前にどこかの記事で、今度福の神お母さんについて語りますーって言ったきり
放置していたような気がするので突然語りだします(笑)
ホラ、よく言われるじゃないですか
お母さんは家庭の太陽だから
とか
お母さんがニコニコ笑顔なら家庭は円満
的なやつ。
もちろん一理あると思います。
私だって憧れます。
子どもたちが「ただいまー」って元気に学校から帰ってきたら「おかえり」ってニコニコ出迎えて
手作りのおやつとか一緒に食べながら今日の出来事をニコニコ聞くの。
宿題してるの見守りながらニコニコ余裕で晩御飯作って、家族が揃ってて笑顔溢れる食卓で
「美味しいね」って家族がご飯をもりもり食べてくれて…
ってできるかー(# ゚Д゚)
あ、もちろん出来てるお母さんは本当に尊敬します。
でも私には無理…憧れるけど、ときどきなら幸せだけど、毎日これって想像したらすごく疲れる…
そんな私の理想とする福の神お母さんは、まぁ、大福の餅みたいな感じです。
福の神だけに…(あーしょうもないこと言うの抑えきれなかった
)
そのままでいるだけで、餡っていう家族をふんわり包み込めちゃう存在。
家族っていうのは家族ひとりひとりだったり、関係性だったり、社会性だったり色々含めてなんだけど。
たまには餡子がはみ出しても良いんですよ。
それに対して「うぎゃー」って叫んだって
「うがー」って切れてみたって、いいんですよ。
それって家族が大きくなったってことですから。
身体とか、心とか、社会的にとか、いろんなトコロがね。
福の神お母さんって、そんなときに慌ててお餅の自分をびろーんと薄く伸ばしてくたびれるんじゃなくて
「今追加でもち米炊くから待っててねー」って新しいお餅を作っちゃえるお母さんだと思うんです。
無理はしないの。
こぼれたときは、こぼれたときでいいの。
今すぐ包み込める自分にならなくて、いいんですよ。
お餅作るみたいにのんびりじっくりぺったんぺったん
リフレッシュしたり、学んだり、自分を見つめ直したりして、自分で自分の器を広げるの。
で、大福家族にイチゴみたいな大きな幸せがドーン!ってくるじゃないですか。
そんなときもひぇーって焦って全部包もうとするんじゃなくて、半分はみ出したっていいの。
美味しいことには変わりないんだから。
そうそう、大福なので美味しく食べてもらってなんぼですよ。
でもそのために無理するんじゃなくて
お餅も餡も幸せで、そのままの大福で自然に周りに幸せを分けてくってこと。
そこはリアルな大福じゃないんだから(笑)
自分を削るんじゃなくて、喜びを分かち合うの。
中身が粒あんだって、こし餡だって、イチゴやクリームが入ったって
なんなら餡子じゃなくてカスタードでもアイスでも
苦い抹茶でも真っ黒なゴマでもなんかよく分からない変わり種でも…
どんな家族でも大丈夫大丈夫、って笑って包み込める。
自分が変わるんじゃなくて、お餅のままでどんな中身でも美味しくできる。
誰かに餡子きらーいって言われても
「あ、それならあちらに雪見大福あるのでそちらにどーぞ」
って笑って言えちゃう
やわやわふくふくの分厚いお餅みたいな…
そんな福の神お母さんでいれたら素敵じゃないですか?
あ、私お餅大好きなので厚めが好きです。あしからず。