【解答乱麻】
産経ニュース
校内人事から何が見えるか 元高校校長・一止羊大
学校運営に関わる現場の最高責任者は、言うまでもなく校長である。この極めて当たり前のことがわが国の少なからぬ公立小・中・高等学校で蔑(ないがし)ろにされてきた。
学校教育法は「校長は校務をつかさどり、所属職員を監督する」と定め、校長の包括的な職務権限を明確にしている。教職員に学級担任や教務主任等を任命して学校を円滑に運営するのは、校長の基本的な職務であり責任なのだが、問題が指摘された学校では、校長の権限が蹂躙(じゅうりん)され、教職員が実質的に校内人事を決めていたのだ。
このようなことが、なぜ長い間半ば公然と繰り返されてきたのか。教員たちの間に、自分たちの立場がどういうものであるかについての度し難い無理解があり、その無理解に、何事も話し合いで決めなければ民主的ではないとする学校現場特有のエセ民主主義が重なった結果であることは間違いない。現在はどうかわからないが、かつて養護学校(特別支援学校)では、校内人事どころか学校管理規則で教委が任命すると定められている「部主事」でさえ、実質的に教員が選んでいた。
自分の職務を実質上放棄し、教職員が決めた人事を追認してことを済ませてきた校長の責任は重大で、責められて当然である。「みんなで決める方がスムーズで、問題があるとは思わなかった」と語った元校長もいたそうだから、その責任感の希薄さは救いがたいほどだと言わなければならない。
とはいえ、校長ばかりを責めても解決しないところに、この問題の真の深刻さがある。報道によれば、大阪市教委は「(教職員が決めた校内人事内規を)無視して校長が人事を決めればいい」との認識を示したそうだが、教職員が決めたことを校長は簡単に無視できるものではない。そのようなことをすれば、教員から激しい反発を受け、学校運営が行き詰まることは、国旗・国歌問題でも証明済みである。自殺にまで追い込まれた校長がいたことを市教委は忘れてしまったのだろうか。
市教委は「教員の理解を得ながら進めた方がいい」として対応を校長に任せたそうだが、その結果はどうであったか。校長が、教員の主張を抑えて自分で人事を決めたところ、教員たちの強い反発を受けて関係が悪化し、案の定、教員と保護者から「独断的な学校運営」と責められた。ところが、校長を支えるべき教委は、教員たちの行動を問題視するのではなく、なんと校長の更迭を検討する構えを見せたのである。校長にだけ責任を負わせ、トカゲの尻尾切りよろしく逃げを打つ教委の醜い姿が浮かび上がってくるではないか。
この記事を読んだとき、校長時代の辛(つら)い記憶が鮮明に甦(よみがえ)って、私は背筋に悪寒が走るのを覚えた。職員会議の多数決を盾に教職員が国旗・国歌の指導に激しく抵抗したとき、私は、大阪府教委の指示を受けながら職員会議の決定を容認せず、国旗・国歌の指導の徹底を図ったが、教員からは「独裁者」「民主主義の破壊者」などと罵倒され、保護者の一部からも「指導力のない校長」と指弾されて学校運営が行き詰まった。そのときに府教委が私に対してとった対応は今回の市教委と全く同質のもので、私ははしごを外されてしまった。14年も前のことだが、教委のしていることは、府と市の違いはあるとはいえ、昔も今も変わってはいないようである。
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【プロフィル】一止羊大
いちとめ・よしひろ (ペンネーム)大阪府の公立高校長など歴任。著書に『学校の先生が国を滅ぼす』など。