桜餅 後編ーキロンの物語1ー   |  ZEPHYR

 ZEPHYR

ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

 面会日の二日前。

 あの日がやってきた。

 3.11――

 派遣で勤務していた会社のオフィスもパニックになった。余震の続く中、背筋が凍るような情報が次第に入ってきて、帰宅命令が出された。個別の会社の事情などよりも、この国が根底的に覆るような大きな危機感が直感的にあった。

 地震発生直後から、わたしは幾度も聡史の携帯電話にかけていたが、まったくつながらなかった。メールを送っていたが、それも届いているのかどうかもわからなかった。

 聡史と娘のことが心配でならなかった。

 

 交通網が麻痺した中、誰もがそうであったようにわたしはアパートへ歩いて帰った。踵のあたりがすりむけ、痛みに耐えながら歩き続けた。

 聡史の実家は、アパートからさらにその先にある。だから一度アパートに帰ってから、そのまま向かうつもりだった。

 時折襲ってくる余震が怖かった。それ以上に聡史と娘のことが案じられてならなかった。歩きながら幾度もメールをしていた。

 今、アパートに戻っている途中です。心配です。ごめんなさい。後からそちらへ伺ってもいいですか。

 しかし、アパートに戻れたのは深夜だった。

 いつも出かけるときに玄関に置く写真立てが下に落ちていた。ガラスが割れていた。胸騒ぎがする。

 そのとき、携帯電話が鳴った。メールの返事がようやく来た!

 無事です。亜弥も大丈夫。来てください。

 ほっとした。それにうれしかった。「来てください」という表現に――。

 わたしは動きやすい服に着替え、ぼろぼろの古いスニーカーに履き替えた。そして、再び歩き出した。

 離婚後、わたしは自分の実家を出た。あれだけのことをしでかして、両親に甘えて過ごすなど、とてもできなかったし、聡史の実家の比較的近くで生活をしたかった。あまり近くではきっと嫌がられる。そう思い、駅二つ離れたところにアパートを借りたのだ。

 深夜の道は、あり得ないほど人であふれていた。

 徒歩で帰宅する人々に混じって、聡史の実家にたどり着いたのは、午前3時頃だった。が、家を前にしてわたしは体がこわばってしまった。

 子供との面会の時は、たいていどこか外で待ち合わせる。自分の不貞発覚以来、この実家を訪ねるのは初めてだった。

 どの面を下げて会えるというのだろう。離婚が決定的になって、両家の話し合いが行われ、そのときにご両親に会ったきりだ。聡史のお母様の鋭い侮蔑に満ちた言葉や眼差しが、今でも心に焼き付いている。

 胸がドキドキした。

 無事が確認できたのだから、ここまで来る必要はなかったのではないか。訪ねていったら、不愉快に思われるのではないか。いや、そうに決まっている。来るべきではなかったのではないか。

