精霊の守り人 第七話『チャグムの決意』感想(ネタバレ有) | ~ Literacy Bar ~

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「馬鹿だね、お前はずっと此処にいていいんだよ。お前の母親と会った時、そう約束しただろう。それに、この世にはね、金なんか貰わなくったって、あんたみたいな子供を放っとけない奴が結構いるものなのさ」(バルサ)


今回は感想の進行上、宮側~バルサ側~宮側~バルサ側~宮側と推移する物語の時系列を組み直して追ってゆきます。その方が面倒くさくな……否、スムーズに解説することができそうだからです。


まずは宮側の人々。聖導師にチャグムの彫像を彫らせるよう命ずる帝。本来、その偉影を残すことが許されるのは帝の座に就いたものだけの特権ですが、チャグムの犠牲(死んでませんが)によって、新ヨゴ皇国が『水妖』の脅威から護られたと信じる帝は、その功績を後世に残すべきと主張します。その背後の石窟からチャグムの葬儀を見守るように聳える、代々の帝の巨大な彫像。新ヨゴ皇国は日本がモデルとされていますが、この石窟と巨大な彫像からはインドや中央アジアの匂いがしますね。

帝をはじめ、シュガ、サグム、モン、ジンといった宮側の人々に漂うのは強烈な無力感。自分たちの手でチャグムを捕えることも、救うこともできなかったという矛盾した落胆が、彼らの心中では違和感なく共存しているようです。誰もがチャグムを殺したくなかった。しかし、国の命運と天秤にかけた末、チャグムの存在を切り捨てるしかなかった。結果として、誰の手に掛かったわけでもなく、チャグムは『死亡』したわけですが、それで彼らの胸中が慰められるわけでもない。むしろ、自分たちの手でケリをつけられたほうが皆の心は僅かでも救われたでしょう。


次に、死んだ筈のバルサ&チャグム組。

都のド真ん中の飯屋で堂々と食事に興ずるバルサに『自重しろ』と忠告するタンダ。しかし、バルサは如何にも胡散臭そうな三流の武人に自分の噂を尋ねて、その反応を楽しむ始末。曰く、

「噂の人物が、こんなところで飯を食ってるなんて、誰も思いつきゃしないよ」

一見、単なるコメディシーンにしか見えませんが、ここ、結構重要です。通常、追われる側をリアルに描こうとすれば、タンダのいうように目立たないように行動させて、出来得ることなら変装や仮名も使わせたいところ。しかし、変装や仮名の乱用は視聴者の誤解や混乱を招くことになりかねません。第一、それは製作者にとっても面倒臭い。そこで、このシーンを挿入することで、

「もうバルサたちは下手にコソコソしなくても大丈夫なんだよ」

と視聴者に予防線を張っているのです。これがあるからこそ、このあと、チャグムが村の子供たちから思いっきり本名で呼ばれるような生活をしていても、視聴者としては、

「まぁ、しゃあないか」

という気分になる。リアル路線でありながら、子供も見る番組を作る場合はこういう小細工が重要になります。


そして、今回のメインテーマともいうべき『ザ・マネー』。飯代、宿代、家賃に食事代と見る間にカネがぶっ飛んでゆくさまに、皇子様であるチャグムも流石に危機感を覚えます。ただし、その危機感とはカネがなくなる不安ではなく、自分は何もしていないのに赤の他人であるバルサに養ってもらおうとしているという自尊心から来る危機感。思いつめたチャグムは母親の形見である青石を二人に渡し、一人で生きてく宣言をブチあげます。これに対してバルサは冒頭に記した台詞でチャグムの心を和らげようとします。チャグムと似たような境遇に陥り、ジグロに守られて育ったバルサだからこその説得力を持つ言葉です。ただ、これに続く、

「安心おし。そんな(カネの)こと、おまえは一切考えなくていいんだから」

というバルサの言葉はちと、軽過ぎかなぁ。『獣の奏者』ではジョウンに助けられたエリンが、タダでお世話になるのは忍びないとばかりに、家事手伝いを申し出る場面があります。ジョウンは初めからエリンの面倒を見るつもりでしたが、敢えて、丁稚奉公の相場を例に挙げることでエリンの心の重荷を取り除いてやっています。勿論、チャグムとエリン、バルサとジョウンでは置かれた立場も環境も異なりますが、ここはジョウン流の方策のほうがグッとくるものがありますね。或いは、息子に対する無条件の肯定こそが母性の第一であり、この場面はバルサとチャグムの母子化の描写と取るべきかも知れません。

最後は隣で眠るバルサへチャグムの、

「ありがとう、バルサ」

という、もの凄くシンプルで深い感謝の言葉で〆……かと思いきや、舞台は宮に逆戻り。チャグムと共に『水妖』も死に絶えた筈なのに、天文からは渇きの相が消えていないことに気づくシュガ。何話かのちの『夏至祭り』から『人でなく、虎でなく』でもそうですが、ここのスタッフは次に繋げるヒキの演出が巧い。


次回はボロボロの短槍をメンテナンスするべく、バルサが馴染の鍛冶屋を訪れる『刀鍛冶』の回。

ハッキリいって、緊張してます。この話は派手な演出がなく、登場人物も少ない回ですが、クオリティの高さは尋常じゃありません。果たして、キチンとした感想が書けるのか、自信がないにもほどがあります。ひょっとしたら、感想のUPは暫く遅れるかも知れません。悪しからず。