肉チャーハン -21ページ目

肉チャーハン

肉少なめで

レベル別

LV1:野良猫をみると構いたくなる
LV2:車の下などを覗き込んでしまう
LV3:野良猫となじみ始める
LV4:ペットショップに通いつめる
LV5:気付けば猫画像ばかり検索している
LV6:飼い始める
LV7:家にいる猫が心配で仕事や勉強中にソワソワする
LV8:早く帰るために作業効率を最大化させるようになる
LV9:人付き合いより猫付き合い
LV10:猫を可愛がりすぎて恋人の嫉妬をかう
LV11:恋人のヘイトが最高潮に達したときに猫を巡って喧嘩になる
LV12:そんな恋人と別れる
LV13:あの子が猫に優しいかどうかわからない、ということで恋愛に奥手になっていく
LV14:猫アレルギーの人が側にくると苦しみだす
LV15:猫に言葉を教え込む
LV16:猫もそれに慣れてこちらの言葉に適したリアクションを取り始める
LV17:猫語のヒアリング能力がおかしなことになってくる
LV18:猫の写真を撮るためにカメラに凝り出す
LV19:カメラ趣味が本格化しだす
LV20:沢山稼いで猫の楽園を作るんだ、とか言い出す(本気

因みに私はLV20です

ちょっと考える機会があったので書いてみる

私は犬も猫も好きですが、いずれも飼育に際しては完全室内飼育を心がけています。
特に猫においては神経質なほどに気をつけています。

「猫はきままな生き物だから外に出して(放し飼い)あげないとカワイソウだ」という話もよく聞きますが
私はそれが正しさを含んでる以上に間違いが占める割合の方が多いと思います。

人がペットを飼うという行いは人間社会の中だけで行われる非常に特異なものです。
野生の狼の群れの一員として暮らすサラリーマンやOLはいませんし、密林のなかでピューマや虎と共生関係にある主婦や年金受給者もいません。
荒野でオセロットやリビアヤマネコと一緒に狩りをして過ごす学生もいないでしょう。
彼らを品種改良し野生的な力を奪って人間社会のなかで飼育しやすく弱めたペットだけを自分のホームグラウンドの中に持ち込んで飼ってるわけです。途方もなくアンフェアな行いです。

我々が生活を営む人間社会というのは人間のものであって他の動物の都合まできちんと考えられていません。
人間社会のなかで、あるゆる動物にとって最も危険で害のある存在が、その社会の中核になっている人間そのものです。
動物が好きな人ももちろん沢山居ますが、無関心な人も、キライでどうしようもないという人も沢山います。
無関心は事故に繋がりますし、キライな人は虐待に繋がります。

実際に私が目にした範囲でいえば、悪ふざけで石をぶつけ自転車轢いて命を奪おうとする子供達(命に対する無関心)や
炙った鉄棒で目を焼いてゲラゲラ笑って喜んでる大人(同上、あるいは虐待)
なにやら癇癪を起こして踏みつけようとしている少女(命に対する無関心、わがまま)
子猫を何匹を麻袋につめて棒で叩いてミンチにしてしまう老人(増えるからという理由で害獣扱い)
生きたまま川に沈めて溺死させようとする人(同上)など
行いや動機などは記載した以上に多種多様ですが、いずれも動物の命に関わるもので、見つけ次第止めますがどちらかというとこちらが悪人扱いされがちです。彼(彼女)らは自分の行いが大正義という倫理観のもとで動物の命を奪おうとしています。
話し合いで解決したことは皆無ですし、止めに入った時点でもう手遅れということが殆どです。命を奪うというのはいとも簡単に完遂されてしまいます。棒や刃物一本振り下ろす、ただそれだけです。あるいは全体重かけて踏みつけてしまう、たったそれだけで死んでしまいます。全力で走って止めに入ってもまず間に合いません。

人を殺せば罪悪感のひとつもあるのでしょうが動物というだけでその欠片も感じない人というのは確かに存在します。
中には精神に異常をきたした人もいれば、そうではない極普通の人間であったり、育ちが悪く粗暴であったり、その土地の習慣や育った環境による常識の食い違いなど様々です。一概に彼らすべてが悪人だというわけでもなく、動物にとって危険なだけで人間同士において「ちょっと変わったお隣さん」「動物嫌いのナントカさん」というだけで済まされることも多い。
実際にそういう現場を目撃するとか、自分の飼い犬や飼い猫がそういった人々に命を奪われでもしない限りは「ヤバい人もいるんだな」と思えないものです。

