だいぶ心も落ち着いたので書きます。
海外に住んでいるので、覚悟はしていたのですが弟から電話がかかってきて母の危篤を聞いたときは身体が凍りつきました。
その1時間前に弟から「インフルになって呼吸が辛そうだから病院行ってくるわ。また報告する。」と、そんなに深刻な報告では無い電話がかかってきた。
病院行けば良くなる!と信じていた私。
弟も同じ気持ちだったと思う。
気にはなりながらも夕飯を食べていた。
次に弟から電話が来た時も、良い報告だろうと思ってた。
弟の声の緊迫感から、嫌な予感がした。
「いま一回心臓が止まって、心臓マッサージで戻ったんだけど、先生があと1時間持つかどうかって言ってる。すぐ来て!」と。
弟もパニクってたんだ。
すぐ!って言っても、どう頑張っても1時間で行くことは出来ない。
アメリカと日本。1時間で行けたら私だって飛んでいく!
弟は、そこから他の家族に連絡をしないといけないし、母の側にも居て欲しかったから電話を切った。
祈るしかできなかった。
家族LINEで、弟が状況を知らせてくれたので、娘たちはすぐに母の運ばれた病院へと向かってくれた。
でも、1時間では到着しない。
先生はそんな事言ってるけど、また元気になる!と信じたい思いと、なんとか持ち直して欲しい!と祈る思いで、次の連絡を待っていた。
何も出来ない。ただ座ってた。
旦那は日本行きのチケットを取るべく、会社へ連絡を入れたりバタバタ。
弟の電話から10分も経たずに母は息を引き取りました。1時間って言ったじゃん。たった10分じゃん。。。。。
弟は母の最期に寄り添ってくれた。
それだけで私は弟に感謝でいっぱいでした。
母が一人で逝かなくてよかった。
看取った弟は辛かったとは思うけど、ありがとう。
少ししてから、その連絡をくれた弟と電話で母の最期がどうだったか詳しく教えてくれて、お互いに泣いてしまった。
一緒にいたかった。
一緒に泣きたかった。
電話を切り、旦那と息子と話す。
取り急ぎ、私だけが先に日本に行き、後から旦那と息子が来る方向で話していたが、息子の動揺する態度をキャッチした。
聞いてみると、ファイナルのテストがあるから、それをミスする事が怖いのだと言う。
家族の葬儀に参加する事も許されないの?
アメリカ留学をしていた長女の婿殿にも相談してみた。
彼は、息子の不安な気持ちは充分理解できる。一度のミスが大学受験に影響を与えるのは少なくない。と教えてくれた。ボクが彼の立場だったらアメリカに残って試験を受けます。と。
旦那とも話し、息子に決めさせることにした。
息子は、残って試験を受ける。夏にお墓参りでお婆ちゃんに謝る。と決めた。
旦那も残ることになり、私は一人で日本に行った。
留守の間の3日分の夕飯の用意をして、後の足りない分は旦那と息子に任せることにした。
初めて、2人で過ごす日々。
不安もあったけど、飛行機に乗ったら気持ちはもう母の隣にあった。
日本に到着した翌朝。
長女と次女とその彼と4人で母の元へ向かった。
冷たくなった母。
目を閉じてる母。
14年前に父が亡くなった時を思い出した。
父の最期にも立ち会えなかった私。
「お母さんごめんね」
顔を撫でる。
私のこと、忘れちゃっててもいい。
目を開けて、にっこり笑って欲しい。
「あら〜。」「おいしいんね。」「またね。バイバイ。」
母の言葉が色々と聞こえてきた。
すぐに来れなくてごめんね。
近くに住んでなくてごめんね。
もっといっぱい会いに来れずごめんね。
お母さん、大好きだよ!
