このブログを始める理由|目に見える現実を動かすことを、もう諦めてみる
小さい頃の私は、人に勝つことや、何かで結果を出すことを目的にしていたわけではなかった。
ただ、その瞬間を味わっていた。
何者かになろうとするわけでもなく、誰かと比べるわけでもなく、今ここにいる自分として、目の前のことを楽しんでいた。
小学校に上がってからも、体育以外では、何かができなくて困るということはあまりなかった。
けれど、いつの間にか、もっと上を目指すこと、一番になること、より良い結果を出すことに興味を持つようになった。
一番の人を羨ましく思ったり、自分ももっとできるんじゃないかと思ったり。
今振り返れば、社会の価値観に少しずつ乗せられていたのだと思う。
より良い自分。
より良い人生。
何かを得ること。
何者かになること。
もちろん、何かを獲得していくことにはゲームのような楽しさもあった。だから、自分から少しやってみたかったという気持ちもあったのだと思う。
でも、そのゲームの中で、私は少しずつ自分を苦しめるようになっていった。
自分という自己像を背負う
何かを達成するたびに、新しい自分ができていく。
肩書きや役割、能力、経験。
こういう自分でありたい、こういう自分でなければならないという自己像。
そして、それを維持したり、さらに良くしたりするために、次々とやるべきことが生まれていく。
気づけば、いつも何かを背負っているような重たい体になっていた。
心も、思考も同じだった。
何者かである自分を守り、何者かである自分を良くし、何者かである自分として生きる。
そんな状態から離れて、赤ちゃんのように、自分が何者であるかという認識さえない状態で存在してみたいと思うようになった。
概念も、ジャッジも、余計な意味づけもない。
ただリラックスした体で、今この瞬間を味わう。
そんな生き方をしてみたい。
目に見える現実を動かそうとすることを、諦めてみる
37歳になった今、私は地球で生きることを、どこか生きづらいと感じていた。
人生が不器用だとも思っていた。
何かを目指して努力する。
目標を立てる。
習慣にする。
結果を出す。
そのために心や体に負担をかける。
そして、続けられなければ自分を責める。
また新しい方法を探し、もっと良い自分になろうとする。
この繰り返しに、もう疲れてしまった。
私は、体を何かをこなすための道具のように扱っていたのかもしれない。
日常の時間も、次の目的地へ向かうための移動時間になっていた。
今の行動は、次の何かを達成するため。
今の時間は、その先にある目的のため。
つまり、今を生きているようで、実際には今を次の目的のために消費していた。
そんな時間の使い方を、もうやめようと決めた。
宇宙の構成について、私たちが直接観測できる通常の物質は全体のごく一部で、残りの大部分はダークマターやダークエネルギーと呼ばれる、直接見ることのできないものだとされている。
このことを知ったとき、ふと思った。
私たちは、目に見える現実ばかりを何とか動かそうとしているけれど、それは本当に効率の良い方法なのだろうか。
結果や形、物理的な現実。
目に見える部分を変えることばかりに意識を向けるのではなく、その奥にあるものに意識を向けてみたい。
だから私は、一度、目に見える現実を動かそうとすることを諦めてみることにした。
同じことをしていても、内側が違えば人生は違う
これは、見えない世界を大切にするために、仕事を辞めるとか、今の環境を変えるとか、そういう話ではない。
今やっていることをやめる必要も、別の何かになろうとする必要もない。
大切なのは、同じことをしていても、どんな意図で、どんなエネルギーで、どんな体の状態で、それをしているのかということ。
例えば、同じ仕事をするにしても、
「やらなければならない」
「早く終わらせなければ」
「これを終わらせたら次に進める」
という意識で行うのか。
それとも、今この瞬間の自分の感覚を味わいながら、その行動をするのか。
外側から見れば、やっていることは同じかもしれない。
でも、内側で起きていることは全く違う。
体の緊張も、心の状態も、思考も、そこから生まれる行動も違ってくる。
私は、そうした自分の内側の状態を、もっと注意深く観察してみたい。
どんな意図を持っているのか。
どんな波長を放っているのか。
どんな体で存在しているのか。
そして、内側の在り方が変わったとき、日常や現実の体験はどのように変わっていくのか。
これは、私と世界への信頼を取り戻す実験
このブログは、37歳の私が、地球って生きづらいな、人生が不器用だなと思っていたところから、少しずつ生き方を逆転させていく記録である。
目に見えるものを変えようとするのではなく、目に見えないものに意識を向ける。
何かを達成するために今を使うのではなく、今という時間そのものを味わう。
自分を何者かにしようとするのではなく、何者でもないところから存在してみる。
そして、内側の在り方を整えることが、実際に目の前の物質的な現実にどのように現れてくるのかを、自分自身の体験を通して確かめていきたい。
これは、何もしないということではない。
同じように仕事をするし、食べるし、出かけるし、誰かと関わるし、何かを創る。
ただ、そのすべてを、何かを得るための手段にしない。
生きることそのものを味わいながら、その中で世界と自分を知っていく。
そうやって、私と、この世界への信頼を取り戻していきたい。