 迷っていると、ふいに玄関の扉が開いた。

 聡史だった。彼はわたしを見つけると、ほっとした表情を浮かべた。

「ああ、着いたんだね。中へ入って」

 心配で何度か外の様子をうかがっていた、ということだった。

「い、いいかな」

「もちろんだよ。さあ」

 非常時でなければ、敷居をまたぐことはなかっただろう。

 リビングにご両親がいた。慄然とせざるを得ない光景を幾度も映し続けるテレビの画面を見入っていたが、わたしが入っていくと気づいた。

 ああ、とお母様はわたしの名を呼び、立ち上がった。

「来れたの! よかった。大丈夫だった?」

 手を差し伸べられ、腰から砕けそうなほど安堵した。

「はい。ありがとうございます。あの、こんなときなんですが、来てしまってごめんなさい」

「歩いてきたのかね。いやまあ、そうだろうな。疲れたろう」

 と、お父様も気遣ってくださった。

「亜弥は……?」

「今は寝てる。ただ余震を怖がって、何度も起きてきた。僕らも眠れなくてね」

「様子を見に行って、いい?」

「ああ、こっちだ」

 案内された部屋で亜弥は眠っていた。寝顔なんて見るの、いつ以来だろう。閉じたまぶたや鼻筋にかけて、ますます聡史に似てきた。

 つい、そっと髪に触れた。

 ずしっという響きとともに、また余震がやってきた。かなり大きい。

 ぱちっと亜弥が目を開けた。おびえた表情の後、すぐにわたしに気づいた。

「ママ?」

「うん、ママだよ」

 ママだ、ママだ、といって亜弥は両手を伸ばしてきた。わたしは思わず娘を抱きしめた。涙があふれた。

「だいじょうぶ、だいじょうぶよ」

 娘にささやいた。

「ママ、ここにいて」

「うん。いるよ」

 しばらくそばにいた。娘は寝息を立て始めた。

 ずっと聡史は、同じ部屋の中で見守ってくれていた。

 眠りに落ちたことを確認して、わたしは立ち上がり、聡史に頭を下げた。

「ありがとうございます。あなたや亜弥の顔を見て、安心しました。帰りますね」

「今日はもう泊まっていったら」

「え?」

「まあ、泊まるっていっても、もう未明だけど。今日は土曜日だし、電車とか交通機関がもうちょっと正常になるまでいたら?」

「でも、ご両親に申し訳なくて……」

「心配ないよ。――ああ、少し話、できないかな」

 わたしは戸惑いながら、「はい」と答えた。

 聡史の書斎に案内された。そのとき、足を引きずっているのを見られてしまった。

「どうしたの?」

「あ、歩きすぎて、ちょっと……」

「血が出てない? ああ、そこで待っていて」

 大学の交際時代に幾度か訪れたことがあった。聡史の書斎には、すごくたくさんの蔵書がある。わたしには理解できなさそうな科学や宇宙の本がたくさんあるし、小説も書棚をびっしりと埋めている。

 落ち着く感じがした。

 聡史はすぐに消毒液と大ぶりなガーゼ付き絆創膏を持ってきてくれた。

「出して」

「あの、自分でします。ありがとう」

 そんなことまで、とてもしてもらえなかった。

 消毒液を返して、もう一度礼をいった。

 そういう人だった――とあらめて思った。当たり前にわたしの些細な変化や表情に気づいて、「だいじょうぶ?」とか「どうしたの?」とかいってくれる人だった。

 わたしが浮気に走った頃も、それがなくなったわけではなかった。ただ、恋人時代や新婚時代のようにわたしが新鮮に感じなくなっていただけ、彼の仕事のために頻度が少なくなっていたというだけ。

「あの、話って……」と、切り出した。

 聡史は悩ましい表情をしていた。いい出しにくいことを抱えているように見え、不安になった。もう面会させてもらえないとか、そんな話か――

 あるいは、聡史が誰かと再婚するとか。

 それは大いにあり得ることで、いつも不安に思っている。そうなったときには、わたしももうこんなふうには関われないのではないかとも。

「こんなタイミングでなんなんだけど、復縁してもらえないかな」

 え――?

 わたしは耳を疑った。

「もし君がいやでなければ――それと、たとえば君に誰かお付き合いしている人とかいなければ」

 あまりにも唐突すぎて、頭で言葉がちゃんと理解できなかった。嘘ではない。本当に狼狽してしまってわからなかったのだ。

「え? え? ごめんなさい。もう一度いって――」

「だから、よかったら、もう一度結婚してほしい」

「…………」

「だめかな」

 ようやく意味が体に入ってきた。その言葉は、この二年半、わたしが心底望んでいたものだった。誰もが思うだろう。そんな言葉をかけてもらって、その瞬間にわたしが小躍りしなかったのはおかしいと。

 でも、なぜかそうはならなかった。

「ど、どうして……?」

「ちょっと前から考えていて、じつは明後日、話そうと思っていたんだ。ほら、1月にポリープの手術したっていったよね。そのときに、いろいろ思ったんだ。ああ、それに……こんなことが起きて、今の亜弥の様子を見て、よけいにね」

 涙が勝手に、どんどん頬を伝って落ちるのがわかった。だけど、わたしは馬鹿みたいにずっと聡史の顔を、目を、見つめていた。やがてそれは潤んで見えなくなってしまい、手でこすって、それでもなお、わたしは見つめ続けていた。これは夢? 本当のことなの?

「あの頃、僕もいけなかった。僕は頭でいろいろ考えて、先々のことまで計画するのが好きなのは知ってるだろ」

 うん、と機械的にうなずいた。涙がバラバラとこぼれた。

「何歳までにどうなって、いつ頃には家を建ててとか。そんな自分の考えにがんじがらめになっていた。それって、うちの親から受け継がれてるんだよ。そういう教育方針だったから。まあ、親のせいになんかできないけど、そんな性格だから、君の気持ちに応えられなかった。ちゃんとやってればわかってくれると思い込んでいた」

「違う……それは違う……」

「1月から時間も作れる部署に変わって、そうしたら娘もすごく喜んでくれた」

 彼は苦笑した。

「そういうことなんだって、わかった。だから、前のようなことはないと思う。やりなおしてもらえないかな」

「どうして……?」

 聡史は怪訝そうに見つめ返した。

「どうして、そんなふうにいつもいうの!」

 わたしはつい、大きな声を出してしまった。

「わたしを叱ってよ! 罵ってよ! わ、わた…わたし、一度も怒られてない!……あのときだって『離婚させてください。お願いします』だなんて――」

 呼吸がうまくできなくなっていた。息継ぎがうまくできなくなって、次の言葉が出てこないほどだった。

「あ……わ、……わたしがあのとき、どれだけ怒ってほしかったか……。わたし、罰がほしかった。徹底的に痛めつけてほしかった。そ…れなのに、慰謝料もいらないとか…ありえないよ! 亜弥にだって会わせてもらって、だから、亜弥は今でもちゃんとわたしのこと、『ママ』って呼んでくれて……。それは感謝してる。だけど、聡史がいけない!……ああ、ああ、違う! ごめん。違う違う! いけないのは、わたしなの。わたしが全部悪いのに。だけど…だけど…わたし、ああ…わたし、なにいいたいんだろ……」

