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28歳からの肝硬変末期闘病生活

母子感染のC型肝炎から齢28で肝硬変末期になってしまった、とあるアラサーの闘病生活

皆様こんばんは。
あれから再度漏れ出したり、腹水がまた急に増えたり…等も無く、ものすごくおちついた1日を過ごせました。
なので書くことが何もないので、過去編その3を書きたいと思います。
自分の与り知らぬところで生死の境を彷徨っていた話です。(何)

 

 

 

 

 


あれは去年の6月頭頃だったでしょうか。
腹水コントロールの為、1週間ほどの短期入院をしました。
その時の体重はおよそ100キロ近く…とにかく身体が重くて重くて仕方なかったので、やむを得ずという形でしたが。
治療はアルブミン製剤の投与やその他肝機能の向上を目的としたもので、過去にも数回短期入院した事もあった為、せいぜい「また入院の時期が来たか」程度の感想でした。
事実、今ほどビリルビンも高くなく、腹水が半端ない量であること以外では変調はありませんでした。


入院開始から2日目、その日はなんだか1日中眠かったのを覚えています。
かと言って目覚めなくなる訳ではなく、ベッドに横になっているといつの間にかウトウトし始めて、そのまま眠ったりギリギリで起きたり……
入院して2日目という事もあり、日頃の疲れが出てきたのかなぁと思いつつ消灯時間に。
夜眠れなかったらどうしよう?という懸念はどこへやら、あっさりと深い眠りに落ちていき……
次に目を覚ましたのは約2週間後の夕方でした。


目が覚めて真っ先に飛び込んできた映像は、知らない天井、元居た大部屋3室分位の部屋に置かれた心電図のモニター、そして心配そうにこちらを見ている父と叔父でした。
父は私が目を覚ました事に気付くと大慌てで駆け寄り、「大丈夫か?俺が誰だか分かるか?」と尋ね始め、叔父は驚きながらもナースコールを押してくれてました。
自分では「夜に寝て朝に起きただけ」だと思っていたので、父の尋ねる意味がさっぱり分からず、何言ってんの?と聞き返そうとした瞬間、身体の違和感に気付きました。


まず、声が出ませんでした。
口には酸素マスクが付いていたのですが、その上で口内が乾燥しまくりでカラッカラだったからです。
また、鼻には気道確保用のチューブが入っており、つまりは生命維持装置でギリギリ生かされていたという事を意味します。
手首足首には拘束帯が巻かれ、ベッドの柵に縛りつけられており、腕や太ももの付け根あたりに計5~6本の点滴管が繋がれていました。
そして拘束云々の前に、全くと言っていいほど身体に力が入りません。
余計に意味の分からない私は何とか声を出そうとしますが、乾燥のせいで喉が上手く開かず四苦八苦。
そのうち看護師と担当医が飛び込んできて、現状を説明してくれました。


2日目の深夜、既にこの段階の記憶はないのですが、催してトイレの大きい方へ入ったらしいです。
しかし看護師さんが巡回するたびに姿が無いことに気付き、トイレで返事が無いまま鍵のかかっている個室を発見。
外から鍵を開けてみると、なにやら大量に出血しながらぐったりしている私を発見したそうです。
既に呼吸も意識も無く、速攻でICUに放り込まれた私は、どうにかこうにか命は繋がったものの意識は戻らず仏さん状態に。
ここで血まみれで倒れてた理由が迷走してて、聞く人によって回答が違う(食道静脈瘤の破裂説や気絶時に頭部を強打した説、その他にもいろいろ…)ので未だによく分かって無いのですが…
唯一ハッキリしているのがアンモニアの数値が400だか500をオーバーしており、深い肝性脳症だった事と、いつの間にか肺炎を患っていた事(その頃も微熱と咳は日常茶飯事だったので気にしてなかった)でした。
正直目を覚まさない期間が2週間間際だった事もあり、もう少しで脳死判定を受ける所だったそうです。
今だからこうして書けますが、眠っている間に死んだことにされそうになったと知った私は気が気じゃありませんでした。


