未来を担う子供達のために。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





ねず様のブログ・ねずさんのひとりごと より。




貧しくとも



皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

小泉八雲といえば、有名なのが「耳なし芳一」「むじな」「ろくろ首」「雪女」等々の作品です。
これらのお話は、流暢な英語の文章に載せられて全世界に紹介されました。

小泉八雲は、ギリシャ生まれのアイルランド人作家です。
彼は、深く日本を愛し、日本人の持つ深い精神性を持った民話を取材し、小説に仕立てて全世界に紹介し、ついには日本に帰化して日本人となりました。

その小泉八雲が、明治27(1894)年に、熊本で講演を行っています。
タイトルは、「極東の将来」です。
その中で彼は、以下のように述べています。



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諸君は動物学で、絶滅した動物について読んだことがあると思います。

かつて、敵を恐れる必要がないほど強く、また暑さ・寒さ・干ばつなどによって滅ぼされることのないほど恵まれた、驚くべき動物がこの地球上に存在しました。

けれど彼らは消滅しました。
地球は、彼等を養うことを拒否したのです。

人間も動物と同じような運命を辿るかもしれません。
生活費が余りにも高いというだけの理由で、滅亡する民族が出てくるかもしれない。

私は、「日本の貧困は強みである」という固い信念をあえて述べたいと思います。
裕福は将来、弱体化する原因になりうるからです。

日本も、その危険があります。
なぜなら日本は、古来からある、簡素で、健全で、自然で、節度ある誠実な生活を捨て去る危険性があるからです。

私は日本がその質素さを保ち続ける間は強いであろうと思います。
けれどもし、日本が舶来の贅沢志向を取り入れるとすれば、日本は衰退していくことでしょう。

極東の賢人である孔子も、孟子も、ブッダも、みんな「贅沢を避けて、ごく普通の楽しみと知的娯楽に必要なもので満足することこそ、民の強さと幸せのために重要である」と説きました。

将来、日本が偉大な国になるかどうかは、すなわち素朴、善良、質素なものを愛して、生活での無用な贅沢と浪費を嫌悪する心をいかにして持ち続けるかどうかにかかっているのだと、私は強く申し上げたいのです。
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小泉八雲は、日本人に「貧しいままでいなさい」と言っているのではありません。
たとえどんなに豊かになったとしても、日本人に古くからある「素朴、善良、質素なものを愛する心を失わないでほしい」と言っています。

最近、スマホのアプリで、全巻無料「新・ナニワ金融道」というマンガを読むことができます。
https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.co.manga.sinnaniwa.reader

無料というのでダウンロードし、電車の行き帰りに読んでみました。
私もかつては金融マンであり、債権管理にも携わっていたことから、たいへん興味深く、おもしろく読ませていただきました。

このマンガは、お読みになられた方も多いかと思いますが、金融屋と呼ばれる高利貸しが、ありとあらゆる方法を使って、カネを得て行く物語です。
読んでて、なるほどと思ったのは、要するにこのマンガに描かれている者たちの感覚というのは、善良な日本人を食い物にする在日朝鮮人たちの物語である、ということです。

特にこの「新・ナニワ金融道」の11巻以降は、終戦後から高度成長が始まる前までの在日朝鮮人の生態や、マインドがそのまま描かれています。
それは、明らかに、日本人とは異質なものと思いました。

貧しさの中で、とにかくカネを得て、自分が人の上に立とうとする。
そのためにありとあらゆる方法を使う。
相手を嵌め、貶め、すべてを奪い尽くしてでも上にのぼろうとする。

這い上がろうとする、その根性は見上げたものがあります。
けれど、日本人と違うのは、彼らのその「這い上がろうとする根性」が、どこまでも「自己の利益のためだけにある」という点です。

それは日本人の感覚ではありません。

東日本大震災においても、また、終戦直後の焼け野原においても、日本人は、すべてを失った貧しさの中で何をしたかというと、「みんなで力を合わせて、この苦難を乗り切ろう。そのために自分がみんなのためにすこしでも役立とう」と考え、行動しました。

困っているから、苦しいから、たいへんだからこそ、みんなで手を取り合って笑顔で顔晴る。
みんなのためにがんばる。
みんなのために努力する。
それが日本人のDNAに沁み着いた、日本人の感性(かんせい)というものなのだろうと思います。
小泉八雲のいう、「素朴、善良、質素なもの」というのは、まさにここにあります。