 聡史は黙って待ってくれていた。ようやく、言葉を見いだした。

「叱ってもらえないと、わたし、聡史のお嫁さんに……ヒック……もう一回なんて、なれないよぉお!」

 パシーン、と目が覚めるような一撃があった。

 一瞬、何が起きたのかもわからず、わたしは部屋の片隅を見つめていた。視野に聡史はおらず、自分の首がねじ曲がるほど、違った方向を見ているのに気づいた。

「これでいいか」

 振り向くと、聡史が手を引っ込めるところだった。もう一度、彼はいった。

「これでいい?」

「はい……」

 わたしは呆然と、叩かれた左頬を触った。

「じゃ、復縁してくれる?」

「はい」

 わたしは起きた現実を、まったく受け止め切れていなかった。

「あの……。これ……」

 わたしは持ってきた聡史名義の通帳を差し出した。もし何かこの地震でトラブルなどあれば、使ってもらおうと思って持ってきていた。昨日入金し、ようやく7桁に届いたばかりだ。

「まだ、ぜんぜん少なくて、恥ずかしいんだけど。せめてもの償いだと思って、受け取ってください」

 聡史は通帳を開き、少し驚いたようだった。

「わかった。ありがとう。受け取ります」

 そういって微笑んだ。その顔を見て、わたしはボロボロ泣き出した。

「本当にいいの? 本当に復縁してもらえるの……」

「本当だよ」

「ありがとう……。ありがとうございます。今度こそ、一生かけてあなたを愛します。償いをさせてください」

 聡史に抱きつきたかった。すがりついて、おんおん泣きたかった。でも、我慢した。そんなこと、まだできる資格はない。

 彼はそれから、これからのことを話した。

 

 もうすでにご両親には、復縁の可能性を伝えていて、わたしさえOKならと納得してくれている(道理で当たりが柔らかだった)。

 この二年半、わたしが独りで頑張っていること、その中で聡史や亜弥のことだけ考えていること、口先だけでない反省をし、きっとこのままだと他の誰とも再婚せずに生きていこうとするだろうとか、そんなことを聡史は伝えていたらしい。

 見ていてくれた……。うれしかった。

 なによりも亜弥にとっても、やはり母親がいた方がいい、そのことは一番だと思ったと。

 ご両親も、だんだんとわたしを不憫に思い、同情的な態度を示してくれていたそうだ。復縁してやったら、ということも、じつはお母様が最初にいい出したそうだ。

 聞かされると、何か胸が締め付けられた。わたしなんかのことを、そんなふうに思ってくれていたなんて。

 ありがたかった。ありがたすぎて、申し訳なかった。

 

 ただ自分も迷いがある、と聡史はいった。

 前回のことはどうしても癒えないトラウマのようになって残っていて、今でも苦しくなることがある。離れていると大丈夫だったが、一緒に暮らすようになったら、時には怒鳴ったりイライラしたりして、感情的になってしまいそうに思うと。

 当たり前だと思う。それだけのことをわたしはしたのだ。

 そういうことがあっても我慢できる?と問われ、もちろんだと答えた。

 そういった感情的な不安感を軽減するために協力してほしいといわれた。

「なんでもする。させて!」

 仕事や外に持って行くこともあるので、携帯電話はロックしても良いが、互いのロックナンバーを教え合う。許可なくそれを変更せず、いつ相手が見ても良いことにする。少なくとも自分は見てもらっても困ることは一つもないと聡史はいった。もちろん同意した。

 PCなどで使うメールも同様。

 仕事で遅くなるとき、何か別な用事で外出するときは、ちゃんと報告すること。もちろん、ちゃんとする。

「一度失われてしまった信頼関係は、なかなか取り戻せない」と聡史はいった。痛い言葉だったが、それは当然だった。

 ゼロからではないと、わたしはこのとき感じた。わたしたちの場合、マイナスから回復しないといけないのだということが、このときの話でよくわかった。

 わたしは自分からも提案した。

「もしこの後、また信頼を裏切るようなことがあれば、即離婚でいい。わたしの署名と捺印をした離婚届を用意しておきますから、それをあなたが持っていてください。でも、そんなことはもう絶対にしないと誓います。そんなことをしたら、わたし、自分で命を絶ちます」

