天台寺と「みちのく」の霊性。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 










【土・日曜日に書く】論説副委員長・渡部裕明





みちのくの古寺、岩手県二戸(にのへ)市にある天台寺をようやく訪ねることができた。作家で天台宗の尼僧でもある瀬戸内寂聴さん(90)が平成17年まで住職をつとめていた寺である。

 中尊寺や毛越寺(もうつうじ)(岩手県平泉町)、黒石寺(こくせきじ)(同県奥州市)、立石寺(りっしゃくじ)(山寺、山形市)、慈恩寺(山形県寒河江市)、慧日寺(えにちじ)(福島県磐梯町)、勝常寺(しょうじょうじ)(同県湯川村)、白水(しらみず)阿弥陀堂(願成寺(がんじょうじ)、同県いわき市)…。

 これら東北の古寺は、京都で宗教担当記者をやって以来、ずっと行きたいと願い続けてきた。古代までさかのぼる歴史を誇り、東北人の精神風土をかたちづくっている。2度の東京勤務という機会も得て、大半を自分の目で見ることができた。

 ◆北の地に根付いた仏教

 天台寺こそ最後に残った目標であった。しかし、青森県境に近い遠隔の地である。夏休みを兼ねて盛岡市へ。さらに北へ、車で1時間かかってたどりついた。

 境内や建物は、予想していたより明るく手入れされていた。参道の石段の両脇では紫陽花(あじさい)が遅い花を咲かせ、小さな石の地蔵尊が並んでいた。お盆でもあり、参拝する人も絶えなかった。

 天台寺は神亀(じんき)5(728)年、聖武天皇の命で行基が創建したというのが寺伝である。このころまで行基は朝廷に弾圧される側で、伝承は信じがたいが、寺には平安後期に刻まれた本尊(聖(しょう)観音立像、国重文)が伝わっている。創建が平安時代にさかのぼることは確実だ。「古代最北の仏教文化の中心」という寺のキャッチフレーズは間違っていない。

 しかし、寺は近代に入ると受難の歴史をたどった。明治の廃仏毀釈によって、多くの子院や寺宝を失った。戦後も境内の杉林が伐採・売却されるなど、廃寺寸前に陥った。復興が緒についたのは昭和62年、寂聴さんが住職に就任してからである。

 「私が住職を引き受けたときは、天台寺は荒れ果てていて、本堂の屋根は漏るし、堂内はほこりだらけだった(中略)檀家(だんか)は26軒しかない。とても経営できる状態ではなかった」(『寂聴あおぞら説法』光文社)

 本尊の聖観音像は、仏像ファンが愛してやまない一体である。筆者の目的の一つも、この像を拝することだった。表面に丸ノミの跡を残す「鉈彫(なたぼり)」と呼ばれる独特の技法は、関東から東北にかけての仏像に特徴的なものだ。高さ約118センチの小ぶりな像だが、言いようのない気高さがあり、収蔵庫でしばし時間がたつのを忘れた。

 ◆今も愛される田村麻呂

 「人は死んだらどこへ行くのか?」という問いに、日本人が初めて解答を得たのは6世紀にもたらされた仏教によってだった。とくに苦しみのない理想郷を意味する「浄土」と、その逆の「地獄」の観念は深く染みこみ、いまも私たちの心を左右し続けている。

 そんな体系立った教義を持つ新しい宗教が、遅くとも9世紀には東北地方に伝えられた。征夷大将軍・坂上田村麻呂らによる蝦夷(えみし)征討と無関係ではなかったろうが、東北の人々の心に新たな風を吹き込んだことだけは間違いない。

 天台寺への途次、岩手県花巻市にある成島(なるしま)毘沙門堂の兜跋(とばつ)毘沙門天立像(平安後期、国重文)を拝した。高さ約4・7メートル、はるかに見上げる巨像で、田村麻呂ゆかりの伝承を持っている。

 「征服者」と非難されて仕方のない田村麻呂がいまなお、この地域の守護神のごとく愛されているのはなぜなのか。それは田村麻呂らがもたらした仏教文化が、東北の人々の精神的な背骨となったからではないだろうか。

 ◆「雨ニモマケズ」の世界

 遣唐使によって日本に最初に持ち込まれた兜跋毘沙門天像は、平安京の羅城門に安置された。それはいま、京都の東寺に伝わっている(国宝)。鎧(よろい)をまとい地天女(ちてんにょ)のてのひらに乗る西域風な姿に比べ、この像はどうだろう。

 ここでは容貌もいかつく、いかにも東北的だ。仏教や仏像はこの地に取り入れられ時間を経るうち、人々に合った好みへと変化していったのである。

 寂聴さんは高齢のため天台寺住職を引退したが、いまも名誉住職として年に何回かは法話に訪れている。「あおぞら法話」と呼ばれ、境内は毎回千人以上の人で埋め尽くされる。次回は9月2日の予定だ。

 東日本大震災から立ち上がろうとしている東北地方の人々の姿は、筆者の目には天台寺の聖観音や成島の毘沙門天と重なって見える。無欲で忍耐強く、怒らず、逆に困った人に手を差し伸べる…。そう、花巻生まれの詩人、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の世界ではないか。

                               (わたなべ ひろあき)