久しぶりに、こういうの観て、
いろいろと忘れかけていた「当たり前に感謝の精神」を
思い出しました。


「ごめんなさいね おかあさん」


ごめんなさいね おかあさん

ごめんなさいね おかあさん
...
ぼくが生まれて ごめんなさい

ぼくを背負う かあさんの

細いうなじに ぼくはいう

ぼくさえ 生まれなかったら

かあさんの しらがもなかったろうね

大きくなった このぼくを

背負って歩く かなしさも

「かたわな子だね」とふりかえる

つめたい視線に 泣くことも

ぼくさえ 生まれなかったら

ありがとう おかあさん

ありがとう おかあさん

おかあさんが いるかぎり

ぼくは生きていくのです

脳性マヒを 生きていく

やさしさこそが 大切で

悲しさこそが 美しい

そんな 人の生き方を

教えてくれた おかあさん

おかあさん

あなたがそこに いるかぎり



この詩は、いまから27年前、
15歳で亡くなった山田康文くん
やっちゃんが作った詩です。

重度の脳性マヒで、全身が不自由、口も利けないやっちゃんが、
いのちのたけを託して作った詩です。

私が勤めていた奈良県立明日香養護学校に
やっちゃんが入学してきたのは昭和43年、彼が8歳の時でした。

以来、担任として、学部主事として、
そして最後は言語訓練教師として
足かけ8年の付き合いでした。

この詩が生まれたのは、やっちゃんが亡くなる、
わずか2か月前のことでした。

当時私は、養護学校卒業後の障害者たちが集える
「たんぽぽの家」をつくろうと、障害児のお母さん方とともに、
「奈良たんぽぽの会」を結成していました。

この運動もいまではOLや学生など若者たちの支持を得て、
全国で4,000人の会員を擁する全国運動に盛り上がっています。

その活動の一環として、養護学校の生徒の詩に
フォーク好きの学生さんが曲をつけ、
奈良文化会館の大ホールで
コンサートをする企画が持ち上がったのです。

障害程度の軽い子は、自分で詩を書くことができます。
文字が書けない子でも、手足の指や口を使って
電動タイプを打つことができます。

しかし、やっちゃんのように重度の子の場合は、
先生である私が抱きしめて、全身で言葉を聞くのです。

私が言う言葉がやっちゃんの言いたい言葉だったら、
やっちゃんはウインクでイエスのサインを出します。

ノーのときは下を出す。脳性マヒの緊張や
アテノーゼ(不随意運動)さえも、
やっちゃんの発する意思表示です。

そうやって時間をかけてやっちゃんの言葉の世界に
近づいていく作業が始まりました。

言語訓練をしていた私の手元には、
一人ひとりの子どものノートがありました。

やっちゃんのノートには、どのページも


「ありがとう」

「おかあさん、ごめんね」


という2つの言葉で埋まっていました。


最初は『ごめんね おかあさん』
これを題にしようかと私が言うと、
“ノーノー、いやだ”と舌を出します。

それじゃ、男らしく
『ごめんよ かあさん』これはどう?と言うと、
またノーのサイン。

今度は上下を逆にして、
『かあさん ごめんよ』とやってみます。

どうもピッタリこないんだなあ、というやっちゃんの顔。

私の頭に浮かぶ限りの言葉の組み合わせの中から、
やっと、やっちゃんがウインクでイエスのサインを出したのは、


『ごめんなさいね おかあさん』


でした。


こうやって何か月もかけてやっと前半部分ができた時、
やっちゃんのお母さんに見てもらいました。

読み終えてもお母さんは無言でした。

ただ目頭を押さえて、立ちつくしていました。


「やっちゃんが、これを……」

と、かすかに言われたように思います。

そのせり上がる思いが私にも伝わってきました。

『わたしの息子よ』と呼びかけたお母さんの詩が
私の手元に届いたのは、すぐ次の日のことです。
今度は私が立ちつくしました。



わたしの息子よ ゆるしてね

わたしのむすこよ ゆるしてね

このかあさんを ゆるしておくれ

お前が 脳性マヒと知ったとき

ああごめんなさいと 泣きました

いっぱいいっぱい 泣きました

いつまでたっても 歩けない

お前を背負って歩くとき

肩にくいこむ重さより

「歩きたかろうね」と 母心

“重くはない”と聞いている

あなたの心が せつなくて

