開発独裁国の指導者を地で行った。

「一部国家指導者は中国の人権・チベット問題を理由に、北京五輪開会式をボイコットすると圧力をかけるが全く根拠がない/西側のチベット観はロマンチックな理想郷だが、中国にとっては封建社会・後進地域。中国はチベット支配後、身分制度や農奴を廃止し、病院・学校や道路・鉄道・空港を造り生活水準を向上させてきた」

南京軍区と合同演習

 華人のリー父子が親中反日でも不思議はないが、シェンロン氏の場合、首相就任直前の04年、私的に台湾を訪れた際「重大な結果を招く」と警告した中国に恐れおののき翌月、台湾独立を支持しない旨を強調した“前科”が有る。台湾独立政策を進めた陳水扁総統(当時)の招待を含み、25回も訪台したクアンユー氏と比べると貫禄の差は歴然。

 3月のクアンユー氏没後、中国がシェンロン氏の「軽さ」を見逃さず、5月の安保会議での親中反日演説を強要したとすれば、その狡猾さにはゾッとする。もっとも、シェンロン氏が中国の磁場に引き寄せられ始めたと小欄が確信したのは14年。70人規模ながら陸軍歩兵部隊を中国軍南京軍区に2回派遣し、山岳戦に関する実動・指揮所演習などを行ったのである。09・10両年、中国・広州で両軍は対テロ治安維持合同訓練を実施してはいるが、14年は外国軍との正規戦を想定した演習で本質が相当異なる。しかも、南京軍区は台湾侵攻を担任する。信頼醸成目的の軍事交流といえないばかりか、中国⇔シンガポールの情報交換次第で台湾は危機に陥る。シンガポール軍は台湾の地形・国防網に知悉しているためだ。

 クアンユー氏は自国と同じ「華人の小さな島国」台湾の蒋介石総統(1887~1975年)に1974年、軍事訓練実現を打診。75年以来、90年の国交断絶を経て尚、シンガポールは歩兵/ミサイルを含む砲兵/戦車など機甲といった陸軍部隊や空軍を、数千人規模で少なくとも台湾の3カ所に分散配置し、演習を継続している。《星光計画》と呼ばれる暗黙の軍事同盟だ。

抗日拠点に戻るのか

 一方で国交断絶以降、多言語国家シンガポールは中国語の使用を拡充し、中国・蘇州に大規模工業団地を建設するなど対中貿易・投資促進を加速。ASEAN(東南アジア諸国連合)と中国の協議枠を創る橋渡しまで買って出た。

 シンガポールは、というより中台交渉の仲介さえするクアンユー氏は、中台バランスもテコに国際での地位を高めてきたやに見える。が、シンガポールの正体はもともと親中で、台湾は中国に自らを高く売り込む駒だったのではないか。確かに、シンガポールの姿勢は、経済的魅力に取り憑かれた日本や欧米諸国が中国に群がる光景と大差ない。しかし、的確な国際情勢判断をするクアンユー氏は生前、不気味な予告をした。

 「台湾は中国の核心的利益でも、米国にとっては違う。中国は戦争を起こし負けても、勝つまで戦い続ける/中国は西太平洋覇権で最終的に(対米日)優位に立つ/中台統一は時間の問題に過ぎぬ」

 以上が、長男シェンロン氏では中国に互していく才も胆力もないと見抜いたクアンユー氏の「遺言」だったとしたら、中国の代弁者と成り果てたシェンロン氏の言動に得心がいく。

 「遺言」は、欧米兵器で鎧われたシンガポール軍が、中国の呼び掛け通り台湾から中国・海南島へ移駐先を変える悪夢で第一幕を終える。そういえば、日本に向けた「遺言」もあった。

 「日本はゆっくりと凡庸になっていく」

 第二幕以降、シンガポールは戦中同様、華人の抗日拠点に戻っていくのだろうか。

(政治部専門委員 野口裕之(のぐち・ひろゆき)/SANKEI EXPRESS

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