猫の国にわだかまっている闇の正体、絶望と憎しみによって生と死の円環から外れ、行き場をなくしてしまったマシューの魂について語られます。
マシューは病気がちな妻ミナを救うため流しの魔術師に相談します。ところが魔術師は彼に邪悪な方法を伝えます。猫を殺して薬を作り、ミナに飲ませれば助かるというのです。このお話はおぞましい結末を迎えます。マシューは薬を完成させますが、無理矢理薬を飲まされたミナは死んでしまうのです。現実を受け止められないマシューの精神は壊れ、深い憎しみから死後もこの世にとどまり続けるという。
マシューを責めることはできないでしょう。彼は愛する妻を救いたい一心だったのです。愛する者を救えるなら、どんなことでもするという人は、大なり小なりいるはずです。
サブタイトルの 「Love conquers all.」 (愛は全てに勝る)は、直訳すると「愛は全てを征服する」となるのが意味深ですね。 愛の前ではどんな倫理観も意味を持たない、そんな人間の業の深さを言い表しているようにも見えます。
消滅するしかないと思われたミナとマシューの魂を、智世が円環の中に還し、また猫の王を助けてくれたことに救われる思いでした。愛猫家にとっては辛いお話でしたねえ・・・(´;ω;`)ブワッ
結局、今回のエピソードはどういうお話だったのでしょうか。
とりあえずドラゴンの国と猫の国のエピソードは対になっていると見るべきでしょう。人とドラゴンを対比的に描くことで、両者を際立たせているのです。
第3話ではドラゴンの一生や価値観を通して、《死》は悲しむものではないことが語られましたが、この点も対照的です。マシューが猫殺しに走ったのは愛する人を失う悲しみや寂しさに耐えられなかったのです。
この点についてドラゴンの描写は全く示唆的です。ネヴィンの死にドラゴンたちは悲しさも寂しさも感じていないからです。もちろんそうした感情を否定しているのではなく、生きている以上、死は受け入れなければならない運命なのであって、それをドラゴンたちは喜ぶべきこと、誇らしいこととして、進んで受け入れて生きているということです。
逆に深い悲しみや寂しさは、ときに人をマシューのような行動に駆り立てたり、あるいは狂わせるのかもしれません。
では、ドラゴンと人を対比的に描くのがこのエピソードの狙いだったのかというと、それだけでもないように思います。というのは、
マシュー・ミナの夫婦と、新しく誕生するエリアス・智世の夫婦もまた対になっているからです。
身体の弱いミナと智世はもちろんですが、ミナを失う恐怖にとりつかれながらもそれをミナに対しておくびにも出さなかったマシューと、智世を嫁にすると言いながらも人の心が分からないと話し、その言葉の裏側に智世を失うことへの恐れが見て取れるエリアスも対照的です。
そんなエリアスの怖れを感じ取った智世は「怖がらなくていいんです」と言う。
そこにあるのは安心感です。エリアスが思った以上に子供っぽく、また失うことを恐れるくらいには自分に価値があると分かり、捨てられるのを恐れていた智世はようやく安心できたわけです。
ちなみに体の弱いミナも同じ恐怖を持っていたはずです。だから旦那の浮気の可能性を指摘されて不安になり、マシューの後をつけてしまう。けれどマシューがもっと自分の内面・・・ミナを失う恐怖を出していたら、ミナはそれによって愛されていることを実感して、不安を抱かずに済んだし、きっと彼女もマシューにこう言ったはずです。
「そんなに怖がらなくていいんです」
マシューはあまりに良い夫を演じ過ぎたのかもしれません。そのことがかえってミナを不安にさせ、またマシュー自身もミナを不安がらせまいとして心に不安をため込み、かえって猫殺しに駆り立てられたのだとすると皮肉というほかないです。
良い夫を演じれば必ずしも良いとは限らないということなのかな。でも相手の不安を知ることでかえって安心できてしまう心理ってホントふしぎ。
先のことは分からないけど、とりあえずエリアスと智世はマシューとミナみたいにはならなさそうで安心しました。ていうかこの2人、
夫婦ぽくなってきたんじゃないの?( *´艸`)
しかしあの魔術師は一体何なんでしょね。
今後も物語に絡むみたいで不安です。
次回・第7話