産経ウェスト
「今度こそいい結果を」「帰る日まで生きられるか」
期待と不安に揺れる有本恵子さんの母
有本恵子さんの帰国を願う支援者から送られた千羽鶴のそばで、日朝会議の進展に期待を寄せる母親の嘉代子さん=1日午前10時25分、神戸市長田区(頼光和弘撮影)
全面解決への扉は開かれるのか。日本人拉致被害者や拉致の可能性が排除できない特定失踪(しっそう)者らの安否をめぐる日朝政府間協議が1日、中国・北京で始まった。「全面的な再調査実施」の発表から1カ月余り。解決を望む世論の高まりを肌で感じる家族らは、「今度こそ」と期待を膨らませる一方で、「あの子が帰るまで生きていられるのか」と不安を募らせる。直前にミサイルを発射するという暴挙に出た北朝鮮。協議の行方は予断を許さない。
「政府は生存を前提に調査や交渉に当たって、恵子を生きて返してほしい」
神戸市出身の拉致被害者、有本恵子さん=拉致当時(23)=の母、嘉代子さん(88)はこの日、同市長田区の自宅で再調査に望みを託した。
有本さんが英国に留学中の昭和58年に行方不明になってからすでに31年の歳月が刻まれた。同じ欧州で失踪した石岡亨さん=同(22)=と平壌で暮らしているとの消息が失踪5年後に寄せられたが、平成14年の日朝首脳会談で北朝鮮は、有本さんら8人の拉致被害者が「死亡した」と説明した。だが、北朝鮮が提出した有本さんの死亡確認書は生年月日が違っており、その後生存情報も寄せられた。
そんな「嘘だらけの国」に、嘉代子さんのやり切れなさは募るばかり。日朝協議直前の6月29日には、日本海側に短距離弾道ミサイルを発射し、国際社会を挑発した。「この時期にミサイルを飛ばすなんて、本当によく分からない。今回きちんとした結果を出すまでは、信用できるものなど何もない」と怒りを込める。
解決を信じている…
食糧難とされる北朝鮮で暮らす娘の身を案じて毎食欠かさず「陰膳(かげぜん)」をし、茶碗(ちゃわん)にご飯をよそって食卓に並べる。「向こうでしっかり食べて元気でいて」と願いながら、娘の帰りをひたすら待ち続けた。だが、拉致被害者の家族は齢を重ね、日朝首脳会談から進展がないまま12年近くが経過した。嘉代子さんも1月に米寿を迎え、最近は歩くのにつえが必要になった。有本さんの父、明弘さん(85)も体調を崩すことがある。「恵子が帰るまでに2人とも生きていられるか、そればかり頭によぎる」という。
だからこそ、今回にかける思いは強い。「これで解決しなかったら、もうあきらめるしかない。絶対に解決してくれると信じている」