 聡史はそのとき、何かすごく辛そうな表情をした。

「命を絶つなんていうな」

 

 そうして、わたしと聡史の再構築が始まった。

 まずは少しずつならしていこうということで、最初は週末だけ実家にお泊まりするようにした(これは実質的に震災直後の土日からになった)。

 ご両親は寛大にもわたしを温かく迎えてくれ、結婚したての頃と同じように接してくれた。

 亜弥と過ごせる時間。

 家族で囲む食卓。

 わたしが取り戻したくて夢にまで見た光景だ。幾度も幾度も、その当たり前の団らんの中でうれしさのあまり泣きそうになった。

 

 だが、やはり聡史との関係は、すぐにすべては回復しなかった。

 以前のような、かつての友人関係から恋人になり結婚したときの、屈託のない関係ではなくなっていた。

 彼はやはり、時折すごく苦しそうだった。それは月一で会っていたとき以上に見えた。そんな彼に、わたしもどう接したらいいのかわからない。明るく振る舞っていた方がいいのか、気持ちに寄り添うようにした方がいいのか、あやまったほうがいいのか。結局、どれもできず……。

 ごめんなさいと、いつも心で詫びた。

 

 けれど、聡史は最初に自分で不安だといったような、感情の乱れはほとんど見せなかった。怒ることもないし、ほとんど苛つくこともない。

 あの何もなかった時代の態度とは違っていたが、すごく普通に振る舞ってくれた。気遣いもしてくれ、当たりも柔らかだった。笑顔も見せてくれる。冗談さえいう。そんなこと、普通できるだろうか……。

 そう、この再構築の時期になって、わたしは初めて考えた。

 もし、自分が逆の立場で、聡史が浮気をし、わたしが許さねばならない側になったのなら、こんなふうにできただろうか、と。

 絶対無理、だった。

 あまりにも身勝手な考えだけれど。

 わたしは聡史を信頼していた。絶対に裏切らない人だと思っていたので、もしそんなことになったら、怒りや憎しみも容易には消えなかっただろう。再構築になっても自分のコントロールなど、とてもできた自信がない。

 きっと些細なことで当たり散らしたに違いない。あれが気に入らないこれが気に入らない、わたしが気持ちが荒れるのもあなたのせいだ、と。

 それなのに、彼は――。

 

 すごいと、心底感じた。

 わたしは彼のことを、あらためて本当の意味で尊敬できた。自分で原因を作っておきながら、こんないい方は失礼そのものかもしれないけれど、わたしは昔以上に、毅然と律し続ける彼に恋した。前とは違う深い愛情を感じた。

 

 たぶん大丈夫だと思うというので、ひと月もたたないうちに完全な同居に移行し、婚姻届を提出した。

 伝えると、わたしの両親は手放しで喜び、すぐに聡史の実家に押しかけてきた。父も母も泣きながら彼に礼をいった。久しぶりに両家の家族での祝いをした。

 婚姻届を出すタイミングで、わたしは訊いた。

「仕事、辞めたほうがいい?」

 わたしが外に出ない方が、きっと聡史も安心するのではないかと考えたからだ。しかし、意外にも「いや、仕事は絶対に続けてほしい」と。

 それどころか、「派遣でなく、正社員になって。そこは応援するから」とまで。

 戸惑いながらも、わたしは「なら、頑張る」と応えた。

 

 一番大きな問題は、夫婦生活だった。

 完全な同居に移行した夜、わたしはあらためて彼の前で手をつき、復縁してもらったこと、受け入れてくれたことの、心からの感謝を伝えた。

 彼は抱きしめてくれた。

 体が震えるほどうれしかった。

 けれど、できなかった。

 ごめんといわれ、わたしのほうがごめんだよと泣いた。

 

 わたしと聡史は、どちらもが奥手で、お互いが初めての相手だった。

 だからこそよけいに、彼は別の誰かに汚されたわたしへの心理的抵抗が強かったのかもしれない。

 

 それは幾度か続いた。

 思い通りにならない機能に、聡史はすごく悩み、苦しんでいた。「くそっ」と、このときだけは苛立った。それは、わたしへではなく、自分に苛立っているようだった。

 嫌悪感があるのなら、無理してくれなくてもいい。わたしはあなたと亜弥のそばにいられるだけで幸せです。それ以上の何も望まない。今のままで十分すぎるほど幸せです。

 そういった。

 そして、本当の思いを語った。

「こんなこというの、少し恥ずかしいんだけど……今ね、もう一度あなたに恋をしてる。学生時代よりもずっと強く恋してる。こんなこと、誰だってそんなにできない。それだけで、本当に幸せなの。わたし、このままずっと片思いでいいの。命を終えるまで、あなたに恋し続けるから」