ちなみに私が拘束されていた理由は、無意識のうちに点滴の管を引っこ抜いてしまうかららしいです。
腕のはともかく太ももの付け根のラインと呼ばれる管は、毎日大量の栄養剤を点滴するために、針も管も、そして刺す血管も太い為、針を入れる時は相当痛いのだとか。
その痛みに無意識に反応して管を抜いてしまう為、やむを得ず拘束している状態でした。


説明を聞いている間も、アンモニアが高いのか急に起きて疲れたのか、すぐにまた眠くなってきました。
再び昏睡状態に陥ったら怖いなぁと思いつつも、先生や父の「少し寝な」という誘いに耐えきれずそのまま就寝。
翌日の朝は普通に目を覚ました私ですが、ここからもしばらく辛い入院生活が続くことに……

 

 

 

 

 


と、意味深な終わり方ですが、あの3ヶ月にも及ぶ入院生活は1度ではとても書ききれませんので、続き物にさせて下さい。
過去編は、治療や体調の変化が無かった時に徐々に書いていきますのでご了承ください。
さて、今日は朝は駄目でしたが昼食と夕食は全て平らげることが出来ました!
お腹のへっこみ具合に感謝しつつ、且つこの状態を最低でもキープできるよう祈りつつ、終わりたいと思います。
皆様お休みなさいませ。

皆様こんにちは。
間が空いてしまった上に中途半端なタイミングの投稿で申し訳ありません。
あまりにも止まらない腹水の漏れ出しのせいで、先生から「左向いて横になるの禁止!」(漏れ出すのが左脇腹のため)と言われてしまい…
左を向けない=タブレットを使えない(部屋のレイアウトと、バッテリーの消耗のせいで常時充電が必要な為)=ブログが書けないという状況でした。
さっきやっと禁止が解けたので、夕飯を待たずしての投稿と相成りました。


いやー、本当にガーゼを何十枚使った事でしょうか。
あまりにもシーツやらシャツやらを汚してしまうので、最終的には傷口にガーゼを当てて、その上から尿取りパッドで蓋をするという強硬策の敢行。
これが見事にヒットし、ガーゼこそ2~3時間ほどで染みてきちゃうのですが、その上から尿取りパッドが吸い取ってくれ、シーツを汚すことは無くなりました。
ただ漏れ出しの方は、勢いこそ少しずつ落ち着いては来てますが、まだまだ止まる様子はありません。
昨日こそ様子見の姿勢を取った担当医も流石に埒が明かないので、先日ポツリと言った「腹水を抜けるだけ抜いて腹圧を下げよう」作戦を急遽本日行う事になりました。


最初は午前中に始める予定が組まれたのですが、あれよあれよという間に開始時刻は午後1時に。
刺す場所は、未だに少しずつ漏れ出している前回の穿刺場所のすぐ近く。もちろん両方から漏れ出した時に対応しやすいからです。
前回の近くだったせいか、いつもより麻酔が痛かったけど気に留めず、いざ腹水穿刺開始!


「あんまり張って無いように見えるんだけど…」という担当医の呟きを他所に、いい勢いで出始める腹水。
ちょっと前まではすぐに勢いが止まったり弱まったりする事が多かったのですが、ここ最近は毎回いい勢いで出てくれます。
そして過去最高ではないかというスピードで抜け出て、結局50分ほどで2400mlもの腹水が抜けました。
流石にペースが早すぎたのか血圧が少し低くなってきた事と、出方も呼吸に合わせて強弱が付くようになった事もあり、今日の所はこれで終了です。
いつもの様に止まる心配すらない勢いで出ていたせいもあるのか、ものすごくあっという間に終了しました。
(以前、2時間半刺し続けて1500mlしか抜けなかった事も…)


傷口に強く圧迫しながら、ステッピー?(固く分厚い吸収スポンジみたいなのが付いてる絆創膏)を張り、その上に何重にも折った厚手のガーゼをかぶせます。
これだけだと、漏れ出る勢いが強い時は速攻でびちゃびちゃになるので、最終兵器の尿取りパッドをかぶせてしばしの安静…
1時間半ほど経った今の状況は………漏れて(・∀・)な~い!!
やはり腹圧が一気に下がったせいでしょうか。
まだ起きたり歩いたり力んだりしてないので油断は禁物ですが、とりあえずパッと見は元の体型にグンと近づきましたし、お腹の張りも減ったのでだいぶ楽にはなりました。
あとはこの状態を維持できれば、腹水のコントロールという1つの目標はクリアになるのですが…
はてさて、どうなる事やら。

