思考と呼吸 | SHAKE あまねのブログ

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何も考えないというのは非常に難しい。
人間は常に何かを考えてしまうから。

眠る時に何も考えないようにしてみる。
ところが、何も考えないようにしなくては、と考えている。
何も考えないことをやめよう、と思う。
ところが、やめようと思った時点でもう考えている。

キリが無くて頭の中がバクテリア状態。
どうやったら考えないでいられるのか、本当にそんなことが出来るのか疑問だった。
考えまいとすればするほど頭の中が言葉でいっぱいになる。
自分が何も考えてない時ってどんな時だろうって思った。

ギターを手にして弾いている時は何も考えていないような気がする。
他の事に集中している時、俺は何も考えないみたい。

昔ある人に呼吸が大事だと言われた。
自分の呼吸に意識を集中する。
そうすると呼吸に意識が向いて何も考えない状態が訪れる。
その状態をなるべく長く維持していく。
そうしていくとだんだんと自我が消える。

当時の俺には自我を消すということが理解出来なかった。
そんな風に透明の自分になってしまったら
面白いことも
悲しいことも
何も感じなくなってロボットみたいでつまらねーって思ったから。
鏡のように真っ平な平静な心に憧れはしても
自分がそうなりたいとは思わなかった。
物も欲しい、金も欲しい、恋愛もしたい。
物欲に塗れて心は乱れても、それが人生じゃん、って思ってたから。

呼吸は、その字の通り「吐く」そして「吸う」である。
いかに吐くかが問題であって、吸うのはどうでもいいと言えばどうでもいい。
オギャーと生まれた時も人間はまず息を吐く。
そして吸う。
というよりも吐かないと吸えない。
呼吸というのは生命活動の基本。
心理療法、気孔、ヒーリング、心理学、ニューエイジ。
超能力からオカルト。
スケボー、サーフィン、スノーボード、ダイビング、山登り。
何処へ行っても基本は呼吸。

息。

人間は呼吸によって自然と繋がっている。
何故か分からない、息を吐いて吸うことで世界の脈と繋がれる。

いったい、息って、呼吸って何なんだよ。
不思議だった。
これほど人間にとって重要なものが他にあるんだろうか。
でもいったい何故。
そして何故多くの人はこの事実をあまり知らないのか。

呼吸に意識を集中して、呼吸を整える。
そのことに慣れてくると、確かに情緒は安定する。
興奮している時は過呼吸気味だし、緊張している時は息を止めがち。
つまり酸欠がちの状態。
そういう時に、身体への酸素の供給量を安定させてあげると気持ちが落ち着く。
それは理屈で分かる。
脳内物質が調整されるからだろう。
でも、それと同時に、もうひとつの事が起こる。
自分の中心に意識が落ち着く、と言うべきか。

自分の中心を知ること。

自分の中心に意識を置けるようになると
外部からの刺激が加わってもその中心から自分が大きくそれることがなくなり安定するのだと。
ゆっくり意識的に呼吸をしていると
自分の中心に居ることが出来るようになる、ということなんだろうか。
うまく言葉では表現出来ない。

ただ、俺はガキの頃、キャンキャン喚く犬のような呼吸をしていたなぁ、と自分でも思う。
それに比べれば確かに呼吸というものの重要性を知った今
そして呼吸に意識を向けるようになった今は自分という中心からそんなにズレなくなった。
相変わらず俺は短気だし、人の目を気にするし、ちょっとしたことで落ち込むし
話かけまくって来るタクシーの運転手に腹を立てたり
レジが遅いとイライラしてお金を置き、釣り銭を貰わないで店を出たり
そういう事をする奴であるが
それでも、根に持たなくなった。
すぐに流れてしまう。
最近は不愉快だなぁと思っても数分で消えてしまう。
非常に精神衛生上良い。
これは忘れてしまうのでは決してない。
日本語というものはとても素晴らしいもので、ぴったりの表現がある。

「水に流す」って感じ。

水に流すの表現は「フォゲット」ではなく、忘れるんじゃなくて、流れていく。
そんな感じ。

川の上をゴミが流れてくる。
それが自分にぶつかる。
自分もなんとなくゴミの方に引かれる。
でも、自分には重心がある。
いつしかゴミは自分を離れ、どんどん下流へと流れていく。
自分はまた元の位置に戻る。
そういう感じ。
影響は受けるのだけど、自分も一緒には流れない、外から来たものが去っていく。
こだわりを捨てるとか欲を捨てるとかよく言うけど
こだわらない、欲を持たないということでは決してなくて
一度こだわって捨てる、一度欲しがって、でもその思いからすぐ離れる
ってことなのかなと思う。
それなら分かる。

ガキの頃の俺は、こだわらない、欲しがらない、が自我を捨てることだと思ってた。
だからそんなのつまらないって思ってた。
そうじゃなくて、あらゆる刺激に反応しながら
でも、そこにはとどまらない、って事ならこんな素晴らしい生き方ってないなぁって思えた。
そんな風になれたらいいなぁって。
反応するけど、とどまらない。
影響されるけど流されない。
自分に戻る。

おかげで、怒りと憎しみで生きてきた俺にとって
父親のこと、義理の父親のこと、親戚のこと、その周りのこと
親友、友達、知り合い、他人、男、女。
全て和解したし、誰とも喧嘩はしていない。
もっと早くこうなりたかったなぁと思うのだけど
それは自分が愚かだから仕方がない。

自分の中心を知っている人を見ていると
確かに物事や他人にこだわらない。
こだわらないけど、人間的で泣いたり笑ったり怒ったり悲しんだりしながら
だけど、すぐ元の自分の位置に戻ってニコニコしている。
凄く魅力的。
逆に、私は達観しているので何事にも動じないよ、という風情の人は
のっぺらぼうで可愛くない。
いくらニコニコしててもどっか頑固に見えて付き合い難い。
勿論、それも一つの生き方で、極めれば格好良いかもしれない。
不動心持ってる人なんて、生まれてこの方一人しか出会ったことはないけど。
俺みたいな一般人向きではないなぁと思う。

いくら動じても
いくら落ち込んでも
それで良いと思う。
また元の自分の位置に戻って来れば。
考えたらこれって、子供達が日常的にやってることだ。
嫌なことがあっても立ち直って自分に戻る。
ただ、その戻る時間が早いか遅いか。
自分に戻るのに十分しかかからない人も居れば、十年かかる人も居る。
最近は、ただ元の自分に戻って来るだけじゃ進歩ないんじゃないかなぁ、なんて事を考えてた。
それに立ち直りが早いというのもどうも軽薄な感じがして。
世代的に、重厚に生きろという学校教育を受けたせいか、物事を軽くとらえることに罪悪感がある。
だが、それでも
どんな考え方もあっていい。
間違いってのはない。
どんな考え方も世界にグラデーションを作る為にある。
どんな考え方も世界に濃淡を与え、世界を立体にする。
だから、どんな考え方も世界を描く点描の点だと思えるようになった。

やって来るものを受け止めながら手放していけばいい。
どんなものでも自分にやってくるものはプレゼント。
受け止めて手放せばいい。
そうしていくと、受け止めた衝撃で流れが起こって自然にあるべき方に流れていく。
自分でありながら、でも流される。
自分の外から来るものは、全て、プレゼント。

良いことも
嫌なことさえも。

感謝