「国家意志」が求められる時代。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 










【正論】日本再生の年頭に 

防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛





■「国家意志」が求められる時代

 英国の歴史家E・H・カーの『危機の二十年』初版は1939年9月に世に出た。まさにヒトラー・ドイツがポーランドに襲いかかり、第二次大戦が始まった瞬間だった。カーはそれに先立つ約20年、つまり第一次大戦後ヴェルサイユ体制下の歳月を「危機(クライシス)」の時代と一括した。その前半が国際連盟に象徴されるリアリズム欠如のユートピアニズム、後半がその幻想の瓦解期だったからだ。

 ≪『危機の二十年』が語るもの≫

 ならば、後世のわれわれは39年9月以降の第二次大戦期を「破局(カタストロフィ)」の時代と呼びたくなる。だが、カーは初版最終章を「新しい国際秩序への展望」と題し、「破局」とは捉えなかった。

 カーの「新しい国際秩序」は、ヴェルサイユ秩序下の三大「現状不満国」-敗戦大国ドイツ、新興大国日本、革命大国ソ連-の欲求とりわけ領土的欲求への「宥和」下に構築されるべきであった。日本の満州国建設、ヒトラーのオーストリア、チェコスロヴァキア併合を許容する態度には、今日では誰もが仰天する。だが、第二次大戦後の『危機の二十年』再刊の際、カーはさすがにヒトラーなる個人的要素の描写は若干修正したが、著書の論旨は変えなかった。81年の新刷版でも論旨不変だった。

 左翼リアリズムに立つ同書の邦訳は52年に出版され、名著と呼ばれた。が、論旨が論旨なだけに、「一億総懺悔」風潮下の日本では長年、同書は実は敬遠された。今回、その問題本に触れるのは、個別事件や個人要素の記述は別にして、往年のカーの大きな問題設定ぶりに強く魅せられるからだ。

 一体、往時のカーは三大「現状不満国」のなにを、どこを重視したのか。私に言わせると、質量の大きい「国家意志」の表明ぶりを、だ。その表明者は独裁者個人(ドイツ)、独裁政党(ソ連)、中核不明確な国家主義体(日本)と三者三様だ。だが、カーはいずれの「現状変更」欲求をも非難せず、それを容れての「新しい国際秩序」が必要だとしたのだった。

≪「成り行きの20年」後の難所≫

 さて、冷戦終結から20年。それを「危機の20年」と呼ぶ論者はいない。だが、現時点を国際政治の一大「難所」だとする声は巷に満ちている。カーが存命なら、再び「新しい国際秩序への展望」を語るだろう。私の診断はこうだ。

 第一次大戦とは違い冷戦終結に講和条約はなく、「(冷)戦時」から「平時」への移行は勝者の寛大さに委ねられた。爾来、米国の「新世界秩序」論や「一極支配」体制などの着想はあってもいずれも短命で、通観すると、世界は成り行き任せだった。「成り行きの20年」の結果が今日の「難所」だ。「危機」の後に「破局」がきた往時とは違い、「難所」の次に「破局」はないだろう。だが、既成秩序派と新興勢力の間の「新しい国際秩序」をめぐる駆け引きは熾烈、複雑を極めよう。特にその複雑さが重要である。

 その複雑さは、新興大国中の両雄、中国とインドの関係に明瞭である。両国の領土紛争の残り火はまだくすぶっている。両国の急速な経済発展で近年、海洋権益をめぐる競合も目立つ。政治システムは違うし、国家としての価値観体系にも大差がある。無論、地球環境問題で中印はともに先進国グループに対峙するといった共通姿勢も見せるが、既成秩序派との全般的関係で見ると、中印は大きく異なる。「危機の20年」末期の既存秩序派VS現状変更志向派なる対立図式は今日妥当しない。

≪日本の旗色は極端に悪い≫

 新興勢力間の相互牽制ゆえに一部新興勢力が既存秩序派と組み、他の一部新興勢力に対抗するという新しい図式、つまり三つ巴状況下で次なる「新しい国際秩序」状況が形成されてゆく。各勢力間の「切磋琢磨」は激しく、ゲーム参加各国の「国家意志」が否応なしに厳しく問われるであろう。

 かつて身の丈以上の「国家意志」を表明して大火傷した日本は敗戦後、「国家意志」の表明を抑制する処世術に徹してきた。それはそれなりの成功を収め、日本は経済大国の地位を得た。が、抑制が習い性となり、これまでの「成り行きの20年」間、安倍晋三政権の1年を例外として、日本の「国家意志」はひどく衰弱した。よく語られる「失われた20年」とは財政経済分野だけに限らない。私見では、「国家意志が失われた20年」こそが問題なのだ。

 数値化できる諸分野で日本の国力は世界有数である。だが、主権、領土保全、防衛安全保障、国の進路など数値化できない国家根幹の問題にかかわる「国家意志」の表明となると、日本の旗色は極端に悪い。次なる「新しい国際秩序」をめぐる国際的な権力政治(パワー・ポリティクス)ゲームでより重要なのは、むしろ「国家意志」なのに。

 このゲームにたじろいではならない。等身大の「国家意志」をもって、立ち向かわなければならない。ただ、ユートピアンの多い民主党の政権にそれができるか。


                                  (させ まさもり)