 苦しむ彼の背を抱いた。

 彼はガバッと振り返り、わたしを抱きしめた。

 もう一度、愛撫してくれた。

 そして、その夜、ついに結ばれた。

 おかしな話だけれど、痛かった。まるで初めての時みたいに、すごく痛かった。そういうこともあるのだと後で知ったが、出血もした。

 痛みの中で、彼とつながったとき、わたしはその痛みと喜びの中でわんわん泣いた。泣きながら彼の体に思いっきりしがみついていた。

 

 ようやく、元に戻った――いや、そうじゃない。

 彼と新しい夫婦関係を築くことができた。

 

 

 そうして――

 ああ。

 なんでだろう。

 お願いです。誰か教えてください。

 

 そうして、聡史はこの世を去った。

 

 信じられない。

 現実が受け入れられない。

 

 8月、彼は一度入院した。彼の中学時代の友人が勤める大学病院で手術を受けた。

「大腸のポリープが大きくなっているので手術で切除します。なに、簡単なものですから、心配はいりませんよ」

 その友人医師の説明に安心していたが、思いのほか手術は長かった。術後、聡史はなかなか食が戻らず、辛そうだった。

 しかし、ひと月もすると以前とあまり変わらずに仕事をし、行動できるようになっていた。

 彼と亜弥と、手をつないで歩く。

 買い物に行く。

 幼稚園の行事。

 五人での日常の食事と団らん。

 一つ一つの当たり前の日常に幸せを感じていた。

 けれど、11月頃、再び聡史は体調を崩し、入院した。

 そのときにわたしは、夫が癌であることを知らされた。8月の手術も本当は癌で、友人医師は夫から口止めされていたとのことだった。

「どうしていってくれなかったの」

 病室でわたしは泣きながら訴えた。

「帰ってきてすぐ、癌になった夫の看病じゃ、かわいそうだから」

「ばか! いってよ。いくらだって看病するよ! させてよ」

「うん。これからはお願い」

 抗がん剤や放射線などによる苦しい治療が始まった。

 わたしは勤務時間を減らしてもらい、彼のサポートを続けた。

 冬、一時的に体調は持ち直したかに思えた。しばらく家族で過ごせる時間も持つことができたが、年が明けて、病状が深刻になった。

 入院。そのときに「もってひと月」という余命宣告を受けた。

 わたしはショックでボロボロになりながら、亜弥を連れ、毎日のように見舞いに行った。余命宣告を越えて、春を迎えた。

 夫は痩せ衰え、顔色も悪くなりながら、それでも妙に明るかった。

「桜餅、食べたいな」

 そういわれて、わたしは昔聞いた聡史の実家のそばにあるというお店のを買っていった。

 彼はすぐに気づいた。懐かしいな~と弱々しくいいながら、わたしが差し出すそれをたったひと口食べた。

 それが彼の人生最期の食事だった。

 

 その後、容態は急変。

「ありがとう。君ともう一度、一緒になれてよかった」

 最期の言葉だった。

 

 あの人はこの世を去った。

 

 どうしてでしょうか。

 なぜ、わたしの愛したあの人は、こんなに早く死なねばならなかったのでしょうか。

 わたしがかわりに死にたかった。あの幸福の時のまま、わたしが死ねば良かった。そうしたら、わたしは満足なのに。

 彼の後を追いたかった。でも、できない。亜弥がいる。

 それにお腹の子がいる。

 

 お願いです。

 誰か――

 

 誰か教えてください。

 

 わたしのせいなのでしょうか――

 

 

 一年が過ぎ、わたしは社会復帰した。

 生まれた子は男の子だった。聡(さとる)と名付けた。

 妊娠と出産と育児の期間、頑張って資格を取った。夫の死後、本当に死に物狂いで努力し、医療事務の資格を取った。そのおかげと、夫の友人であった医師の紹介もあり、派遣ではなく正社員として働ける職場を得た。

 亜弥と聡は、夫のご両親が変わらずサポートしてくれ、すごく助かっている。帰る場所も変わらず、夫の実家だ。

 ご両親は子供たちをすごくかわいがってくれる。

 

 わたしは33歳になっていた。亜弥はこの春、小学校に上がる。

 前年の7月に生まれた下の子、聡は成長が早く、先日、自分の足で立って、少しだけ歩いた。

 子供たちの成長だけが、わたしの生きがいだった。

 

 ある日、勤め先の病院の食堂でお弁当を食べていると、近くの看護士たちのひそひそ話が耳に入った。どうやら院内のある医師と看護士の不倫についての噂のようだった。

 病院はわりとそんな話が多いと感じる。けれど、不倫はこりごりだ。

 まして、今のわたしは聡史のことが忘れられない。もうずっと恋している。

 もう生涯、あの人でいい。あの人がいい。

 生きている間に会えなくても。

 

