田島貴男 オリジナルラブ
11/2(水) 夕刻、予期せず残業になった。しかも連日の残業でからだに疲れが溜まってしまった。一旦こうなるとなかなかリセットできない。仕方がない翌日のORIGINAL LOVEのライブは諦めよう、と長野でのライブを諦めた。ウチに帰って諦めモードで今日届いた新しいノートパソコンの電源を入れ、気を紛らわしながら、セットアップを始める…そのまま夜更かし突入…
11/3(祝) 午前 寝ぼけながらベッドから抜け出し、朝食を食べ、たいしてする事も無く、今日は何も変わった事は無いだろうと思いながら、だらだらと過ごす。
12:40 昼ごはんを食べ終わり、ソファでゴロゴロ。TVにwowowで録画したレミオロメンのライブが映っている… 違う、僕が見たいのはこのバンドじゃない…
13:15 オリジナルラブのホームページを見て、長野でのひとりソウルショウの開場まであと3時間15分ある事を確認する。富山から長野まで2時間半、まだ間に合う。ライブハウスに電話をかけて当日券にまだ余裕がある事を確認、急いで出発の準備。着替えも持って出発、ライブで疲れたら長野で泊まろう… そして、ひとりで出発、クルマで長野に向かう。iPhoneとiPadの道案内を頼りにクルマを走らす。途中の休憩時間はもったいない…
16:15 長野 CLUB JUNK BOX 到着。ここは、昔は長崎屋だったショッピングセンターの最上階、直通のエレベーターなんか無い。仕方が無くエスカレーターで1階ずつ上がる。ワンフロアが100均の階を抜けると、長野 CLUB JUNK BOXのフロアに到着した。見回すと、開場待ちの人がチラホラ…
16:30 開場。整理券の番号順に入場し始める。僕は当日券だから、整理券の人が全員入場が終わってから、ようやくチケットを手にする。
16:40 ようやく入場ができた。出来るだけ近くで見たいので、前へと詰める。前から3列目にポジション確保! 思っていたより人が少ない… あんまり盛り上がらないんじゃないか… とちょっと沈んだ気持ち…
17:00 小さなステージに田島番長が登場、ひとりソウルショウが始まる。ギター1本でウォーミングアップをするようにゆっくりと、徐々に力を込めながら…「ひとりソウルショウ、ひとりソウルショウ」とイントロを歌い始める。
一曲目が始まった。ギターのボディをドラムのように叩きながら、そのリズムをループマシンに入れる。間髪いれずにタンバリンを鳴らし、そのリズムをまたループマシンに記憶させる。ループマシンからは、ギターのドラム、タンバリンのリズムが組み合わされてループ再生されライブハウス全体にグルーヴとして広がる。ギターを演奏しながら歌い始める。首に固定されたブルースハープ(ハーモニカ)も吹き鳴らす。
田島番長はステージ中央に颯爽と立ち、細かくリズムを取る左脚のステップ、両手に抱えたギター、首に固定されたブルースハープ、そして張りのある声。とにかくひとりで演奏して歌うが、出てくる音に狂いは無く、見事に調和されている。曲の終盤には、ループマシンを使って、自分の声にまた自分の声を重ね、見事な多重ボーカルを完成させる。全てがひとりである。
番長が止まれば演奏は止まってしまう。番長がリズムを崩せばせっかくのグルーヴは崩れてしまう。しかし決してそんなことは起きそうに無い、素晴らしい安定感。今日のライブの為に、相当練習を積み重ねて来たに違いない。一曲目が終る頃には、田島番長は汗が吹き出している。
観客のハートは、グワっと鷲掴みされ、いつの間にか観客も手拍子やコーラスでバンドのメンバーに加わって行く。ひとりソウルショウというタイトルのツアーだが、決してひとりではない、ライブハウスを覆う一体感。
演奏が続くにつれ、ドレスシャツは汗でビッショリに濡れ、ギターも汗で濡れている。ギターの弦を押さえる左手の袖からは、汗がステージに滴り落ちる。それでも完成されたグルーヴは崩れない。
昔は長崎屋だったショッピングセンターのワンフロア。そのライブハウスでここまで完成されたライブが演奏されるなんて、誰が想像しただろうか?