いろんなことを思い出しては涙が溢れてきた。
娘たちは、私と母を2人にしてくれた。
思いっきり泣けてスッキリした。
お葬式は、家族葬。
父の退職後、父の故郷へと移ったため友達も居なくて孤独だった母。
家族だけで見送る方がお母さんも喜んでくれると思う。
とびっきりの笑顔!の良い写真。
葬儀では
喪主の挨拶の前に、孫たちからおばあちゃんへの手紙を一人ずつ涙を堪えながら読みました。
みんな、おばあちゃんの事が大好きだったのを感じる手紙で、読み上げる孫たちも聞いてる私たちも涙が止まらなくなりました。
アメリカに残った息子の手紙は長女が代読。
そのあとに喪主の挨拶。
涙もろい弟は、涙を堪え顔を歪めながらも必死に読み上げてた。
そんな姿を見ても涙なみだ。
棺には母への手紙や、母が大好きだった美空ひばりのカセットテープ、母の故郷の銘菓で好物だった五家宝、先に亡くなった猫の桃ちゃんの毛髪など母にとって大切な思い出の品々を入れて一緒に焼いてもらいました。
火葬炉に入っていく母を見送るのが一番辛かった。
母の体がなくなる事が嫌だった。
耐えられないほど泣いた。
ここに息子がいたら。ここに旦那がいたら。すがれたのに。
泣く娘たちの横にはパートナーがいる。
私は、そこに加われなかった。
悲しみをどう耐えたらいいのか、自分を抱きしめてた。
少ししたら、長女が振り返って私の手を取ってくれた。
その手にすがり、ギュッと握りしめて泣いた。ありがとう。
精進落としの席へ移動。
献杯の挨拶を申しつかった私。
例文をいただいたが、自分の言葉で挨拶したかった。
弟は言わないけど、これまでどれだけ頑張ってくれたかをみんなに知ってほしくて、それを言わせてもらいました。
母との思い出話しをしながら食事をしました。
私と弟にとっては兄のように慕っていた、ひであきお兄ちゃん。母のお兄さんの息子さん。私よりも3つ年上。
久しぶりの再会です。
ひであきお兄ちゃんも、母のことを本当の母のように慕ってくれてた。
私が生まれる前、父と母は自分の子供のようにお兄ちゃんを可愛がり、週末の度に預かって遊びに連れて行ってた。
父が亡くなった時に、お兄ちゃんの専用アルバムをみんなで見て、それをお兄ちゃんにプレゼントした。
3兄弟と言っても良い。
お兄ちゃんは私の初恋の人でもある。
子供の頃、「ひであきお兄ちゃんと結婚する!」と言い続けた私。
一度も嫌がられた事がない。
笑ってくれてた。
優しいお兄ちゃん。
工場で作りたてを直接買ってきてくれたので、売店で買うよりも柔らかい。
みんなで、母を思って頂きました。
お兄ちゃん、ありがとう!
母の結婚当初、貧乏だった父が買えなかったために母の母(私のおばあちゃん)が母に買ってあげた結婚指輪。
母はずっと身につけてた。
その指輪は私がもらいました。
その話をお兄ちゃんにしたら、お兄ちゃんが身につけていた時計を見せてくれた。
その時計は、私のおじいちゃんの形見で、ひであきお兄ちゃんが受け取ったんだって。
長い年月を経て、出会ったおじいちゃんとおばあちゃん。
時計は手巻きの時計だそうで、かなりの年季もの。
毎朝、巻かないとダメらしい。
ベルトを交換し続けて大切につけてるお兄ちゃん。
そんなところも大好きです。
お兄ちゃんとは、
夏に再会を約束しました。
母が亡くなった事は悲しい。
毎年夏に母に会うのを楽しみにしていたから。
でも、母のおかげで、ひであきお兄ちゃんと会う約束が出来た。
夏にお母さんの話をいっぱいしてくるからね!
アメリカに戻って普通の生活に戻ったから、また夏に母に会えるようなそんな気がしてならない。
でも、時々悲しくなる。
日中ひとりで居る時。
何かきっかけがあった時。
泣いてしまう。
一度は、息子の胸で号泣してしまった。
今では私よりも背が高い息子はいつのまにか頼れる男子になってた。
誰にも言うつもり無かったが、日本に行ってる間の予定をキャンセルしたことで母の事を話した友達が訪ねて来てくれた。
こんなに立派な花束をプレゼントしてくれたの。
お気持ちが嬉しくて、彼女の胸でも泣いてしまった。
お水を毎日変えて、今もまだ綺麗に咲いてくれてます。
こちらの花束も頂きました。
まだ綺麗に咲いています。
綺麗な花が部屋にいっぱい!
お母さんの声が聞こえます。
「あら〜。キレイね〜!」と目を輝かせて驚き気味に言う声が。。。
順番で言ったら次は私。
でも、まだまだ長生きするよ〜!
弟は私が死ぬまでは死んじゃダメ!
年齢順

でも。それはまだまだ先。
楽しい事をたくさん経験して、いっぱい笑わなくちゃ!
しばらくは、悲しい事がありませんように。
子供や孫をとても愛してくれたお母さんのような人に私もなりたい。