 わたしは同じ人に二度、恋をした。

 決して褒められない、人には罵倒されるような経験のあげくだったけれど。

 でも、二度目のすごく強い恋のさなかに、その人を亡くしてしまった。

 子供がいなかったら、そして仕事を応援するというあの人の言葉がなければ、わたしはあのときにもうだめになっていただろう。

 子供たちのために働く。そして聡史のかわりに、子らを一人前にして独り立ちさせる。

 そのときまで、あの世でも、天国でも、なんでもいい。

 待っていてほしいと思う。

 もしかしたら彼は迷惑かもしれない。

 けれど、許してほしい。わたしは彼の元へ行って、またあのときのようになりたい。そればかり切望してしまう。

 聡史のことが好きすぎて、今でも心底愛していて、他のことはもうどうでもいい。

 自分の償いは自分の役目を果たすこと。

 それだけが今の目の前にあること。

 いい加減にはしない。絶対に。

 亜弥も、聡も、めいっぱい愛する。育てる。わたしみたいな馬鹿な過ちを犯さない子に育てる。

 子らが大きくなったときには、わたしの過ちも含め、すべてを伝えようと思う。あなたたちのお父さんが、どれだけ素晴らしい人であったか。子供たちやわたしを愛してくれていたか。

 そうして……

 

 それを終えたら、もういいよね?

 

 

 一周忌の法要が執り行われた。

 お寺での法要には、親戚だけではなく、聡史の主治医であった友人医師の姿もあった。なんでも、親御さんに聡史が頼んでいたらしい。一周忌には必ず彼を呼んでほしいと。

 わたしは聞かされていなかったけれど、病床の彼からそんなことをいわれたら、ヒステリックに拒絶したかもしれない。わたしは最後の最後まで奇跡を信じたかった。けれど、彼はとっくに覚悟ができていたようだ。

 法要の後、近しい親戚と友人医師を交えての会食があった。まだ一年――湿っぽい会食だった。

 その最中、友人医師が「ちょっといいですか」とわたしに耳打ちした。

 わたしは席を離れ、友人医師と会食会場の外へ出た。

 彼は懐から封筒を取り出し、差し出してきた。

「預かっていたものです。子供も生まれ、少し気持ちが落ち着いているようだったら渡してほしいと」

「え?」

「聡史からです」

 手に取ると、わたしの名前が聡史の字で表書きされていた。封はされたままだ。

「お詫びしなければならないことがあります」

 友人医師は頭を下げ、告白した。

 じつは、聡史の癌の発覚は、本当は2011年の1月だったと。その段階ですでに手遅れで、手術をしたところで延命にしかならないとわかっていた。

 医師としては手術を勧めた。万に一つの可能性もあるといったが、やはり気休めだった。それは聡史もわかっていたようだった。

 この段階で余命半年、という診断だった。

 そこで聡史は、「このことは誰にも黙っていてほしい。親にも。手術は受けるが、ポリープか何かということにしてほしい」といった。

 聡史は会社に自分の本当の病状を伝え、部署の転属を願い出た。会社は過去の彼の功績を高く評価していて、これまで無理をさせてきた事実もあった。すぐに1月から時間の取れる部署に移ることができた。そして、この事実は会社にも秘密にしてもらったという。

 ポリープという名目で手術を受け、そして聡史は、自分の病状については黙したまま、そこから復縁のために動き出したのだと。

「なんで、そんなことを……。なぜ主人はわたしやご両親にまで秘密にしていたんでしょうか」

 わたしは手紙を手に握りしめたまま、医師に問いかけた。

「わかりません。あなたに負担をかけたくなかったのか、真意は自分も聞いていません。ただ、驚くべきことがあります。これは聡史から、絶対にあなたに伝えてほしいといわれていたことです」

「なんでしょう」

 それは…と彼が語ったのは、復縁後、5月下旬の検診で、聡史の病状は奇跡的なほど持ち直したということだった。

 もしご要望があればカルテもレントゲンもお見せする。彼の癌はもういくつかの部位に転移していたのだが、一時的にそれが小さくなったのだと。

 その前月、わたしと聡史はもう一度ちゃんと結ばれることができていた。

「もしかしたら、と思いました。このまま奇跡が起き、彼が回復するのではないかと、本当に思った」

 が、8月に再手術になってしまったのは、その癌細胞が再び大きくなってくるのが確認されたからだと。

「聡史はいっていました。このまま癌で亡くなったら、かならずあなたは自分のせいで夫が亡くなったのではないかと思うと。たとえば復縁のストレスとか、そういうもので追い詰めたのではないかと」