ステージに立つ田島番長は、決して息を切らす事無く、リズムを崩すこと無く。ギターを叩き、タンバリンを叩き、ギターを弾き、ブルースハープを吹き鳴らし、歌い、観客をメンバーに加え、ライブハウスにいる全員をひとつにまとめてしまった。
激しい曲では、観客をメンバーに加えて、さらに激しく。静かな曲では、その声、ギターを聞き漏らすまいと、観客は息をひそめる。躍動と静寂。ライブハウスを覆う一体感。
「ひとりソウルショウ」はやがて観客を巻き込んで「ひとつソウルショウ」になった。
田島番長は2時間超、ほとんど休む事無く、ステージに颯爽と立ち、素晴らしいライブを続けた。
至福の時間だった。
新たなソウルが僕の中に生まれた。
夜をぶっとばせ
iPhoneからの投稿
11/2(水) 夕刻、予期せず残業になった。しかも連日の残業でからだに疲れが溜まってしまった。一旦こうなるとなかなかリセットできない。仕方がない翌日のORIGINAL LOVEのライブは諦めよう、と長野でのライブを諦めた。ウチに帰って諦めモードで今日届いた新しいノートパソコンの電源を入れ、気を紛らわしながら、セットアップを始める…そのまま夜更かし突入…
11/3(祝) 午前 寝ぼけながらベッドから抜け出し、朝食を食べ、たいしてする事も無く、今日は何も変わった事は無いだろうと思いながら、だらだらと過ごす。
12:40 昼ごはんを食べ終わり、ソファでゴロゴロ。TVにwowowで録画したレミオロメンのライブが映っている… 違う、僕が見たいのはこのバンドじゃない…
13:15 オリジナルラブのホームページを見て、長野でのひとりソウルショウの開場まであと3時間15分ある事を確認する。富山から長野まで2時間半、まだ間に合う。ライブハウスに電話をかけて当日券にまだ余裕がある事を確認、急いで出発の準備。着替えも持って出発、ライブで疲れたら長野で泊まろう… そして、ひとりで出発、クルマで長野に向かう。iPhoneとiPadの道案内を頼りにクルマを走らす。途中の休憩時間はもったいない…
16:15 長野 CLUB JUNK BOX 到着。ここは、昔は長崎屋だったショッピングセンターの最上階、直通のエレベーターなんか無い。仕方が無くエスカレーターで1階ずつ上がる。ワンフロアが100均の階を抜けると、長野 CLUB JUNK BOXのフロアに到着した。見回すと、開場待ちの人がチラホラ…
16:30 開場。整理券の番号順に入場し始める。僕は当日券だから、整理券の人が全員入場が終わってから、ようやくチケットを手にする。
16:40 ようやく入場ができた。出来るだけ近くで見たいので、前へと詰める。前から3列目にポジション確保! 思っていたより人が少ない… あんまり盛り上がらないんじゃないか… とちょっと沈んだ気持ち…
17:00 小さなステージに田島番長が登場、ひとりソウルショウが始まる。ギター1本でウォーミングアップをするようにゆっくりと、徐々に力を込めながら…「ひとりソウルショウ、ひとりソウルショウ」とイントロを歌い始める。
一曲目が始まった。ギターのボディをドラムのように叩きながら、そのリズムをループマシンに入れる。間髪いれずにタンバリンを鳴らし、そのリズムをまたループマシンに記憶させる。ループマシンからは、ギターのドラム、タンバリンのリズムが組み合わされてループ再生されライブハウス全体にグルーヴとして広がる。ギターを演奏しながら歌い始める。首に固定されたブルースハープ(ハーモニカ)も吹き鳴らす。
田島番長はステージ中央に颯爽と立ち、細かくリズムを取る左脚のステップ、両手に抱えたギター、首に固定されたブルースハープ、そして張りのある声。とにかくひとりで演奏して歌うが、出てくる音に狂いは無く、見事に調和されている。曲の終盤には、ループマシンを使って、自分の声にまた自分の声を重ね、見事な多重ボーカルを完成させる。全てがひとりである。
番長が止まれば演奏は止まってしまう。番長がリズムを崩せばせっかくのグルーヴは崩れてしまう。しかし決してそんなことは起きそうに無い、素晴らしい安定感。今日のライブの為に、相当練習を積み重ねて来たに違いない。一曲目が終る頃には、田島番長は汗が吹き出している。
観客のハートは、グワっと鷲掴みされ、いつの間にか観客も手拍子やコーラスでバンドのメンバーに加わって行く。ひとりソウルショウというタイトルのツアーだが、決してひとりではない、ライブハウスを覆う一体感。
演奏が続くにつれ、ドレスシャツは汗でビッショリに濡れ、ギターも汗で濡れている。ギターの弦を押さえる左手の袖からは、汗がステージに滴り落ちる。それでも完成されたグルーヴは崩れない。
昔は長崎屋だったショッピングセンターのワンフロア。そのライブハウスでここまで完成されたライブが演奏されるなんて、誰が想像しただろうか?