皆様こんばんは。
今日は治療自体はありましたが、またFFPのみの点滴だけだったので割愛します。
後は相変わらず漏れ出す腹水の為に、ガーゼを何度も取り替えるだけの1日でした。
何やら明日まで止まらなかったら、「腹水を可能な限り抜いて、腹圧を減らそうか」と、担当医が一言ポツリとつぶやいてました。
一体どうなる事やら分かりませんが、とりあえず過去編その2 鼠径ヘルニアの手術についてお話します。


去年の11月頃でしょうか。
過去編その3になる予定の「命の危機編」から2ヶ月後位の話で、手術的には最新のものになりますね。
予兆的な鼠径部の膨らみ自体は10月後半に既にありましたが、痛みも何もなくかったので悠長に構えていました。
ですが徐々に膨らみが大きくなってきて、痛みも無痛から膨らみの部分、鼠径部全体、腰…といった感じで広がり、果てには起きる、歩く、横を向いて寝るなどの動作だけで激痛が走るようになりました。
流石に家事も何もできなくなり、いつもの総合病院で診てもらった結果、鼠径ヘルニアと診断されました。


さて、ここで鼠径ヘルニアについてお話します。
鼠径ヘルニアというのはその名の通り鼠径部(太ももと股間部分の付け根あたり)で発生します。
ここは元々何もない空間が多数あり、様々な要因でその空間の穴から腸の一部が飛び出す病気です。
一般の方でも中高年にかけて発症することがあるのですが、お腹に腹水が溜まる人はその腹圧によって腸が飛び出しやすいようです。
その為、肝硬変の症状が進行している人には良く起こる合併症の1つだそうです。


一度飛び出してしまった腸が自然に戻ることはなく、外科的手術が必要です。
とは言え手術自体は簡単なもので、患部を数センチ切開し、腸を手動で穴から押し戻した後に、穴をメッシュ布のようなもので塞いで終了。
病院によっては当日帰宅できる場合もある位簡単なのだとか。
それを聞いてほっと胸を撫で下ろす私の前に、1つの問題が立ちはだかります。
そう、過去編その1でもありましたが、肝硬変の影響で血小板やらヘモグロビンやらが圧倒的に足らず、そのままでは手術の適用にならないという事です。
とりあえず手術の予定日まで入院した上で随時採血を行い、血小板が今以上に下がらなければ、本番当日にまた血小板などを輸血して行う事に。
今回ばかりは私もこれ以上激痛に耐えられる気がしなかったので、二つ返事で了承し手術日まで祈る毎日でした。
そして手術当日、本当にギリッギリでOKサインが出まして、無事に手術と相成りました。


当日は例の眠る薬に腰椎麻酔を合わせる形で行われました。
腰椎麻酔とはその名の通り腰椎に直接注射をする局部麻酔の1つで、事前の噂ではかなり痛いと評判でした。
ですが、既に何度も腹に麻酔と管をぶっ刺してきた私にはどこ吹く風です。むしろその一瞬の激痛でこのヘルニアからオサラバ出来るのなら安いもの、位の気持ちでした。
そして麻酔の時。まだ眠くならないのかなぁと思っていると、麻酔師?の方から「腰椎麻酔入れますねー」の声がし、まずほんの少しだけチクッとした痛みがきました。
(本当に微々たる痛みで、少しウトウトしてたら気づかないレベル)
さあ、ここからどれだけ痛くなるんだ?と、間違った方向へ興奮し始めた私の耳に入ってきたのは、同じ方の「麻酔入りましたー」の声。
思わず酸素マスクを付けたまま、すっとぼけた声で「え?もう終わりですか?」と聞き返してしまいました。
先生は「大丈夫?痛かったでしょう?」とか言ってきましたが、思わず「痛い?何言ってんだこいつ?」と口に出しそうになりました。
(心配してくれたのに…先生ごめんなさい!)


