古事記編纂1300年 第1部(4)神器と和歌を生んだ英雄。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









【日本人の源流 神話を訪ねて】







日本神話で最も有名なヒーロー伝説は、須佐之男命(すさのおのみこと)によるヤマタノオロチ退治である。8つの頭と尾を持ち、目は赤く、体が血でただれた大蛇を、知恵と勇気で撃退した。

 乱暴狼藉(ろうぜき)で高天原(たかまがはら)を追放されたスサノオが降り立つのは島根県出雲地方の斐伊(ひい)川上流である。この地がなぜ選ばれたのか。スサノオが、生け贄(にえ)の運命にあったクシナダヒメをヤマタノオロチから救い、英雄となる筋書きも、人が変わったようで不思議だ。

 古事記では、スサノオがヤマタノオロチの尾を切り裂くと、1本の大刀が現れる。スサノオはこの大刀を姉の天照大御神(あまてらすおおみかみ)に献上する。大刀は、皇室に伝わる三種の神器の一つ「草薙(くさなぎ)の剣」とされる。この大刀伝説に、ヤマタノオロチ神話が古事記に記された理由が見える。


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 「神話だけの世界と言われてきた出雲の重要性が証明された」

 島根県文化財課の松本岩雄専門官(60)がそう話す発見があったのは昭和59年のことだ。斐伊川にほど近い荒神谷(こうじんだに)遺跡(同県出雲市)から、約2千年前(弥生時代)の銅剣358本が出土した。それまで全国で出土した銅剣総数を上回る数だった。翌年にはすぐ隣で、銅鐸(たく)6個と銅矛(ほこ)16本が出土。古代出雲の先進性が証明された。

 斐伊川は、中国山地を源流とする総延長153キロ、出雲平野最大の河川だ。上流は砂鉄の産地で、古墳時代以降に製鉄が盛んになると、土壌の鉄分が流れ出し、川面を赤く染めたと言われる。大雨の度に赤い濁流となる暴れ川は、真っ赤な巨体をくねらせたヤマタノオロチのモデルともされる。

 「出雲は弥生時代には、日本海を通して大陸や朝鮮半島の文化がストレートに伝わり、先進文化が花開いた地だった」と松本氏は話す。「草薙の剣と荒神谷遺跡の銅剣が関わりがあるかどうかは分からないが、神話の背景には出雲の豊かな弥生文化があったことは間違いない」


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 古事記ではスサノオは、ヤマタノオロチとの命がけの戦いで手に入れた草薙の剣を迷わず、高天原を治めるアマテラスに献上する。この記述こそがスサノオの子孫であるオオクニヌシノミコトの「国譲り神話」につながる、と中西輝政京都大名誉教授(65)は指摘する。

 オオクニヌシはスサノオの6代後の子孫である。古事記はスサノオの後、オオクニヌシの記述が中心になる。国造りに懸命に励む姿を描き、その後にアマテラスの子孫に国譲りする事情に紙幅を割く。

「スサノオによる草薙の剣の献上によって、高天原と出雲は結びついた。この縁があったからこそ国譲りは円満に行われた」と中西氏は言う。

 ヤマタノオロチを退治したスサノオが、文に優れた男神として描かれている点も見落とせない。

 〈八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(ご)みに 八重垣作る その八重垣を〉(妻を守るために宮に幾つもの垣を造ったが、その八重の垣をめぐらせたように、出雲には幾重にも雲が湧いていて美しい)

 スサノオは妻に迎えたクシナダヒメのため、日本最初の和歌を詠んだ人と古事記に描かれている。和歌は朝廷で伝承され、今も皇居で歌会始の儀が行われる。

 「日本人は感動したり悲しんだり、心が動くときは必ず歌を詠みたくなる。歌会始の儀は、日本人の美しい心を守る大切なお勤めなんです」と中西氏。その源流が、心を入れ替えたスサノオというのが趣深い。





 ≪ヤマタノオロチ退治≫

 悪行のために高天原を追放された須佐之男命が出雲に降り立つと、年老いた夫婦と美しい娘がむせび泣いていた。理由を聞くと、夫婦には8人の娘がいたが、毎年、ヤマタノオロチがやってきて1人ずつ食べ、今年はクシナダヒメが犠牲になるという。

 スサノオは、ヒメを妻とすることを条件に、ヤマタノオロチ退治を約束した。8つの桶にきつい酒を満たして待つと、現れたヤマタノオロチは桶の一つ一つに首を突っ込み飲み干した。酔いつぶれて動けなくなったところを、スサノオは剣で切り裂いて殺した。

 スサノオはヒメを妻に迎え、出雲の須賀で和歌を詠んで宮を構え、睦まじく暮らした。

 その地とされる場所には須我神社(島根県雲南市)が建ち、ヤマタノオロチが酒に酔って枕にして寝たという草枕山(同市)も伝説スポットとして残っている。






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