 その通りだった。

 わたしのせいではないかと、ずっと思っていた。

「ですが、そうではないんです。あなたとやり直せたことで、聡史の病状は回復していたんです。医学的にはほとんど奇跡的に。だから、あなたにこの手紙を渡すときに、その事実を伝えてほしいといわれていたんです。もっと早くにお伝えした方が良かったのかもしれませんが、お子さんの出産などもあり、タイミングを躊躇している内に今になってしまいました。申し訳ない。一周忌には招くように親御さんに伝えてあるので、遅くともそこでこの手紙を渡してほしいと依頼されていたんです」

 涙ながらに伝えてくれた。

 わたしは呆然と手紙を手にたたずんでいた。

 

 帰宅後、子供たちも寝静まってから、わたしは手紙を開封した。

 こわかった。手が震えた。

 

 なにがこわかったのか、よくわからない。今さらのように聡史から恨み辛みをしたためられているのではないかとか、そんな妄想も頭をよぎった。

 もちろんそんなことをする人ではないと信じていたが、わたしが過去に行った罪の根深さが、そんなことさえ思わせた。

 

 愛する――

 そう、そういう書き出しとわたしの名への呼びかけで始まっていた。

 

 これを君が読むとき、自分はもうこの世にいないはずです。

 最初に言いたい。

 ありがとう。もう十分に償ってもらいました。

 たぶん君は、償いきれないうちに僕が死んでしまい、もしかすると僕の病気のことも自分のせいではないかと思っていると、推測しています。

 当たった? その通りじゃない?

 ハハ。

 実は僕は超能力者なんだ。

 ていうのは嘘だけどね。

 

 その程度のことは、わかるよ。

 君のことは、よくわかってる。長い付き合いだから。

 それに、君が今の僕をすごく愛してくれて、僕や亜弥、それにお腹の子のことを、ほかのどんなことよりも考えて、自分を滅して、尽くしてくれていることがわかってる。両親への振る舞いをみていても、それはわかる。

 だから、まず言いたい。

 

 もう十分に償ってもらったよ。

 君の償いは、「僕がちゃんと再び君を愛せるようになったこと」です。

 言っている意味、わかるかな?

 僕は今、ちゃんと君を愛せている。

 以前のように。

 いや、違うな。以前よりも、ずっと。

 

 交際が始まった20歳の頃より、結婚した頃より、今の君が愛おしく、大切に思う。

 

 そうなれたのは、すごく幸せなことで、そうなれたのは君がもう一度、信じさせてくれたから。

 むろん100%の信頼なんて、普通にどんな夫婦だってなかなかできないけれど、以前、何も考えずに無条件で信じ込んでいたのと違う意味で、僕は君を信じられる。

 なんていうのかな。

 そう、君がもう一度僕に信じようと思う勇気を与えてくれた。

 

 

 少し順を追って説明します。

 僕の癌は2011年の初めにはわかっていました。その段階で、余命は半年とあいつに告げられました。あの馬鹿医者です。ま、悪く言っちゃいけないんだけど(笑)。

 あいつはできのいいやつで、医者としても優秀らしい。

 そのとき僕が考えたのは、半年という限られた時間の中で、自分の残された命をどう使うか、何ができるのかということでした。余命を宣告され、ショックだったけど、限られた残りの時間だからこそ、真剣に考えた。

 人は皆、本質的には限りある命なんだけど、本当に先のタイムスケジュールが見える形で突きつけられてしまった。

 

 正直に言います。

 最初に考えたのは、亜弥のことでした。

 亜弥は一度、母親を失う経験をさせてしまっています。ごめん。君には痛い言葉だと思うけれど、どうか読み進めてほしい。そうさせたのも自分です。

 母親と離別、今度は父親の僕がこの世を去ってしまう。確実に。

 親を失うという体験は、人生のどこかで起きることだけれど、まだ幼い亜弥にとってはあまりにも酷だと思った。さいわい、亜弥は君のことが好きだ。今まで黙っていて申し訳なかったけれど、亜弥がパパとママと一緒にいたいと願っていたというのは感じていた。

 それができなかったのは、自分のせいです。

 あのときの心の傷が、どうしても癒えなかった。あ、これは、君を責めるために書いているのではなく、今はもう癒えたと感じているから、そうはっきり告げています。

 でも、とにかく亜弥のために、母親だけはそばに戻してやりたかった。

 余命を告げられなければ、君との復縁はまだまだずっとできなかったかもしれない。

 

 亜弥の次に考えたのが君のことです。

 もしこのまま自分がこの世を去ったら、君はどう思うだろうと考えた。君はずっと僕たちに償いをし続けなければと考えていたよね。それは見ていてわかる。でも、僕が死ねば、君は償いをする対象を失い、またこのような形で僕が亡くなってしまったことにすら、きっとすごい責任を感じて、もっともっと深い後悔の中で人生を生きなければならなくなる。

