伊勢神宮
今回の衆院選で、勝利した自民党の議員の多くから「日本を取り戻す!」という言葉が多く聞かれました。
今回の選挙について多くのメディアや評論家は「自民党が勝ったのではない、民主党が負けただけだ」と、悔し紛れの強弁をしていますが、みっともない限りです。
日本を取り戻そうという自民党が勝ち、日本は世界市民になろうという非現実的な夢物語を描いていた民主党や左翼が負けたのです。
考えなくてもわかることです。
私達は代々日本に住む日本人であり、日本で生活しているのです。
その生活が破壊されることを世間が歓迎などするわけがない。
では勝利した自民党の「日本を取り戻す」というのは、何を意味するのでしょうか。
それは目先の景気や外交、あるいは原発に関することだけを意味するのでしょうか。
今日はこのことにについて考えてみたいと思います。
そもそも「日本を取り戻す!」という言葉に含まれている意味は、目先の政治課題だけなのでしょうか。
たとえば尖閣に支那が領海侵犯してきた、竹島に韓国の大統領が不法入国した、そうした個々の政治テーマも、もちろん重要なことです。
けれどそれは、例えてみればこのねずブロの日々のタイトル(記事)のようなものです。
このねずブロでは、日々、記事の更新をし、都度、いろいろとテーマを変えていますが、その奥底に流れているテーマは、常に一定です。
その奥底にあるものこそが「日本を取り戻す」の意味なのではないか。
私にはそう思えるのです。
目先の政治テーマではなく、その奥底にある何かを取り戻そうと民意が動いたからこそ、自民党、そして保守系の多くの政治家が復活したのです。
そこが今回の選挙がこれまでの選挙と大きく異なった最大のポイントであると私は思います。
特アや在日マネーに染まり、欲に眼がくらんだテレビの評論家や左翼在日の政治家たちには、これがわからない。
ですからテレビのコメンテーターや、新聞の選挙評論の記事を読んでも、私達の心に何も伝わるものがないのです。
今回の選挙で、当選した多くの自民党その他の保守系議員は、当選後の挨拶で「みなさん、ありがとうございました。絶対に日本を取り戻ます!」と涙を流しました。
当選した喜びで笑顔になっているのではなく、当選して泣きました。
それは決意の涙でもあります。
どういうことなのでしょうか。
何を意味しているのでしょうか。
「日本を取り戻す」
そこにあるのは、私達には「取り戻すべき日本」があるということを多くの民衆が肌で感じている、ということといえるのではないでしょうか。
ここを見誤ると、今回の選挙が見えない。
ではその「取り戻すべき日本」とは何か。
それを知るには、日本という国のそもそもの原点に立ち返ってみる必要があろうかと思います。
国家における原点とは何か。
それは建国の理念です。
日本は、世界でもっとも古い国です。*1
神武天皇の建国の詔から、今年2012年で2672年という途方もない長い歴史を持っています。
*1 世界最古という意味では、エチオピア王室が、紀元前10世紀頃のシバの女王の息子のメネリク1世を始祖とし世界最古という説もありますが、これについてはあくまで旧約聖書上の伝説の人物でしかないこと、考古学的裏付がないこと、またシバの女王自体がイエメンからやってきたという説もあること、旧約聖書にはシバの女王が子を産んだという記述がなく、メネリク一世との関係も実のところ不明であること、さらに実際の歴史としてエチオピア王朝が確認できるのは13世紀のアムラク王で、在位は1270年から、つまり今年で742年の歴史しかない等といった事実があります。
一方、日本の場合、仮に神武天皇の存在を神話として片付けたとしても、第26代継体天皇(在位507年~)がはっきりとその存在を確認できており、仮に継体天皇を初代天皇と考えたとしても、やはり日本は最古の皇統を持つ世界最古の国家ということになります。
そして神武天皇が紀元前660年、皇紀元年2月11日に建国の理念として即位の詔(みことのり)にあらわされたのが、次の文です。
========
上(かみ)は則(すなわ)ち
乾霊(あまつかみ)の国を授けたまいし
徳(うつくしび)に答え、
下(しも)は即ち皇孫(すめみま)の
正(ただしき)を養いたまいし心を弘(ひろ)めん。
