失敗しました…(ノ_-。)
先日の「重要な新月を前に」の記事を、操作ミスでうっかり削除してしまいました。
完全に同じ記事を書き直すことは難しく、また適切なタイミングで同じような主旨の記事をUPしようと思いますが、ちょっと間をあけます。
たぶん次の新月メッセージの時になると思います。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
今、日本は本来の文化へ回帰しようとしている。
それは地母神。
母なる存在への回帰。
神話的には、イザナミ様への回帰。
そんな記事を書いておこうと思います。
今日は大学の日なのですが。
先々週に「竹取物語」を、先週に「源氏物語」を講義で取り上げました。
「竹取物語」は日本文学の祖、「源氏物語」はそれに続き、日本の古典文学の最高傑作とまで言われるものですが。
私の中ではこの二つの平安時代の文学は、日本独特の母系文化が濃厚に反映されたもので、世界的に見てもまれな性質を持っています。
おとぎ話や神話など、いわゆるちゃんとした文学以前のものはともかく。
海外では文学というものが形を成した瞬間に、すでに父系文化が確立されていて、男が主導する社会が出来上がっていました。
つまり文学も男の文学として誕生していったものが多いのです。
ところが「源氏物語」は作者が紫式部、女性であり、作品の内容もとても女性性が強い。
「竹取物語」も一人の美しい女性のもとに男たちが群がる話であり、その雅な雰囲気といい、女性的な文学と言えます。
文学(物語)の歴史を追うと、それぞれの時代で求められる物語の形や性質があり、その時代の人々の潜在的な求めにしたがって、それを生み出せる作家や作品が登場してくるように思えます。
つまり文学を見ると、その時代のことがわかるのです。
時代を反映して生まれてくるのが文学。
求めに呼応して登場してきた作家の作品は、当然ですが、多くの人に受け入れられます。
現代で商業的に言えば、売れます。
売れるからこそ、さらにその作家は書く。
そして大きな潮流となる。
たとえばすごくわかりやすいのが、松本清張先生です。
名探偵がミステリーの庭をうろうろしていた頃、そのような非現実的な存在を否定し、現実の刑事などの生身の人間のストーリーを、当時の社会の闇を背景に打ち出し、生み出していった。
そう、高度成長期、そしてカネカネカネの時代の中でうごめく様々な矛盾や汚濁を描くことで、その当時の人々の心をわしづかみにしたのです。
これはあの時代の空気が求めたもの。
そしてそういう大きな存在は各時代時代に存在している。
そしてその中には、ただの流行ではなく、時代の空気の中で作られたからこそ、普遍的なメッセージや恒久的な魅力を持つ作品として、いつまでも出版され、映画やドラマが作り続けられる……
江戸川乱歩や横溝正史、松本清張……
現代でも、そのような巨星になる語り部は存在しています。
この人はきっと松本清張先生のような足跡を残すのではないかと思っているのは、ミステリーの世界の話ですが、東野圭吾さんです(私見ですが)。
そう思う理由は、ここでは伏せときます。(笑)
ただ、この後、もう少し違った空気が生まれてくるような気もしています。
これは私の予感にすぎないのですが、「大いなる婚姻の時」がもう目の前に迫っていて、この時に備えた新月が連続する今この時。
たぶんここ数年間のうちに、大きな変化が生まれると思われます。
日本だけではなく、世界の空気が変わる?
ともかく、日本はこの変わる空気の中で、もっとも本来の文化に回帰するように思えます。
それは、母系文化へ。
ばらばらでいがみ合う文化ではなく、母なる存在を中心にして
ワとなる
文化へ。
これから後は、もしかすると母系文化的な物語が、世間に受け入れられるかもしれません。
それをどう表現するかは、作家個人の認識や能力ですが。
私は商業作家としては、ある意味、すでに第一線を退いた人間です。
しかし、その時代の空気なのかなんなのか。
「ヤマトタケル」も同じ潮流の中にある物語で、それをこのブログで書くチャンスが与えられていること。
近いうちに続編をUPいたします。
またこの私が構想するヤマトタケルを題材にした脚本を、今後は手掛ける所存です。
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