 そんなふうになってほしくなかった。

 それに、僕自身、あのときのままの状態でこの世を去りたくなかった。


 それは、悔しいと思った。それでは、何か負けるような気がした。

 誰にというわけでもないんだけど。たぶん、自分自身にだと思う。

 だから、僕と君の関係を何らかの形で取り戻したかったんだ。

 それに、この残り少ない命を、より価値あるものにしたかった? なんかそんな思いもあった。

 

 あ、君との復縁は、癌になった自分のお世話をしてもらうためじゃないよ(笑)。そんなこと思ってないと思うけど、念のため。

 

 復縁を実行すると、君はもう一度、僕を失うことになって、すごく辛い経験になってしまうとわかっていた。

 そのことも考えた。

 でも、ここはわがままを通すことにした。ごめん。

 僕は君という存在を自分の人生に取り戻したかったし、それに矛盾しているかもしれないけれど、残された命で君を解放したかった。

 君が僕たちに償いをし続ける人生ではなく、君と僕がもう一度愛し合える人生にして終わりたかった。

 それが僕が最後にできることだと思った。

 

 末期癌であることを隠していたのは、それを告げての復縁だったら、君は僕に対して償いという姿勢でしか関われないと思ったから。

 そんなんじゃない。もう一度、当たり前の夫婦になりたかった。

 生きている間にそれができるかどうか、癌と発覚するまでにできるかどうか、時間との闘いだった。

 でも、限られた命だからこそできると思った。

 

 それはできた、と感じている。

 僕は満足だ。

 悔いはない。

 あ、いや。違うな。

 

 もう少し自分の健康を管理しておけば、こんなことにはならなかった。

 仕事仕事で、少々の不調など無視し続けて、この結果だ。

 

 かわいい亜弥の顔をもっと見ていたかった。

 かわがってやりたかった。

 生まれてくる子にも会いたかった。

 子供たちの成長を見守りたかった。

 成人式。結婚式。孫の誕生。

 どれもこれも本当に見たいよ。

 でも、もう見られない。

 子供が手を離れてから過ごす君との暮らし。

 もう、その全部を見ることができないし、体験することもできないけれど、天国からは必ず見守る。

 

 君も幸せになってほしい。

 もう僕からは解放されて。

 

 僕は君を取り戻し、半年と言われた余命が、少し伸びたみたいだ。

 復縁して一年。

 人生最高の一年だったよ。

 僕も君にもう一度恋をした。大好きだよ。

 

 君にはこれからの人生、きっと長い時間がある。

 その時間を大切に使ってほしい。

 

 子供たちのこと、よろしく頼む。

 そして、君自身が僕から解放されて、幸せになることを願う。

 本当に願う。

 だから、そんなチャンスがあったら、迷わずそれをつかみ取ってほしい。

 遠慮なんかするな。

 それが僕の望みだ。

 

 まだまだ告げたいことはたくさんあるような気がするけれど、最後にかけたい言葉はやはりこれだけだ。

 

 愛している。ありがとう。

 

 読みながら、手紙を握る手がぶるぶる震え続けた。

 泣いた。

 子供たちを起こさないように、声を押し殺していたけれど、読み進めるうちに我慢できなかった。彼の名を呼びながら、号泣した。

 

 

 月日は流れる。

 子供たちは成長していく。

 

 それでも――

 わたしはずっと聡史のことを思い続けている。それは何も変わらない。

 

 春が訪れるたび、桜が咲くたび。

 わたしはそこかしこに彼の思い出をあたためる。

 幾度も思い出し、泣いたりもする。少しずつ微笑めることもある。

 

 春の彼の命日には、いつもお参りをする。

 今年、早咲きの満開の桜の下、花びらがいっぱい墓に散っていた。

 彼岸から間もないが、

 あらためて掃除をし、

 水をあげ、

 花を取り替えながら、

 

 わたしは語りかける。

「あなた、亜弥は今度もう6年生だよ。いいお姉ちゃん。聡は小学校に上がるよ。やんちゃよ。誰に似たんだろうね」

「お義母さん、こないだぎっくり腰になってね、大変だったのよ」

「お義父さん、あれでけっこう優しいね。今、家で看病してるの」

「それからね、こないだ家に野良猫が来てね、亜弥がね……」

 些細なことから大きなことまで報告しながら。

 

「桜餅、買ってきたよ。あなたの好きなお店の」

 供える。

 

「ママ!」

 亜弥が呼び走ってくる。その後ろから、頑張って聡がついてくる。わたしは立ち上がり、少し腰をかがめて二人の子らを迎える。

 

 ざっ、と風が吹いた。

 桜の花びらが、たくさん舞った。なんだか、喜んでいるみたいに。

 

 

――――「桜餅 fin」

 

ポチしてくださると、とても励みになります。(^人^)

     ↓

 
人気ブログランキングへ

 

☆ この物語はフィクションです。ブログ小説についてをご覧ください。