その後まもなく意識が途切れ、その間に手術も問題なく終了。
朝まで足が動かせず、寝苦しい一夜を過ごしました。
意識的に足が動かせるようになったとしても、血栓防止用の機械が取り付けられてましたけどね。
その後の経過も順調でしたが、普通の人よりも傷口が塞がりにくいので、少し長めに入院を継続し、約10日後に退院しました。
(通常は3~4日、早い人だと2日ほどで退院することもあるとか。)
先生からは再発の恐れがある事を何度も伝えられましたが、とりあえず今のところ再発の兆しはありません。
短いようで長く、それでいて人生で一番拍子抜けしたかもしれない入院と手術でした。
 

漏れる~漏れる~よ腹水漏れる~…
えー、皆様こんばんは。
唐突にアホの子状態で始まりましたが、頭がおかしくなっている訳ではないのでご安心ください。
一応理由がありますので…


今日も治療自体は無かったので予定通り過去編をやろうと思ったのですが、いかんせん昼食のあたりから身体が怠くて仕方ないので、手短に現状報告だけしようと思います。
本当に昼食までは体調もかなり良好でした。まあそこで調子に乗って無理するとえらいしっぺ返しが来そうだったので、いつも通り大人しくしてましたが。
そして昼食は↓が出まして、好物の餃子をメインに堪能してました。

が、3分の2ほど平らげた辺りから急に気持ち悪くなり、食欲も低下してしまいました。
なんとか意地で完食しましたが、その後からずっと身体が怠くてたまりませんでした。


昼食後も大人しくしていたおかげか、夕飯時にはだいぶ落ち着いてきました。
夕飯は↓のようなメニューで、鮭は西京焼き?と言うのでしょうか?減塩を意識しているであろう甘めの味噌で浸け焼きになっておりました。

写真を見た方の大部分が「こいつ和食にもバジルかけてるよ…」と思ったことでしょう。
実際私も最初はかけずに食べました…が、一口食べて「これはバジルいける!」と確信し、大量にファッサァと。
鮭の甘めの味に、バジルのこれまた甘めの香りが絶妙にマッチして、滅茶苦茶おいしかったです。
ただこの鮭の力をもってしても、途中からの気持ち悪さに耐えきれず、少しだけお残ししてベッドへダウン。
調理師の皆様、申し訳ありません…


そしてベッドへダウンしてから5分ほど経ったあたりで、昼間の担当看護師から「穿刺部分に貼ってあるカットバン、早めに剥がしておいてね」と言われていたのを思い出しました。
本来なら今日の朝起きた段階で剥がす予定だったのですが、微妙に嫌な予感がしていたので様子を見ていました。
看護師からは「かぶれると面倒だから早めにね」と言われつつも様子見を続け、気付けば夕飯も終わっている始末。
表面を触ってみても、
湿ってたりグジュグジュしてたりは無さそうだったので、決心してカットバンを剥がしました。
すると、脇腹を水が垂れていく感触と手を濡らす体温ほどの液体、そして手に持つカットバンは気付けばグジュグジュに…
どうやら止まっていた傷穴が開いてしまい、腹圧によって残っている腹水が噴出している模様。
慌ててティッシュ数枚で傷口を抑え、ナースコールで看護師を呼ぶものの、噴出した腹水は服や下着、ベッドシーツに至るまでしこたま汚していきました。
もちろん私は言いつけを守っただけですので、お咎めがないどころか逆に謝られましたが…今日シーツ交換したばっかりなんだけどな…


現在はガーゼを何重にも張っておりますが、だいぶしみ出して来ているとの事。
どうにも落ち着いて眠れない1日になりそうです。

皆様こんばんは。

昨日はやはり何もなく、今日は担当医がいる日なので改めて腹水を抜いただけの1日でした。

なので今回は過去編その1と言う事で、実はコッソリやっていた食道静脈瘤硬化術について書きたいと思います。

執拗に腹水を抜く理由も実はここにあったりしますので、よろしければ読んでいただけると幸いです。

 

 

最初の退院からは、最寄りの同系列病院へ定期的に通院していました。

主な目的は強ミノと呼ばれる注射を打ちに行くため。その合間合間にCTや採血などの検査もしておりました。

検査の中では一番辛いであろう胃カメラを受けた時に、担当医から告げられたのは「予想以上に食道静脈瘤が進行しており、破裂した場合命にかかわる」と言う事。

これは手術せにゃならんという事になったのですが、幾つか問題点が…

 

