海王星で無になれば rart.13 |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

「おじいちゃん、おばあちゃん、ただいま!」

 史也が大きな声で家に駆け込んで行く。
 
 清司と奈津子は驚きはしたが、喜びは隠せなかった。

 広子は母に謝っていたが、母も原因が原因だけに怒りはしなかった。むしろ、帰ってきてくれただけでもありがたいと言った。

 喜びもつかの間。

 孝司は広子と一緒に話し合った。

 あらたに叔父への借金を抱えて、返済のめどはなかった。

「破産宣告とか、そんなことをするしかないんじゃないの」

「そうだな……おれたちの給料で、とても返せる額じゃない」

「でも、そんなことをしたら、住むところだって……それに会社とか近所に知れたら……」

 議論は堂々巡りだった。

 ふと孝司は、今朝、銀行で出くわした旧友のことを思い出した。

 司法書士。

 須藤彰一だったら、こういうことに詳しいのではないだろうか。

「でも、大丈夫かな。そんな友達に話して……」

 提案してみると、広子はさすがに不安げだった。

「もう、何年もろくに交流のない友達なんでしょ」

「いや、あいつは信用できるよ。それに司法書士の仕事として相談したら、ちゃんと秘密は守ってくれるだろ」

 広子も積極的ではなかったが、さりとて自分たちだけでいいアイディアが浮かぶわけでもなかった。

 結局、孝司は須藤に連絡を取った。

 須藤はすぐに時間を作ってくれ、とあるファミリーレストランで会うことになった。



「昔話に花でも咲かせたいところだが……どうも、そんなのんきな状態ではなさそうだな」

 須藤は会うなり、そう言った。

「ああ……」

「奥さん、戻ってくれたのか?」

「お見通しだな」

「まあ、なにげにやりとりを見ていたらな」

「厳しい状態だ……いや、それ以上かな」

 孝司は包み隠さず、ことの経緯を旧友に語った。

 須藤は手帳にメモを取っていた。

「なるほどな……その、借金の総額はどれくらいなんだ」

 孝司は言った。

 両親がいつの間にか作っていたそれだけで、一千万円近かった。
 それに加えて、改築のローンがある。

「現状のおれたちに、とても返済できる額じゃない。前だって、いっぱいいっぱいだったんだ」

「うーん」

「破産宣告でもしないと、どうしようもないかもしれない。ただ、それをやって世間に知れたり、住む家がなくなってしまうと、今のオヤジの健康状態のこともあるし……」

「個人再生で債務整理をしたからといって、それが世間や勤め先に知れるわけじゃないぜ」

「そうなのか?」

「家だって残せる。住宅に関するローンは、そのまま温存されて払っていける」

「さすがに詳しいな」

「うちの事務所でも、債務整理の仕事は年々増えている。おれもたくさん手伝ってきたよ」

 須藤は東京で司法書士の資格を取り、その後、こちらに帰ってきたらしい。現在はかなり大きな司法書士事務所で働いているということだった。

「ただな……もうちょっと、確認したいことがある。それはお前ん家(ち)の収支の正確な数値だ」

「というと?」

「なににいくら金がかかっているかとか、すべての支出とすべての収入の状態だ」

「今言われても、そんなに正確にはわからない」

「じゃ、それを出して来い。……ああ、いや、奥さん、今は家にいるんだろ」

「あ、ああ」

「これからお前ん家に行こう。そして、そのへんをはっきりさせよう」

 須藤は立ち上がり、少し笑った。「子供の頃は、よく遊びに行ってたよな」



「たしかに、こりゃ、ひどいな」

 収支のバランス表を作成して、須藤は言った。
 山之上家の居間でのことだった。

「そうだろ?」

 孝司は言った。隣に広子も控えている。

「いや、おれが言っているのは、この支出のずさんさだ」

「どういうことだ。そんな、贅沢はしてない」

「じゃ、この保険金はなんだ? この何万もする保険代」

「それは、女房はこの保険のセールスをやっているから……」

「こんなの県民共済みたいなものでいい。それで十分だ、今は。二人とも身体の調子が悪いとか、そんなこともないんだろ」

「まあ、そうだけど」

「余裕ができたときに、入ればいい。これに入っていないと続けられないお仕事なんですか?」

「かならずしも、そううわけじゃないですけど……やっぱり、まず自分で数字を出していかないと」

 と、広子は申し訳なさげに言った。

「あの、奥さん。このお給料だと、そう成績がいいわけじゃないですよね」

「はい……」

「すっぱり辞めてしまって、何か別なお仕事をなさるとか、あるいはパートとかでも、掛け持ちするか、ものによってはこのくらいのお給料になるはずです」

「た、たしかにそうですけど」

「今のお仕事は好きなんですか?」

「いえ、そういうわけでは……でも、他に取り柄がないので」