動物愛護の観点からすると「とんでもない人たちだ!」ということになるんでしょうけど、残念ながらそういった人々も少なからず存在しこれといってお咎めもないのが人間の社会です。ペットを殺されれば器物破損で罪には問えますが、家族の命を奪った悪党として裁かれることはありません。つまりはそこは罪として認めないというのが日本の社会です。

もっと軽い例でいえばご近所に犬や猫がいるというだけで回覧板を通じて動物の駆除を必死にうったえている匿名の誰かであるとか
保健所へ虚偽の通報(野良犬、野良猫であり危険と言えばすぐ捕獲されます)を行い余所の家庭のペットを間接的に死に至らしめる「動物嫌い」という人はどこのご町内にも1~2人はいるものです。
いずれも罪に問われることはありません、罪ではない以上やめようという人も減りません。まして自分が正義の鉄槌をくだしていると思っている人は尚更です。

無関心ゆえにブレーキひとつ踏まずに轢いていく人々も当然います、ペット以上にたぬきが犠牲になるようですが。
ホウ酸団子や毒エサなども時々見かけます。
これらも罪とはなりません。よって減りません。

そしてこういう人々が愛護の精神に目覚めることもまずないでしょう。
イライラしていて(誰も見てないときに)人んちの犬を蹴飛ばしていく、とか
更にそれを得意げに話すような人なんかもいます。

そうした人間社会のなかに動物にとっての自由があるとはとても思えません。人間社会のなかでの自由は人間がきちんと保証してあげないかぎり動物が動物らしくあるがまま自由にすごせる環境というものは得られないでしょう。我々人間だって社会生活や人間同士の摩擦で不自由してるわけですし、そう簡単にそんなユートピアが生まれるわけがありません。
一人の敵意をもった人間とであっただけで無残に命を奪われたり、一生癒えない傷を負わされるわけです。余所の動物(人間)が築いた社会というのは、犬や猫にとって危険でリスクの高い場なのです。捕食のためでもなんでもないですから、やられる身としても自然の摂理とはまるでかけはなれた事で命を奪われてたまったものではないでしょう。
自然界であればそういう危険なエリアから遠ざかることもできますが、人間社会にペットとして生まれた動物にはそれもできません。

じゃあ人間社会からちょっと離れた人のいない山奥などに離してやればよいかといえばNOです。品種改良のせいで人里離れた山奥に放たれても生きていけない種も多いです。チワワやダックスフンドなど流通している殆どすべての室内犬は野犬にもなれずにすぐ死んでしまいます。彼らには逞しい野生生物達を狩って食べるための能力がもうありません、走っても追いつけません待ち伏せする知恵もありません。金魚も川に離せばすぐに捕食されて死にます。遊泳力を人間に奪われているため他の水棲生物のエサにしかならないのです。猫は肉食猛禽やカラスにエサを与えるも同然です。持ち前の運動能力で抵抗はするでしょうがカラスの知恵や猛禽の一瞬で仕留める狩りの能力の前には無力です。

これらを他の放し飼い動物や野良との諍いや縄張り争いの抗争も合わせて考えて、ペットして都合よく品種改良された動物達が気ままに生きていけるような世の中ではない、と私は思います。人間との摩擦、様々な危険、いろんな病気、ペットにとっては危険な社会です。

飼う、と決めた以上は自分の責任の範疇のなかで自由と安全と幸せを保証してやるのが飼い主の努めだと私は思っています。
自分の責任は、外界まできちんと及びません。外を出歩いている猫を常に監視もできませんし、手綱をつけずに散歩している犬が急に走り出したときとっさの対応もできません。猫より鋭敏な視覚聴覚と反射神経、犬よりも優れた体力と脚力を兼ね備えていると思ったら大間違いですからね。だから私は猫を飼う時は完全室内飼いですし、犬を散歩するときは手綱をつけています。
それを動物の自由を奪っている、とお思いの方はまず人間社会を転覆させてください。そしたら私は喜んで然るべきケアの後に動物を自然に返します。

現実的にはそんなことは不可能で、ペットとして生まれ人の社会に身を置く運命を背負った不幸な動物が
せめて安全で愛情に包まれた環境で生を全うできるよう守っていってあげる事が動物を飼う上で不可欠だと思います。