然して後に六合(りくごう)を兼ねて
以って都を開き
八紘(あめがした)を掩(おお)ひて
宇(いえ)と為すこと亦可(よ)からずや
(原文)
上則答乾靈授國之 下則弘皇孫養正之心
然後兼六合以開都 掩八紘而為宇 不亦可乎
觀夫畝傍山東南橿原地者 蓋國之墺區乎 可治之
========
口語訳してみます。
「上は天神の国をお授け下さつた御徳に答え、下は皇孫の正義を育てられた心を弘めよう。
その後、国中を一つにして都を開き、天の下を掩ひて一つの家とすることは、また良いことではないか」
これを意訳すると次のようになります。
(1)日本は、神々から授かった国である。
(2)そのことに思いをいたし、正しい道を進もう。
(3)日本はひとつの国になった。
(4)だから、日本人みんながひとつの家族となろう。
すなわち日本は、日本人みんなが家族として慈しみ合い、互いに切磋琢磨して成長し、互いに協力しあってより良い国にしていく、そういう日本人誰もが家族のようにある国家を、建国の理念とする国である、ということです。
つまり「家族国家」の建設こそ、日本建国の原点です。
ひとつ屋根の下に住む家族でも、平素はバラバラにそれぞれの役割をこなしています。
それこそ、お爺さんは山へ芝刈りに行き、お婆さんは川に洗濯を、お父ちゃんは畑で桑をふるい、お母ちゃんは家事をこなし、お兄ちゃんは勉強し、妹はまだ幼い弟をおんぶして面倒をみている。
それぞれがそれぞれの役割に応じて、働いて、傍(はた)を楽(らく)にしているわけです。
けれど、一朝事あるときには家族みんなが助け合い、団結し、難局を乗り越える。
まさに、教育勅語にもある「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」です。
おもしろいもので、家族という概念は、ついこの間までは日本社会におけるあたりまえの常識でした。
建設業などの古い会社は、たいてい「◯◯組」と名前がついているし、商店は「◯◯屋」とか「◯◯家」と名前がついています。
ある意味社会の縮図ともいえる昔のヤクザさんも、たいてい名称は「◯◯一家」です。
要するに生まれ育ちは違っていても、人が集まればみんながそこで家族となる。
血は繋がっていなくても、親子あるいは兄弟となってともに一家を支え、ともに喜び、ともに泣く。
二人の人が、ともに泣き、ともに笑うことを「仁(じん)」といいます。
漢字をみたらわかります。
ニンベンに漢数字の二で、二人の人が字になっている。
こうした家族感覚は、戦後65年経ったいまでも、多くの人々の心にしっかりと根付いています。
たとえば多くの中小企業の経営者にとって、社員は家族です。
いまでも多くの社長さんたちは、その家族を養うために必死です。
自分がいい思いをしたからではありません。
多くの中小零細の社長さん、あるいは少し古いタイプの日本人的感覚を強く持った管理職なら、みんな社員や部下という名前の家族をしっかりと養っていこうという明確な意思を持っています。
社員や部下も同様に、自分さえよければ、なんて考えるような者は、多くの場合、それだけで社員失格です。
みんなが頑張っているから自分も頑張る。
そしてみんなで会社や組織を支える。
なぜなら会社や組織は、自分にとっての家族そのものだからです。
地域でも、昔は、近所の悪ガキが悪さをしていると、町内の頑固おやじが「コラァ!!」とやったものです。
なぜならそれは、ただオヤジが頑固ジジイだったからではなくて、大人たちにとって、近所の子供たちが、みんな我が子同然の家族そのものという気持ちがあったからです。
そしてそういう会社や組織や地域を、ずっと拡大したものが、日本という国家です。
その気持ちがあったからこそ、日本は強かった。
日清、日露、第一次大戦、支那事変、大東亜戦争で戦った日本の兵士たちにとっても、守るべき祖国にいる人々は、みんな自分の家族だったからです。
大東亜戦争の前も最中も、日本は本当に現地の人々のために尽くしました。
なぜならそれは、日本が統治することになったその瞬間から、その地にいる人々は私達の家族であり、そこに住む現地の人々は、私達の弟や妹になったからです。
