【主張】
校舎が損壊したため中学校を借りて行われた宮城県気仙沼市の小学校の卒業式で、卒業証書が手渡された。それは、津波による水と泥の汚れを先生が一枚一枚丁寧に拭き取ったものである。
「地震や津波の痛みを知っている証書だ」と校長先生が話し、卒業生は「普通の証書よりうれしかった」と感激した。テレビに流れた映像を見て胸をうたれた人も多かったのではないか。
被災地では、児童・生徒の多くが亡くなったり行方不明になったりして、卒業式を実施できなかった学校も多い。そんな困難な状況のなかで、人生の節目である卒業式の開催に何とかこぎつけた学校もあった。避難所で生活する被災者ら地域の人たちが支援に立ち上がったケースも少なくない。
「地域の人が手作りの式場を準備し、祝ってくれて本当にうれしい」と目を潤ませた子もいる。今後も厳しい試練が待っているだろうが、それぞれの新しい一歩を心に刻み、逆境に負けず力強く成長してくれるよう祈りたい。
若いころは、人間関係や生活の場など新しく得るものこそ多いのに比べ、失うものはほとんどないのが通例だ。しかし東日本大震災では、あまりに早くに多くのものを失ってしまった子供が大勢いる。肉親や友達、自宅や学校、故郷の風光…。まことに悲痛の念に堪えない。
しかし、子供たちには喪失の哀(かな)しみのなかから、何とか立ち上がってほしい。
「助け合って生きたい」「故郷を復興したい」。卒業生が語る抱負は、他人や郷土に対する思いやりにあふれていた。避難所で厳しい生活を強いられている被災者だけでなく、国民のすべてが彼らから、優しさと勇気と希望の“おすそわけ”にあずかったような気さえする。
歌人、与謝野晶子は関東大震災のとき「誰みても親はらからのここちすれ 地震(ない)をさまりて朝に到(いた)れば」と詠んだ。共通の災厄に際して、誰もが親兄弟のごとくに思えるというのだ。
今回の震災によって、私たちは自然の脅威をあらためて思い知らされた。しかし同時に、みんなで支え合うことが苦境をはね返す大きな力になることも学んだ。
故郷の担い手となる若者らは復興の春に向け、「希望の光」として大いに輝いてほしい。