【都道府県 伝統の教え】宮崎県
宮崎県西米良村は南北朝時代、南朝の皇子、懐良親王(大王様)が肥後の領主、菊池氏と米良山に逃れたとする「大王様入山伝説」がある地だ。以来、幕末までの400年、菊池氏は米良を名乗り、ここを統治し、明治に姓を菊池に戻す。大正、昭和、平成と時代は流れたが一族の教えを「菊池精神」として1300人の村民が大切にする。
「貧しさに堪えながらも文武を怠らず、礼節を重んじ、国家社会に尽くす」
教育を重視し、村民が今も慕う米良最後の領主、則忠の教えで、今も村作りの基本姿勢に掲げられる。村内には小中学校が各1校あり、ふるさとを児童生徒に語り継ぐ「ふるさと西米良学」が系統的に用意されている。子供はさまざまな体験を通じ、西米良に出合い詳しく知り、やがて自分に「西米良」を育んでいく。
中学卒業前の12月1日。「すべからく浩然の気を養い、すべからく天下の魁(さきがけ)となるべし」の教えを残した則忠の孫で元貴族院議員、菊池武夫の命日だ。村はこの日、学業、人格面で傑出した中3生を選んで「菊池賞」を贈り栄誉を讃(たた)える。高校通学のため、村を離れても『菊池の心』に誇りを持ちいっそう研鑽(けんさん)に励んでほしい-。賢君の教えが今でも残る村の大切な取り組みだ。