小林季代子さん


201111月、極度の腹痛。

しかし翌日には収まる。

この頃、二つの仕事を掛け持ちしていて、さらに家事・育児と休みなく働いていた。

夜遅くなることも多い上に、家族から頼まれた劇団のマネージメントにも手を貸していた。

12月、3㎝ほどの固いシコリに気付く。

201217日、近所の内科を受診すると、卵巣嚢腫の疑いとの診断。

内科医の勧めにより、産婦人科を受診すると、詳しい検査が必要とがんセンター宛の紹介状を出してもらう。

早速がんセンターへ予約の電話を掛けたところ、5月になるとの回答。

もう一度産婦人科に戻り、埼玉医科大宛の紹介状を出して貰うと、翌日に受診できた。

そこから検査に次ぐ検査で、その間に体力はどんどん低下。

早く入院したくて病院に何度も掛け合ったが、ベッドが空けば連絡するとの一点張り。

ようやく手術の番が来て、卵巣と子宮を切除。

それと同時に、卵巣明細胞腺ガンⅢ期のBと判明。

今回の手術ではガンを全て取りきれなかったので、1ヶ月後に再手術が必要。

それまでに抗ガン剤で叩いて小さくすると告げられる。


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(本文とは関係ありません)


抗ガン剤投与のための新たな入院中に手にした本がある。

そのタイトルは『治る力』

いわゆる〈手当て〉の技法書だった。

当時はそんな知識も乏しく、タイトルに惹かれて選んだだけという。

しかし繰り返し治る、治ると書かれた内容に感銘を受け、勇気付けられて、この本を読むことが日課となった。

その一方で、『効くかもしれないし、効かないかもしれない』と説明された抗ガン剤を、打つという選択をしたことへの後悔が次第に強くなっていった。

そして退院。

それから1週間が経過した外来受診日。

心の中には抗ガン剤を断る決意が固まっていた。

しかし主治医の反応を気にすると、順番が近付くにつれて気持ちが焦ってくる。

言葉で伝える自信が揺らいでくる。

そこで意思を手紙にして伝えたところ、主治医は深いため息をついた後、想像とは違う穏やかな声で応えた。

「僕はやはり、患者さん自身が決めるのが、一番いいと思っています」


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(本文とは関係ありません)


以来、ガン患研のセミナーを連続で受講して、〈手当て〉の専門的な技法の習得と実践に努めた。

また別のセミナーでは、ガンがライフスタイルの乱れ、食事の乱れ、心の持ち方の乱れから来ることを学んだ。

さらにガンは人生の病だとも教わった。

人間関係のもつれ、夫婦の不和、生きがいの喪失、金銭問題、トラウマ、自己否定、愛情に乏しかった成育歴など、長年放置されてきた難問が人生の病だという。

これが心に大きな傷をつくり、ストレスとなる。

だから一つ一つ、その難問を解決していく必要があると。


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(本文とは関係ありません)


ガンの診断を受けてから約一年後の20135月。

手術で取り残した3.5㎝のガンの消失に成功した。