誰だって、貧しいよりは、豊かである方がいいに決まってます。
貧しさは、悲惨でさえある。

けれど、そのために手段を選ばず、他人を貶めて財を奪って平然としているという感覚は、これは日本人の感覚ではありえないことです。
むしろ、そんなことをするくらいなら、貧しいままで大いに結構、というのが、古来からある日本人の感覚なのだろうと思うのです。

だからこそ日本人は、その貧しさから脱するために、自分も努力するし、その努力はみんなのため、より多くの人のためになるように努力することだと考える。
そして、自分ひとりだけの贅沢のために他を貶める者を、心から軽蔑する。
それが古来からある日本人の感覚です。

GHQが日本にやってきたとき、内閣総理大臣であった東条英機氏に対する徹底した財産調査を行ったのだそうです。
青森の実家にまで出向いて、床下まで掘り起こして徹底的に隠し財産があるのではないかと調べたのだそうです。
けれど、何も出なかった。
総理大臣の要職にありながら、彼には私財に相当するものがまるでなかったのです。

明石元二郎(あかしもとじろう)といえば、台湾の第七代総督です。
彼の死後、明石総督を尊敬してやまない台湾の人々によって、氏のお墓のためにと多額の寄付金が寄せられました。
そして、帝国軍人の中で、ご皇族方を除いては明石のような墓を持ったものはない、とまで言われるほどの立派な墓が、台北市郊外に建てられました。
けれど、それだけの貢献をした明石元二郎は、私財をまったく遺していません。
おかげで、息子の明石元長(もとなが)氏は、台湾で育ち、戦後は日本国内で台湾からの留学生や青年の援助して身を立てるのだけれど、手帳には「金、一文もなし」というメモをのこし、最後は過労のために若年死されています。

醍醐忠重(だいごただしげ)海軍中将は第六艦隊司令長官でしたが、終戦のとき、司令長官のもとに、莫大な額の機密費が残りました。
そしてお金の処分が、醍醐長官の決定にすべて託されました。
醍醐中将個人に、そのすべての処分が託されたのです。
おそらく「ナニワ金融道」に登場するような、在日朝鮮人たちなら、間違いなく、そのお金をフトコロに入れたことでしょう。

けれど醍醐長官は、そのお金を一円も自分のために消費も隠しもしていません。
第六艦隊は、潜水艦隊でしたので、人間魚雷回天を出撃させています。
そこで醍醐長官は、その回天で戦死した搭乗員、ひとりひとりの若者達の霊前に、丁寧な直筆の手紙とともに、そのお金を供えたのです。

このような話は、とりたてて美談というわけでもなく、かつては日本中にごまんとある話でした。
どんなに貧しくても、自分のためではなく、世のため人のためを優先する。
そういうマインドが、間違いなく日本にはあったのです。

ではなぜ、そのようなマインドが日本ではあたりまえのことにまでなったのか。
上にも書きましたが、誰だって貧乏よりはお金に余裕があった方がいいです。
けれど、その余裕の作り方が、日本人と、特アの人々とは、まるで方向性が違います。

どう違うかというと、日本人は、100人で100円を稼いだら、みんなで1円ずつ分け合おうと考えます。
ところが特アでは、リーダー個人が、80円をひとりで独占し、残りの20円を99人でわけるようにします。
ですから、リーダーとなる人には、経済的な政治力が備わるかもしれません。
けれど、日本では、たとえそれがリーダーの発案であったとしても、あくまでもみんなの協力があったおかげ、と考える。

それが特アの人々には、日本人は馬鹿でマヌケに思えるのかもしれません。
けれど、人を殺せば、その報いがあるように、人を利用主義的に利用し、自分だけの利益にしか目がないようなら、結局は人々は面従腹背となり、そのリーダーは脱落します。
因果応報なのです。

異論もあるようですが、「品がある」というは、「貧がある」でもあるのだといいます。
どんなに豊かになっても、貧しかった頃のことを忘れず、誇りある日本を取り戻す。

日本は、保守政権のもと、これからもっともっと豊かになっていきます。
そしてその豊かな日本は、日本人としての大切な心を忘れない日本でもあります。
そういう日本を取り戻し、築き上げる。
それが、未来を担う子供達のために、いまを生きる私たちに託された使命だと思います。