 

ちなみに食道静脈瘤というのは、要するに許容範囲を超えた血流で膨らんだ血管の事。

肝硬変が進行するということは肝臓の線維化が進むという事なんですが、線維化してしまった肝臓部分は血液が通れなくなってしまいます。

通れなかった血液は迂回路を求め、本来とは違う血管へ流れていきます。その際に流れていきやすい血管の1つが食道の静脈という事なんです。

そして食道の静脈に集まった血液が血管を膨らませ、そうしてできる団子状の血管のことを食道静脈瘤といいます。

 

 

食道なので食事の度に物が通過する上、パンパンに膨れ上がるため破裂しやすく、万が一破裂してしまった場合高確率で窒息死します。

もし窒息死を免れても、肝硬変のせいで少なくなっている血小板では止血に時間がかかり、血液がドンドン胃へ溜まります。

溜まった血液からはアンモニアをはじめとした有害な物質が発生し、肝機能を著しく低下させ、やはり高確率で死亡へと繋がる訳です。

 

 

こんな怖い食道静脈瘤が、既に私の食道に2個も鎮座していたのですが、発見当時で既にだいぶ肝硬変が進行していた私の状態だと、通常であれば手術は適用外となります。

(肝機能の他にも血小板数やヘモグロビン、腹水や肝性脳症の有無などを総合的に見て)

ですが、破裂すれば即死亡のチキンレースをするよりは、と言う事で手術を行う事になりました。

 

 

手術の方法は2パターンあり、瘤の根元をゴムの様なもので縛って、それ以上血液が行かなくする方法と、瘤を固める薬を直接注射する方法です。

どちらもメリットやデメリットはあるのですが、結局私は後者の注射する手術をする事に。

正真正銘初めての手術だったので、わりかしテンパっていたのですが、先生が「手術の時は

麻酔で眠ってる間にやるから」という一言でだいぶ安心しました。

もちろん手術成功率は100%じゃないですし、通常なら適用外の所を優先順位を変えてやるわけですから余計に成功率も下がってはいます。

でも眠ってるうちにお陀仏なら苦しまない分楽かなぁ?なんて暢気に考えてた記憶があります。

結構前の話ですが、その辺の余生なんかについてはだいぶ早い時期に悟っていたようです。

 

 

手術当日、少しでも成功率を上げるために血小板の輸血やグロブリン?という薬を点滴しました。

そして直前に眠くなる薬を点滴されつつ、いざ手術室へ。

そして手術が始まりました。ええ、始まってしまいましたとも。まだ眠ってないのに……

痛覚の方の麻酔はちゃんと効いている様で、痛みは全く感じませんでしたが、喉に手を入れられる感じや口の中で注射をされる感じ、今でも鮮明に覚えています。

なんとか無事?に手術が終わり、手術台からストレッチャーに身体を移動されてる辺りでようやく意識が落ちました。

これ、眠くなる薬いらなかったんじゃ…?とも思いましたが、朝まで一度も目覚めること無くグッスリ眠れたので、まぁ良しとしましょう。

 

 

さて、術後の経過はというと概ね良好でした。

ただ一つだけ残念なのが、食道の方へ行かなくなった血液が、どうやら腹部辺りに回りやすくなってしまったようで、以前にも増して腹水が貯まりやすくなってしまった事。

そしてさらに、腹水がたまり腹圧が上がると、さらに腹水が腹部にしみ出しやすくなってしまった事ですね。

そりゃあそうですよね。腹水などの水は血管内の血液から染み出るもの。その血液量が増えたとなれば、腹水が貯まりやすくなるのも頷けます。

 

 

とは言え即死の危険性と天秤にかければ、まだ腹水が貯まりやすくなる方が対処しやすいわけです。

それもあって、私の場合腹水を抜く頻度が高いんです。

腹水が新たな腹水を呼び込むなら、元の腹水をガッツリ減らさなきゃいけない訳ですから。

そんなこんなで、手術後はさらに腹水に気を配りながら生活してきましたよ、という話でした。

文章のみで長々と書いてしまいましたが、またネタが無い時はこうなる事をご了承くださいますようお願い致します。