ベトナム戦争のときに、韓国の兵隊が現地の村人たちを皆殺しにしたり、女性を強姦しまくって多数の私生児を作ったということは、国際的な大問題として有名な話です。
それは結局彼らにとって、現地の人は結局のところアカの他人だったからです。
一方、日本人が統治をした東亜諸国や南の島々では、そうしたレイプ事件や虐殺事件はまったく起こっていません。
当然です。軍が統治するようになった瞬間から、現地の人々は日本の軍人たちの弟や妹となったからです。
最近、外国の人が日本に来て驚くのは、コンビニの店員さんたちが、非常に愛想がよくて親切だということなのだそうです。
あたりまえです。
日本では、たとえコンビニでも、お客様は家族なのです。
ですから少しでも家族のために役にたとう、お客様という名前の家族に少しでも喜んでもらおうと、若いアルバイト店員でも、普通にそう考え、行動する。
近所の商店街の八百屋さんや魚屋さんだって同じです。
毎日買い物に来るお客さんの主婦たちは、自分の家族そのものです。
たいせつなことは、いかに儲けるかではなく、お客さんという名前の家族に、ちょっとでも新鮮で良いものを届けるかなのです。
だからこそ毎朝、暗いうちから起きだして寒い中を仕入れのために市場に出かける。
そば屋さんも、食堂のかみさんも、飲み屋のおばちゃんにとっても、お客様は神様ではありません。
家族です。
そういえば、昔、三波春夫が「お客様は神様です」という言葉を使って、これがだいぶ評判になりました。
「お客様は神様です」は、戦後一番の流行語になった言葉ですが、なぜその言葉が流行語となったかといえば、そこに認知不協和があったからです。
日頃の生活実感と、その言葉の間に、違和感があった。
なぜならお客様は、手を合わせて拝むものではありません。
お客様は、家族そのものだからです。
家族にちょっとでも喜んでもらう。
そのために日々努力する。
それが商売というものです。
学校教育においても、教師にとって生徒は、単に生活の糧を得るための道具ではありません。
教師にとって、生徒は自分の家族そのものです。
ですから我が子です。
だから叱るときも真剣に叱ったし、ときにほっぺたをぶつときも、涙を流して手をあげた。
昔はどこの学校でも、教師はみんなそうだった。
だから、
「うちの家族」
「うちの会社」
「うちのお客さん」
「うちの町」
「うちの学校」
「うちの社員」
なのです。
そして、日本人が外国に行くと、祖国日本は「うちの国」です。
「うち」は「内」であり、「家(うち)」です。
こうした概念は、何も日本だけの特殊なものではありません。
英語で、I love my country. といえば、その故郷(祖国)は、その人にとって内側のもの、自分の心のよりどころ、惜しみない愛の対象としての故郷(祖国)です。
ただ好きなだけの場所なら、I love my country. ではなく、I like my country.となる。
love と like の違いは、自分の内側にあるのか、外側にあるのか。
言い換えれば、自分の家族、血を分けた兄弟や肉親、あるいは自分自身と一体のものが love であり、自分とはまったく別な、家族や兄弟とは異なるあくまで他者として単に好むものが like と使い分けます。
いろいろと書きましたが、日本は神武天皇以来、皇統2700年続く世界最古の国家であり、そしてその世界最古の国家に伝統として根ざしているのが、家族としての国家であるということです。
そしてそうした心は、いまも、多くの日本人の心に、明確なカタチをもって残っている。
福島原発事故において、民主党の議員や閣僚が被災地を訪問する時は、防護服を身にまとい、まるでそこで細菌戦争でもあったかのような姿で出かけていました。
案内をする係の人も、被災地の避難所で暮らす人々も、普通の平服姿でいるのに、です。
ところが天皇皇后両陛下は、いっさいそうした防護服を着ようとなさいませんでした。
家族のみんなが、防護服など着ないでそこにいるからです。
身内の不幸は我が身の不幸、身内の幸せは我が身の幸せ、それが我が国の本来の姿です。
そうした家族としての国家を、民主党政権前の自民党も長く忘れていました。
ですから外圧に負け、建設談合も廃止にしました。
いや廃止どころか、談合を犯罪扱いにまでしました。