「奥さんのお給料は、自分でかけている保険料と債務返済の一部できれいに消えてなくなっています。これではなんのために働いているか、わからないじゃないですか」

「おい、ちょっと待て。広子にそんな言い方しないでくれ。悪いのはおれなんだから」

「一人で背負い込んでも、なにも解決しない」

 須藤は強い調子で言った。

「悪いのは自分だって言うのは、ある意味、簡単なんだ。そうやって背負い込んで、辛そうな顔をしていれば、責められなくなるからな。だけど、それでは問題が解決しない」

「手厳しいな」

「おれはこういったケースをたくさん見てきてる。大事なのはこの問題と、当人がちゃんと向き合うことだ。真剣にこの問題に取り組んで、解決しようと思うことなんだ」

「わかりました」広子が言った。「仕事のこと、考えてみます」

「広子……」

 いいのよ、という目で彼女はうなずいた。

「あと食費だ。家族五人。しかし、この金額は毎月でもないかも知れないが多すぎる……」

 須藤は家計の問題点をいくつか指摘してきた。厳しい言葉ばかりだった。

 しかし、言われてみれば、これで当たり前と思っていたことに、実に多くのアラがあった。

「あと、お父さんお母さんの年金だが、これは孝司がちゃんと預かって管理しろ。これまでの話だと、借金の元凶はお父さんお母さんの金銭感覚のルーズさにある」

「わかった……。しかし、これだけ切りつめても、叔父さんの分の借金の返済までは、とても……やはり破産するしかないんだろうか」

「孝司」須藤は居住まいを正し、言った。「いいか。ちょっと考え方を変えろ」

「どういうことだ」

「お前にはすでにこの家や土地があった。改築のためにかなりのローンを組んでいるが、それだってな、家や土地がない人間から見たら、ずいぶんと有利な話なんだ」

「そりゃ、たしかにそうだが」

「叔父さんの借金を含めたところで、住宅と土地の両方を購入したと思えば、まだ十分にどうにかなる範疇だ」

 言われてみれば、その通りだった。

「家土地を買ったと思い、返済してみろ」

「しかし、現実に収入が足りない……。それに、さっきも言ったが、俺は今の会社で立場が危ういんだ」

「職がなくなったからといて、お前には整備士としての腕があるだろう。いいチャンスだと思って、変わってしまうことだってできる。恐れすぎるな」

「お前には俺の気持ちがわからないんだ……」

 苦しくなって、孝司は思わず吐露した。

「会社で評価されず、明日をも知れない状態になっている人間の気持ちが。そうやって、司法書士なんて安定した暮らしをしている人間には」

 須藤は少しだけ沈黙を守った。

「……仕事のことはともかく、明日をも知れない状態というのは、わかるつもりだ。孝司、おまえは俺が何もこういう立場の人間のことが分からないと思うか?」

「…………」

「おれの家も、おれが大学に行っている間に、破産した。三年の時だった。おれは何も知らずに、親に頼って大学に通っていた。ところが、ある日、もうどうにもできないと、親が悲鳴を上げてきた」

 初めて知られることだった。

「俺は自分を責めたさ。今のお前のようにな。でも、そんなことじゃ何も解決しない。その後の数年間は、ちょっとした地獄だったな。俺が司法書士になるまでの苦労話なんか、聞きたくもないだろうけど、俺がこの仕事に就いたのは、そういう過去の経験からだ。金の問題で死にそうな人間も、この世にはたくさんいる。だから、その人たちを立ち直らせる手助けがしたいと思ったんだ」

 ちょっと返す言葉が出なかった。

「……すまん。知らなかった」

「いいんだ。それよりも、叔父さんのことだが」

「ああ」

「叔父さんの借金の返済をストップしたままの状態だと、現状、やっていけそうだ。それどころか収支のバランスを最適化すれば、生活に余裕も生まれるだろう。ちょっとした余暇を楽しむくらいの人間らしい暮らしができるはずだ」

「ああ、しかし……叔父はもう待てないと言っている」

「叔父さんを、お前が説得しろ」

「いや、無理だと思う。これ以上、待てというのは」

「待てないのなら、個人再生法を使って債務整理すると言え」

「!」

「そうしたら、法の適用で叔父さんが回収できるお金は、何分の一にもなる。ちょっと待って全額、回収する方がいいのか、相手に天秤にかけさせろ。今すぐ返済をはじめさせたいのなら、取り戻せる額は大幅に減るが、それでもいいですか、と。多少なりとも、損得勘定の働く人間だったら、どちらがいいのか自明の理だと思うがな」

「あなた……」

 広子が身を乗り出して言った。

「今、かけている保険を解約すれば、30万くらいの掛け金の払い戻しがあるわ。それを一時金というか、頭金にできないかしら」

「いいアイディアだ、奥さん」

 なにか、ストンストンと、はまっていく感じがした。

 歯車がちゃんと回り始めたような……。

「わかった。やってみよう」

 孝司は顔を上げた。


この物語はフィクションです。