ステージに立つ田島番長は、決して息を切らす事無く、リズムを崩すこと無く。ギターを叩き、タンバリンを叩き、ギターを弾き、ブルースハープを吹き鳴らし、歌い、観客をメンバーに加え、ライブハウスにいる全員をひとつにまとめてしまった。
激しい曲では、観客をメンバーに加えて、さらに激しく。静かな曲では、その声、ギターを聞き漏らすまいと、観客は息をひそめる。躍動と静寂。ライブハウスを覆う一体感。
「ひとりソウルショウ」はやがて観客を巻き込んで「ひとつソウルショウ」になった。
田島番長は2時間超、ほとんど休む事無く、ステージに颯爽と立ち、素晴らしいライブを続けた。
至福の時間だった。
新たなソウルが僕の中に生まれた。
夜をぶっとばせ
iPhoneからの投稿
『あなたね、私が中国から日本に来てもう、6年間、なんで電話ひとつかけてこないの? どうゆうつもりなの? もう、友達なんかじゃ無いよ!』のっけから叱られている。まあ、仕方がない…携帯電話の番号を無くしてしまった僕が悪い。
『だいたいね、あなたは日本人、私は中国人、そしてここは日本。あなたが主人で私は客人ですよ。なんで客人として招待してくれないの? 北京で散々世話してあげたでしょ1995年に!』もう立つ瀬が無い…僕の回答は「ああ、ごめんごめん…また連絡するからね」と決まりの悪い返事で電話を切った。
劉さんという名前の中国人女性、僕にとっては北京時代(1995年~96年)の大恩人だ。当時、北京の瑠璃廠という古い街並みにあるお土産屋さんで日本語のできる販売員として活躍していたのがその劉さんだ。高校を卒業して安徽省から北京にひとりでやって来て、当初は語学学校で日本語を勉強していたが、家族の生活が厳しくなり、学校をやめてそのまま販売員になった。その後は稼ぎの殆どを安徽省に仕送りし、両親と5人の兄弟を養って来た頑張り屋さんだった。
僕らがそのお土産屋さんで買うと彼女にバックマージンが入る仕組みである。僕らというのは当時北京語言学院に企業から派遣されていた留学生仲間のことである。
僕らが企業派遣生が一食25元の弁当を食べる横で、劉さんは2元の弁当を食べている。無駄遣いを嫌い、交通手段も常に最も安い方法を選ぶ。タクシーに残る僕らとは別に、自分は月票と呼ばれる北京の公共期間の1カ月定期券を持って、地下鉄やバスで移動している。僕らが冬物の服を買いに行く時、同行してくれて、露天商と切った張ったの値段交渉をしてくれる、もう半額に値切るのなんか当たり前だ。中国人らしく同郷の友人達とのネットワークもあり、映画館に只で潜り込ませてくれたり、中国雑技の特等席のチケットをこっそり格安で手にいれてくれたり、全聚徳の北京ダックを食べにいくと、国家主席の調理を担当するコックをテーブルまで連れて来てくれたりと、本当の中国人社会を僕らに教えてくれた恩人である。だからと言って僕らに媚びること無く、あくまで対等、決してチップなんか受け取らない、そんなものを渡そうとすると『バカにしないで!!』とそんな剣幕で怒る。マジで叱られる… なので僕らは必然的に、友人や知人と一緒に彼女のお土産屋さんで買い物をする。そのバックマージンが彼女の唯一の収入、なので決して多くはない。その収入の殆どを安徽省に仕送りし、自分はというと月40元の部屋に住んでいる。僕の泊まる宿舎が一晩で200元である…
ある時、みんなで劉さんに恩返しをしようということになった。で、何が欲しいかと聞いたら、帰ってきた答えが、白菜、だった。ちょうど晩秋、北京には郊外から馬車が沢山やってくる。馬車の荷台には山のように白菜が載っている。日頃の感謝を込めて僕ともう一人の日本人でその白菜を買って彼女の部屋に運ぶ。両脇に白菜を抱えて運ぶが、その重いこと、重いこと。その白菜は胡同(フートン)と呼ばれる北京の長屋の壁際に高く積まれる。新鮮な野菜が手にはいらない北京の冬、その白菜を毎日少しづつ食べて春を迎える。それが当時の北京の冬の生活だった。頑固な劉さんはその白菜しか受け取ってくれなかった… 年下だけど、当時から頑固なおばちゃんだったのである。
そんな劉さんが、日本人男性と結婚して、立川にやって来たのは、7年前の事である。
そして、僕は携帯電話が壊れた際に、劉さんの電話番号を無くし、それ以来、全く連絡をとっていなかった。でウチで書類を片付けている時、その旦那さんの名刺を見つけて、漸く劉さんに連絡をとったのだった。
『だいたいね、あなたは日本人、私は中国人、そしてここは日本。あなたが主人で私は客人ですよ。なんで客人として招待してくれないの? 北京で散々世話してあげたでしょ1995年に!』
こう言われて、直ぐに思い立った。明日、晩ご飯を一緒に食べよう!
