8月1日 | SHAKE あまねのブログ

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高校生の頃に友達と渋谷で遊んでいると
なんとかTVの取材を名乗る人から唐突に

「バタフライナイフ持っていますか?」

と聞かれたことがある。

最近では悲しいことに少年少女の凶悪犯罪が増えているが
俺がガキの頃にも凶悪犯罪はあった。
それが何故今になってこうもクローズアップされるのか分からないが
間違いなく俺がガキの頃からあった。

2chで有名な佐賀のバスジャック事件。
神戸の酒鬼薔薇事件。
最近だと、長崎の少女の事件かな。

若者の闇ってなんだろう。

分からない。
答えが出てきそうで出てこない。

けれど、自分が高校生の頃は大人が嫌いだった。
上から頭ごなしに物を押し付けて
身なりで人を判断する大人がとても嫌で仕方なかった。
人は人、自分は自分なのに、高校生の頃はどういうわけか
大人の言動が許せなかった。
大人たちの態度に傷つき、怒り、反発した。
全て他人事なのに。

思春期に入れば体も劇的に変化し、ホルモンのバランスも崩れる。
体が変化している時は心だって変化する。
そういう変化の時期に「変化すること」はいけないことだと、大人から言われる。
なんでだろう。
変化しなかったら大人になんかなれないのに。
小学生が変化せずに中学生に、中学生が変化せずに高校生になれるわけがない。
中学生は激変の時期なのに、子供の変化に大人がついていけない。
変わることを経験しない大人は子供の変化すら受け入れられなくなるのかな。

俺は今、すっかり大人になってしまったから
人は人だから、と思える。
状況の中でどう行動するかは個人の自由だ、と冷静に傍観出来る。
他人が自分に侵入してきて苦しむことはなくなった。
だけど、高校生の頃の俺はそうではなかった。
結局大人は自分さえよければ人はどうなってもいいんだ、と思うと
それだけで苦しくて絶望していた。

自分と親とか、自分と社会の境界線が曖昧で、周りの人間が理不尽な事をすると
その理不尽さに自分が押しつぶされていた。
そして、苦しんでた。

だけど、俺は幸運なことにカッコイイ大人にも沢山出会った。
しっかり自分におとしまえをつけているような大人の男や女とも
思春期の頃に出会った。
その人たちが、この社会の物凄い理不尽や
とてつもない不合理と体を張って闘っているのを見せてもらった。

その頃から、つまんないことで自分が絶望してちゃいけないって思った気がする。

俺がくだらない大人に絶望して拗ねてても、世の中をナメても
結局はそれは何の意味もない。
優しい奴ほど図太くならなきゃいけないんだな、とそう思った。

ガキの頃は親の背中を見て育ってきたけど
思春期以降は赤の他人の背中を見て生きてきた。

他人の背中に育てられて、ここまで来たのだと思う。

若者を絶望から救うような、そんな背中を今俺はしているだろうか。
自信はない。
だけど、きっと誰かは俺の背中を見ている。
そう思って生きている。

かつて俺がそうだったように。

感謝