そうして競争入札にすることが、社会の利益を守ることに繋がると考えたのです。
けれど実は、建設談合は、家族主義の典型ともいえる社会制度でした。
建設会社同士が互いに家族のように親しみ、利益を守り、それによって互いの下請け業者を守り、そうすることで、業者同士の競争は、利益ではなく「より良い仕事をする」ことに集約することができるようにしていたのです。
そしてそのことは社会の利益を守り、下請けを含む多くの業者が、こうした制度のもとで安心して商売をし、部下を食わせ、納税をすることができていたのです。
ところがその家族的談合制度を廃止してどうなったか。
下請けを含む業者が次々と倒産し、職人さんたちは職を失い、世の中が不況になり、税収が減り、大きな社会損をうみました。
それだけでなく、利益を出すために、支那産の粗悪品の材料を使うようになり、また工事現場で働く人々にも日本的職人気質を持たない外国人が多数入り込むようになり、結果として工事の品質までおとしてしまっています。
そうした左翼や外国におもねり、他国を肥やし自らの祖国を貶めるような政治が続いたから、多くの庶民は、自民党を否定し、結果として自民党は過半数という議席を失い、政権与党をさえ追われ、野党連立政権が出来たり、あるいは政権を取り返すために社会党と連立を組んだりし、結果として、より左傾化を強め、ついに三年前、多くの庶民は自民党を見限り、民主党に期待を寄せたのです。
つまり、三年前の衆院選で民主が勝ったというのは、民主党の政権構想が世に認められたということではなくて、自民党を世間が見限ったという選挙であったということです。
ところがこの三年間で、はっきりと庶民の眼にわかったことは、自民党の左傾化を含め、日本が堕ちて行くその根源にある問題の本質が何であったのか、ということです。
それが「左傾化」というものでした。
日本にもとからある家族国家としての態様を否定し、栄えある日本の歴史を否定し、現在の日本までをも否定し、そして日本の未来さえも否定する。
それが左翼や在日の本質であるということを、この三年間の民主党政権は、まさに如実に天下に晒したのです。
掩八紘而為宇を、戦前は「八紘一宇」と訳しました。
その「八紘一宇」を「世界は一家、人類は皆兄弟」と訳したのは、故笹川良一先生でした。
けれど、「一宇=ひとつ屋根の下」というなら、それは兄弟というより、家族そのものです。
政治家にとっても、政党にとっても、国民は家族です。
その視点からみたら、政治家の代表であるいつかの内閣総理大臣が、「最小不幸家族を目指します」なんて発言したなどということは、ありえない発言であり発想です。
なぜなら家族の最大幸福を希求し、実現するのが、親である内閣府の役割だからです。
「2位じゃだめなんですか?」という話もありました。
そんなことを言ったら、子供は勉強しなくなります。
勉強しなくなって成績が下がるというのは、国家規模で言ったら、日本の競争力がなくなる、ということです。
「日本の競争力をなくしましょう」そして日本は「最小不幸家族」になりましょう。
そんなことを平然と語る政党や政治家は、「日本国=ひとつ屋根のしたの家族」という視点から見たら、いかに政党や政治家にふさわしくないか。
まさに虫酸が走るとはこのことをいいます。
さらにいえば、日本国という家族の主(あるじ)は、陛下です。
一家の主人を指して、「単なる象徴です」などと言ったら、普通は冗談としてしか思われない。実にとんでもない話です。
毎年8月15日になると、政治家等の靖国参拝問題が出るけれど、家族のために自らの命を犠牲にされた祖父母に対して、手を合わせるのは、ごくあたりまえの常識以前の問題です。
「日本は家族国家」
この日本建国の原点に立ち返った時、私は戦後日本がもったあらゆるひずみ、間違いがまさに白日のもとにさらされると思います。
そして、これからの日本が進む道も、おのずと開けてくる。
いまの日本は、日本人家族としての絆、会社とそこで働く人々の絆、親子兄弟の絆が、バラバラにほどけて一家離散目前の家族であるかのようです。
混乱したら原点に帰れ。
「日本を取り戻す」ということは、日本建国の理念である家族国家としての日本を取り戻すということです。