私の息子よ ありがとう

ありがとう 息子よ

あなたのすがたを見守って

お母さんは 生きていく

悲しいまでの がんばりと

人をいたわるほほえみの

その笑顔で 生きている

脳性マヒの わが息子

そこに あなたがいるかぎり



このお母さんの心を受け止めるようにしてやっちゃんは、
後半の詩づくりにまた挑んだのです。

やっちゃんが言う「ごめんなさいね」は、
母へのいたわりと思いやりがあふれていました。

向野幾世(奈良大学講師) 『致知』2002年9月号より

オレ
もっともっと経験値、上げて
感性、磨いて
精神的に成長しなきゃな!!!

去年から、「月会」っていうヤツやってます。


内容は、僕やアルファホームズのK店長が中心となって

適当に仲間や、お客様集めて

適当に皆で、錦糸町の美味しいお店や、まだ行った事のない

美味しそうなお店に突撃するっていう


会です。


だいたい、毎回5~7店舗ぐらい行きます。


だから食べるのは、そこの名物料理だけ。

もしくは、最初から決めてるモノだけ。


の会です。



名前、センスないっすよね?

月曜にやるから月会。。。。。。

K氏が決めました。


3日前の11日に今年2回目の月会、やっちゃいました!!


今回は、どうしても皆に紹介したいお店が2つ、あって。


アントっていう居酒屋と我が家っていう韓国料理のお店。


両方とも行けたので、僕的には満足っす!


でも・・・・

今回、最初に行ったザクで僕は遅れちゃったんですが

約1名、フルコース並みにがっつり料理を頼んでしまった方がいて。。。。


その後のお店で、皆があまり食べられなかったのが

少し残念すね。。。。



でもね、我が家には、おととい、昨日って月会のメンバーが

何人か行ったみたいで。


嬉しいっすね。


我が家の「ブデチゲ」&ママには癒されます!!


しかし、、、、

K氏は日本酒飲むとホント悪人になるから

怖いわぁ。。。。


だいたい二カ月に一回位のペースで

やっているんで、来てみたい方はゼヒゼヒ。


Iドキドキ錦糸町





現在、30店舗近く直営で「エステティックサロン」を経営している

株式会社ビメンド


そのビメンド様から、去年の9月頃にビッグチャンスを頂きました。


今、とあるスポーツジムとビックプロジェクトを考えているんだけど、

そのスポーツジム内でやるエステを全てFCでやってみないか??


まぁ、そこに辿り着くまでに、もちろん色々な事があった訳ですが。


「やります!やらせて下さい!!」

即答ですよね。


そんなこんなで、まずは静岡県浜松にて

今週16日グランドオープンです!!


今後は、うまく行けば

埼玉・千葉と展開していく予定です。

うまく行けば、

ですけど。


外食産業の市場規模は約24兆円

エステ事業の市場規模は約3,500億円


ちょっと縮小されますが、それでも今後

ネイルやヘッドスパ等で新総合美容サロンのニーズが高まってくる可能性が大きいみたいです。


実際、ビメンド様は本当に潤っています。

半年に一回は海外研修。

3か月間の予算が達成すれば

チームで高級ホテルへ。もちろんディナー付き。

給料も完全歩合制。


夢がモリモリ。


あと今回やってみて一番驚いたのは

人です。

東京でも静岡でも働きたい女の子が、非常に多いのです。


正直、外食産業の9割は、この「人」で悩まされていると思います。


この「人」の部分で、悩まずに経営できるって本当に恵まれていますよね。


すでに、浜松で5人の精鋭部隊が頑張ってくれています。

そしてスタートは、店長は置かずに3ヶ月間で一番店長の仕事をしてくれた方を

店長にしようと決めています。

この考えは、今の飲食業でも同じ考えです。


できそうだから、面白そうだから、で店長は決めません。


店長ではないけど、すでに店長の仕事をしている人じゃないと難しいと考えています。


な~~んて、書いてたら

は○め団長に「お前、何もしないのに何言ってるの?」

って間違いなく言われるので、この辺で。。。。


でも、これから

た~~~くさんの事が

待ってるんだろうな。

ワクワク・ドキドキ


スピーディーに判断できるように、もっともっと情報量を増やしていかねば!!