ちょうどその日は東京出張。立川の手前にある国分寺は僕が大学時代に4年間過ごした場所、行き付けのイタリア料理屋さんがある。さっそく予約するためインターネットで探す。
国分寺市南町 せもりな そして予約する。せもりな もう8年ぐらい行っていない… 電話をしてマスターを探すがなんとマスターは福島県会津に2号店を構え、今は会津にいる(あぁ、マスターにも会いたかったのに…)
予約が終わって、都内から劉さんに電話をいれる。「今夜6時に、国分寺のせもりなに来て、場所はメールで伝えるね…」
6時になる。せもりなで再会。
『あなた、全然変わらないね! 何食べてたの?』「白菜だよ」『ギャハハ!』
『今日はどうしたの?なんで東京に来たの?』「我来东京作客(僕は東京に客をもてなしに来たんだよ)、昨日、電話で叱られちゃったし…」『ギャハハ』
『このお店、どうやって知ったの?』「国分寺は今から25年前。大学時代に住んでた町だよ。その時からここの料理が大好きなんだよ」『うん、おいしい』「当時はここのパスタだけじゃお腹いっぱいにならないから、まずは学食でご飯を食べて、それからパスタを食べに来たんだよ。学生には高かったからね…」『そう言えば、私が2元の弁当を食べているとき、25元の弁当を食べていたね(^ ^)』「あぁ、ごめんごめん(ーー;)。今度、白菜持って来るから。」『ギャハハハ』
と、周りを気にせずに大声で中国語で喋りあう。久しぶりの再会。劉さんがiPhoneを買ったら、今度は中国語でメールをやり取りする事になった。
作客人!
次は会津か…
ちょっと、遠いな…
待ってろマスター!
iPhoneからの投稿
『だいたいね、あなたは日本人、私は中国人、そしてここは日本。あなたが主人で私は客人ですよ。なんで客人として招待してくれないの? 北京で散々世話してあげたでしょ1995年に!』もう立つ瀬が無い…僕の回答は「ああ、ごめんごめん…また連絡するからね」と決まりの悪い返事で電話を切った。
劉さんという名前の中国人女性、僕にとっては北京時代(1995年~96年)の大恩人だ。当時、北京の瑠璃廠という古い街並みにあるお土産屋さんで日本語のできる販売員として活躍していたのがその劉さんだ。高校を卒業して安徽省から北京にひとりでやって来て、当初は語学学校で日本語を勉強していたが、家族の生活が厳しくなり、学校をやめてそのまま販売員になった。その後は稼ぎの殆どを安徽省に仕送りし、両親と5人の兄弟を養って来た頑張り屋さんだった。
僕らがそのお土産屋さんで買うと彼女にバックマージンが入る仕組みである。僕らというのは当時北京語言学院に企業から派遣されていた留学生仲間のことである。
僕らが企業派遣生が一食25元の弁当を食べる横で、劉さんは2元の弁当を食べている。無駄遣いを嫌い、交通手段も常に最も安い方法を選ぶ。タクシーに残る僕らとは別に、自分は月票と呼ばれる北京の公共期間の1カ月定期券を持って、地下鉄やバスで移動している。僕らが冬物の服を買いに行く時、同行してくれて、露天商と切った張ったの値段交渉をしてくれる、もう半額に値切るのなんか当たり前だ。中国人らしく同郷の友人達とのネットワークもあり、映画館に只で潜り込ませてくれたり、中国雑技の特等席のチケットをこっそり格安で手にいれてくれたり、全聚徳の北京ダックを食べにいくと、国家主席の調理を担当するコックをテーブルまで連れて来てくれたりと、本当の中国人社会を僕らに教えてくれた恩人である。だからと言って僕らに媚びること無く、あくまで対等、決してチップなんか受け取らない、そんなものを渡そうとすると『バカにしないで!!』とそんな剣幕で怒る。マジで叱られる… なので僕らは必然的に、友人や知人と一緒に彼女のお土産屋さんで買い物をする。そのバックマージンが彼女の唯一の収入、なので決して多くはない。その収入の殆どを安徽省に仕送りし、自分はというと月40元の部屋に住んでいる。僕の泊まる宿舎が一晩で200元である…
