人が幸せになるためには何をすればよいか・1 |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

結婚したい。
幸せになりたい。
いい仕事に就きたい。
せめて望む仕事に。

このように思うのは人間として、きわめて当然のことです。

「あたし、結婚できますか?」

驚かされるのは、若くてきれいな女性でも、こんな不安を抱えている人が非常に多いということです。
上記の質問は、最近、お会いした女性のかなりの割合の人が口にされた言葉です。
そう、二人に一人か、それ以上の割合でした。

ふつーに考えて、
「あんた、そんなにきれいでまだ若いのに、なんでそんなことに不安を抱くの?」
と考えがちですが、彼女たちにとっては非常に切実な悩みであり、ほしがっている答えなのです。

自分に自信を持てない人が、それほど多いという証拠なのです。
ただきれいなだけではなんの裏付けにもならない。
それどころか、容姿を軽視する風潮さえ、あるように感じられます。

いや、みんな、きれいにしているのですよ。
ただ、容姿などなんの武器にもならない、もっと自分の内側を見てほしいと思っている女性が多いように感じます。
しかし、その内側に自信が持てない、とくに誇るべきものがなにもない、と感じる女性が多いのです。


高校時代、ある女の子が一学年下にいました。
彼女は言ってみれば、頭でっかちなところがあり、
「自分とはなんなんだろう」
「なんのために自分は生まれてきたんだろう」
「存在価値はあるのか」
などということで、日々悶々と悩んでいました。

問うても、答えの出ない悩みです。

それは今でこそ、生まれ変わりの研究などの知識がある私には、「自分が望んだ人生を経験するため人は生まれてくる」という解答も用意できますが、これはどちらかというと一般論です。
彼女の悩みの根本は、まさに自分という個の存在価値で、それを知りたがっていました。
「じゃあ、あたしの望んだ人生ってなに?」
「どんなの?」
「その人生にどんな価値があるの?」
彼女はかならず、そうたたみかけてきたでしょう。
それには答えがありません。
仮にそのようなものが自分以外の他人から与えられても、納得できなければそれまでです。

いくら自分の中を模索しても、決してこの答えは導き出されません。
空虚な空間で手探りするようなものです。

答えはないからです。

もし彼女がその後の人生でも、同じ問いかけで悩み続けていたら、彼女の人生は実り少ないものになったかも知れません(その後、会っていないので、どうなったのかは分かりませんが)。
なぜなら、悩み続けるだけでなにもしなければ、なにも変わりようがないからです。


これはたとえば
「金持ちになりたい」
「成功したい」
「プロスポーツの選手になりたい」
という願いや欲望を持っていて、来る日も来る日もその想像ばかり行うのと同じです。
想像だけでしても、なにも起きません。

たしかにイマジネーションは人の創造活動の根源なので、大事です。
しかし、絶対にアクションが必要になってきます。

ましてや「自分とはなんなのか」というような用意されない答えを問いかけていたら、なにか明確な目標があるわけではなく、自分の中になにかを見出してからそれをやろうとするわけですから、永遠にそのときは来ません。
答えはないのだから。

この問題については、過去、<自分で決めなさい>という記事を書いたことがありますが、人は自分という存在を自分で決定することができます。

今の私なら、彼女に「あれこれ理屈を付けようとするな! とりあえずただ生きて何かやって見ろ! それからまた考えろ!」と言ったでしょう。

私は最近の若い女性たちを鑑定する内に、この彼女と似た内面の不安を多くの女性(だけではないですが)に感じるようになりました。

そこで、この記事を書こうと思い立ちました。
幸せを得るために、どうすればよいのか。
占星術とスピリチュアルな観点から考えてみようと思います。

続く。

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