2024.9.27





一人起業家「森口充子」のブログへようこそ! 





 見に来て下さってありがとうございます!






今日はちょっと重めの記事になるかもです。



虐待で育った子供は、大人になって自分の子供を虐待する。

連鎖のお話。


読みたくない人はここでやめてね。




昨日のブログで書いたこと。





近所のおばちゃんとお茶でも飲みながら、一時だけ気軽に話せる場所の事。






考えてみた。







お話場。

喋り場。

語り場。



何か聞いたあるような、、、






それくらいしか思いつかない、、、







オンライン語り場。

リアル語り場。




ひとまず、こんな感じにしようか、、、





にしても、先に自分の事もっと知ってもらった方が安心感あるよね、と思うので何から書こうか?







話せる場所があったら?




何が話したかった事だろ?






やっぱ、苦しさを誰かに聞いて欲しかった、ってことなんよね。






私は医者には行ってないから、ほんとに話す人、話せる場所がなかった。






たまに、友達に話せても、暖簾に腕押しな感じで

摂食障害?過食症?食べて吐く?何それ?友達の頭にははてな?しか浮かんでなかったようだ。




かなり勇気を振り絞って言ったのだけど、言う人間違えた、とすぐ気づいて話すのはやめた。




それ以外には40才越えてからかな?母に言ったのは。


話は聞いてくれていたようだが、理解が及ばずな様子。


人間だれでも何らかのクセはあるもんだから、過食症も1つのクセとして考えるしかないかも?

みたいな事は言ってたように思う。




あとは、働いていた会社の同僚に、飲み会の席でチラッと話してみた。

意味はなかった、、



と、まぁ、それくらいしか話した事がない。

そんな事を話したら迷惑だと思ってもいたから。







一番しんどかった時は発症したすぐくらいの時かな。



子供が保育園行き出してからだったと思う。




スイッチが入ると気が狂ったようにとまらなくなる。





朝、昼、晩、夜中、一日4回。

たまに5回なんて時もあった。






とにかく常に頭は食べ物の事ばかり、太る恐怖、

結婚してた時だから、どうやってダンナさんにバレずに食べ吐きするかとか、大量に食料が必要だからお金はどうするか?などなど。





頭の中は食べて吐く事だけを中心にしか考えられない状態だったので、子供の世話はしていたけれど、遊んであげるとか、一緒に時間を過ごすとか全然出来る訳もなく。




子供第一ではなく、自分の食べ吐き第一で生きていた。




子供に時間をとられたらそれだけでイラつき、怒鳴りちらす。


保育園に迎えに行っても、遊んでかえりたがらない子供に苛立ち、車の中でヒステリックに怒鳴りちらす。


ご飯食べこぼしに、苛立ち怒る。


泣き止まないと、苛立ち怒る。

怒りがエスカレートして手を上げる事も時々あった。


よく熱を出しては医者にかかっていたので、パートに出ていてもほとんど医者代に消えていく。

そんな子供が可愛く思えない。






母には私が子供にした以上に叩かれて育ったので、私はまだ抑えているつもりだった。


せめて、叩くのだけはやめようと自分を抑えたけど、イライラする、怒る、怒鳴るはコントロールは出来ずやってしまっていた。




その事が本当に自分ではどうする事も出来ず苦しんだ。

自分がやられて嫌だった事をまた自分の子供にしてしまっている罪悪感、申し訳なさ、誰にも相談出来ない苦しさを食べて吐く事で紛らわせた。



ぶつけようのない黒い感情を食べた物と一緒に吐き出せるような気がして、その行為に夢中になった。





世間一般の母親像からかけ離れている自分が許せなかったし、でもどうしたらいい母親になれるのかもわからなかった。





私は、子供を産むべきではなかった、産んではいけなかったと気づいてももう遅かった。


子供に謝ったところで、何の役にも立たないし、

何の解決にもならないけど、心の中で謝るしかできなかった。




母に対する怒りと、恨み、母も私と同じように苦しい子育てをしていたのかと思うと、気持ちがどこを向いていいのかわからなくなり、とにかく頭はぐちゃぐちゃ心はいつも捻れるように痛かった。



摂食障害で一番苦しかった事は子供の事だった。




だが、唯一救いだったのはダンナさんが子煩悩だった事。


夫婦間は破綻していても子供にだけは優しく接していてくれた事がせめてもの救いだった。


今となってはダンナさんには感謝しかない。





ある時、ダンナさんに告白し、精神科に行った。

精神科医に言われた言葉が、「食べる事をやめられませんか?」と質問された事に絶望し、

医者は信じられないから自分で治すと決めた。








そんな感じで、発症してからしばらくの期間は凄まじい嵐が吹き荒れた。


子供はその犠牲にしてしまった。






今、こうやって振り返ると、話し場があったとしてどうだったんだろ?


と、思うけど、精神科にダンナさんに付き添ってもらい行った後、摂食障害について話し合う事は一度もなかった。




34才まで一緒に居たけれど、精神科に行った時しか摂食障害について話した時はなかった。



ダンナさんも理解できなかったのだと思う。

見て見ぬふりをして一緒に暮らしていたのだろう。


ある意味、1人でいるより寂しかったかもしれない。




だから、やっぱり何でもいいから話す人、場所は欲しかったけど、むやみやたらと話せる事ではないし、また話しては迷惑をかけるだけと思っていたので、とにかく1人で耐えた。




いや、子供にはもっと辛い思いをさせてしまった。




にも関わらず、今のところ子供は元気で暮らしてくれている。


でも、いつ傷ついた心が何か問題を引き起こしたとしてもおかしくはない。


いつかは向き合う時がくるのかもしれない。

そんな時がもし、きたら。

そのために今、こんな文章を書いている。

子供が大人になった今、私にできる事は私の残りの人生を主体的に生きる事と、何かの時のために少しでもお金を残す事。


だと、思う。

結局、誠意を表すのはお金、だと思う。



こんな事、自分の中で決めて黙ってやればやればいい事だと思う。

でも、それだとうやむやになってしまうかもしれない。

そうしないために書いて残しておく。








話をもどします!





そう。



そんな昔の私みたいな人が話せる場所。



安心して話せる場所。




体験して回復した私なら、そんな人の話を聴けると思う。




解決は出来ない。






ただ、聴く事ならできる。






最終的に治したいと思うのも、治らなくてもいいと諦めるのも本人次第。


と、私は思っている。






そんな感じでも話せる場所があるなら嬉しいと思う人が来てくれたらいいと思う。






今日は、一番しんどかった子供の事を書いてみました。




また、次、明日にでも別な事を書いてみようと思います。





質問、感想などあればどうぞ。





10月になったら新しくオンライン語り場を始めてみようかと思います。


それまでは私事を色々書いてみようと思ってます。





最後まで読んで下さった方、ありがとうございました🤗




それではまたバイバイ