トモダチよ、7年後に再会を。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 








被災地で助け合いの精神教わった。


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「トモダチ作戦」に参加した米空軍兵士たち。左からリチャード・ジョーンズ曹長、アンドリュー・ケリー2等軍曹、ギャビン・ジョンソン大尉、ブランドン・ライス大尉、クリストファー・ウィルソン1等軍曹 =沖縄県の米空軍嘉手納基地




■作戦参加の米兵士「未来必ず開ける」

 東日本大震災で在日米軍が展開した救援活動「オペレーション・トモダチ(トモダチ作戦)」で被災地を支援した米空軍兵士が任期を終え、次々と日本を離れている。救援任務にあたった米空軍嘉手納基地(沖縄県)の第33救難中隊では残り4人となり、年内にさらに2人が本国や世界の駐留地に赴く。10日は昭和39年の東京五輪の開会式から49年にあたる。最後に日本を去る兵士たちは、「復興五輪」を掲げる2020年東京五輪開催を喜び、「7年後にまた日本に戻ってきたい」と語った。

 救難ヘリ「HH60」のパイロット、ブランドン・ライス大尉(28)は「助けに向かった被災地で、日本人から助け合いの精神を教わった。その感動は今も忘れられない」と語る。

 「100人 SOS 水」。平成23年3月の震災直後、交通が寸断された地域や離島を捜索し、支援物資を届けるのが任務だった。被災地沿岸の道路に書かれた「SOS」の文字に、支援の手がなかなか届いていないと実感した。

 上空からは、ガソリンスタンドに向かって延びる長い車列の脇で、じっと順番を待っている被災者の姿が見えた。未曽有の災害を経験したにもかかわらず、ゆるがない日本人の気概。「あの秩序だった光景に感銘を受けた」と振り返る。


避難所に支援物資を届けると、被災者から「自分たちは大丈夫だから、必要なところに持って行ってほしい」と頭を下げられた。ブランドン大尉は「この助け合いの精神があれば、日本は必ず復興する。そう信じている」と力を込めた。

 9月28日に離任したブランドン大尉に続き、年内に日本を離れることが決まったアンドリュー・ケリー2等軍曹(33)は、被災地の過酷な現実を目の当たりにしただけに、「あれほどの大災害に直面しながら、オリンピックが開催されるまでに日本が立ち直ったことに驚いた」と話す。

 「復興五輪」を掲げる2020年の東京五輪では、震災の被災地も熱戦の舞台となる。宮城県利府町(りふちょう)の宮城スタジアムでサッカー1次リーグの一部の試合が行われる予定だ。

 「日本人が困難に立ち向かう姿勢に感銘を受けた。これまでの努力に敬意を表したい」。こう語るのは、来年6月に日本を離れる予定の航空整備士、リチャード・ジョーンズ曹長(36)。「7年後、東京五輪のサッカーの試合を見に、家族を連れて日本に戻ってくるのが夢だ」という。

 米空軍によると、兵士の任期は独身者が2年、家族同伴の場合で3年が原則だ。震災から2年半がたち、作戦に参加した約2万4500人の隊員の多くが日本を離れたことになる。

特例で任期を延長され、再来年3月、最後に日本をたつ装備担当のクリストファー・ウィルソン1等軍曹(31)はこう語る。

 「日本の人々が復興に向けて力を合わす姿を見てきた。その努力があれば、未来につながる道は必ず開けるはずだ」

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【用語解説】トモダチ作戦

 平成23年3月11日の東日本大震災を受け、在日米軍が行った人道支援・災害救援活動。米軍の作戦名に「オペレーション・トモダチ」と名付けられた。在日米軍司令部などによると、作戦には約2万4500人が参加し、艦船24隻、航空機189機が投入された。自衛隊と連携し、震災直後から孤立していた被災地に食料や医療品などの支援物資を輸送。行方不明者の捜索やがれきの撤去作業にも尽力した。