携帯電話を旭日旗に! | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






夕刻の備忘録 様のブログより。




殴られても「大人の対応を!」。
蹴られても「大人の対応を!」。
殺されても「大人の対応を!」。

そんなにマスコミが「大人の対応」を好きなら、同じことをしてやろう。きっと「大人の対応」で許してくれるに違いない。批判されても、不買されても、デモを仕掛けられても「大人の対応」で応じてくれるはずだ。

「日本は冷静に対処して」「日本は同じ土俵に乗らずに」「日本は、日本は……」と吐き気がするほどの責任転嫁を、延々と続けている。

加害者を「糾弾」せず、被害者に「要求」をする。

これは「最近のイジメ」と全く同じ構図である。即ち、イジメを加速、増殖させているのはマスコミなのである。マスコミがこの立場を堅持するが故に、警察や行政や司法まで引き摺られて、「死んだ子の歳を数えるのではなく、残った子の校正を」などという狂った台詞を吐くのだ。

そんなマスコミが、高が消費税の適用・不適用如きで、「言論活動に支障が出る!」「マスコミには課税するな!」と叫ぶのである。明らかにこれは「大人の対応」ではない。だとすると、彼等は「自ら日本人ではない」ことを認めていることになる。彼等曰く、「日本人なら冷静な大人の対応が常識」だからである。

               ★ ★ ★ ★ ★

国際試合で「旭日旗」の使用が阻止された。
ここにもまた「大人が居た」わけである。
いや、大人に認められたい「子供が居た」わけである。

そして、パクリ企業対アップルの地裁判決が出た。
パクリの勝訴である。何故、こんな悲惨な結末になるのか。

それは「地裁が日本の裁判所」ではないからである。過去にこんな判決は山ほどある。「日本人のためにならない判決」なら、地裁には掃いて捨てるほどある。これもまた、加害者を「糾弾」せず、被害者に「要求」をする、という典型的なパターンである。

知らない人は居ないだろうが、地裁の裁判長の経歴を調べてみればすぐ分かる。地裁、高裁、最高裁と経験を積むに従って、上級裁判所へとステップアップするはずの経歴が、見事に地裁で打ち止めになっている。地裁は「法曹界のガス抜き機関」なのである。どのみち高裁で逆転するから、オカシナ連中は地裁に閉じ込めて、好きにやらせておけ、という奇妙な合意が出来ている。迷惑なのは判断を待つ側だけである。


抗議の意味を込めて、携帯電話を変えたい気持ちになっている人は多いだろう。しかし、独特の「契約上の縛り」があって、今直ぐには変えられない。また、機種にも、機能にも拘りがあるため、なかなか変更出来なくて困っている人も多いことと思う。

そこで一つ提案をする。
携帯電話を「旭日旗」に変えよう。
デコレートしてみよう。

とりわけ、犬印の携帯電話で、ドコモならパクリ企業製のもので有効である。そして、「ギャラクシー」などという分不相応な名で呼ばず、「日本名:竹島」に変えるのだ。どうしても携帯電話を変えられない人は、それを旭日旗で飾り、竹島と呼ぶ。一人では滑稽なだけにも思えるが、これが多数になり、噂が拡がって、店舗でも通用するようになれば、多分またまた「面白い反応」が見られることだろう。


最後に、有名な「両国の比較」を記しておこう。

 人の嫌がることを進んでします。
 人の嫌がることを進んでします。

上が日本で、下が某国である。その思いを込めて読んでみると、あら不思議、ここに秘められた深い意味が分かってくるだろう。

自爆が得意技の国である。その爆発を誘導してやることも、時に必要であろう。何しろ「親日罪」という有難いものがあるのだ。これを使おう。かの国の輸出品には深々と頭を垂れながら、「親しくしてくれて有難う」、貴社の御蔭で日本は今日も元気ですと言い、日本製品の購入に対しては「これで一段と親しくなれましたね」と熨斗を付ける。末尾は「竹島の国・日本より」である。

輸出入の盛んな企業を公表し、「親日企業」として表彰してやろう。「親日タレント」のランキングを作り、ネットで公開しよう。フジテレビの潜入社員など、この親日罪が最も相応しい対象である。日本に溶け込み、日本のために「祖国の紹介」をして、日本人から「多大な評価」を得ているのである。色々と「祖国に尽くすようなフリ」をしているが、この局は未だに「竹島」と表記している。これが何よりの証拠であろう。


猜疑心だけで出来た国である。そこで親日罪が自縄自縛の作用を起こす。そこを利用する。相手の力を利用して潰す。「日本を愛し、日本に愛されたいタレントの皆々様」の、竹島を背景にしたゴキゲンな写真を撮ろう。動画が撮れれば最高である。英語字幕付きで世界に向けてUPしてやろう。フジテレビの潜入社員には「親日派しかいない」ことを教えてやろう。

こちらは笑いながら「醜い同志討ち」を見物していればいいのである。これこそが「大人の対応」である。たまには、我々も「人の嫌がることを進んで」しなければなるまい。