ある時、みんなで劉さんに恩返しをしようということになった。で、何が欲しいかと聞いたら、帰ってきた答えが、白菜、だった。ちょうど晩秋、北京には郊外から馬車が沢山やってくる。馬車の荷台には山のように白菜が載っている。日頃の感謝を込めて僕ともう一人の日本人でその白菜を買って彼女の部屋に運ぶ。両脇に白菜を抱えて運ぶが、その重いこと、重いこと。その白菜は胡同(フートン)と呼ばれる北京の長屋の壁際に高く積まれる。新鮮な野菜が手にはいらない北京の冬、その白菜を毎日少しづつ食べて春を迎える。それが当時の北京の冬の生活だった。頑固な劉さんはその白菜しか受け取ってくれなかった… 年下だけど、当時から頑固なおばちゃんだったのである。
そんな劉さんが、日本人男性と結婚して、立川にやって来たのは、7年前の事である。
そして、僕は携帯電話が壊れた際に、劉さんの電話番号を無くし、それ以来、全く連絡をとっていなかった。でウチで書類を片付けている時、その旦那さんの名刺を見つけて、漸く劉さんに連絡をとったのだった。
『だいたいね、あなたは日本人、私は中国人、そしてここは日本。あなたが主人で私は客人ですよ。なんで客人として招待してくれないの? 北京で散々世話してあげたでしょ1995年に!』
こう言われて、直ぐに思い立った。明日、晩ご飯を一緒に食べよう!
ちょうどその日は東京出張。立川の手前にある国分寺は僕が大学時代に4年間過ごした場所、行き付けのイタリア料理屋さんがある。さっそく予約するためインターネットで探す。
国分寺市南町 せもりな そして予約する。せもりな もう8年ぐらい行っていない… 電話をしてマスターを探すがなんとマスターは福島県会津に2号店を構え、今は会津にいる(あぁ、マスターにも会いたかったのに…)
予約が終わって、都内から劉さんに電話をいれる。「今夜6時に、国分寺のせもりなに来て、場所はメールで伝えるね…」
6時になる。せもりなで再会。
『あなた、全然変わらないね! 何食べてたの?』「白菜だよ」『ギャハハ!』
『今日はどうしたの?なんで東京に来たの?』「我来东京作客(僕は東京に客をもてなしに来たんだよ)、昨日、電話で叱られちゃったし…」『ギャハハ』
『このお店、どうやって知ったの?』「国分寺は今から25年前。大学時代に住んでた町だよ。その時からここの料理が大好きなんだよ」『うん、おいしい』「当時はここのパスタだけじゃお腹いっぱいにならないから、まずは学食でご飯を食べて、それからパスタを食べに来たんだよ。学生には高かったからね…」『そう言えば、私が2元の弁当を食べているとき、25元の弁当を食べていたね(^ ^)』「あぁ、ごめんごめん(ーー;)。今度、白菜持って来るから。」『ギャハハハ』
と、周りを気にせずに大声で中国語で喋りあう。久しぶりの再会。劉さんがiPhoneを買ったら、今度は中国語でメールをやり取りする事になった。
作客人!
次は会津か…
ちょっと、遠いな…
待ってろマスター!
iPhoneからの投稿


