先日読了した「キリストの棺」。
なかなかすごい内容だった。ミステリーではないが、中身は推理小説顔負けの展開だ。
なにしろ、あのイエス・キリストとその家族の墓が見つかったというドキュメンタリーなのだから。
エルサレムでそれが発見されるいきさつから、その発見の真の価値が見いだされ、再調査、発表に至るまで。
それによると、「骨棺」に刻まれた「ヨセフの息子イエス」「マリア」「ヨセ」「イエスの息子ユダ」マグダラのマリアを意味する「師として知られたマリアムネ」などの文字から、統計的にこれらの関連性のある人物が一つの墓の集合する偶然はどれくらいなのか。そして骨棺から見つかった骨から採取されたDNA鑑定など、最新の技術を持って、この発見の真偽と問うた書だ。
個人的には、この発見された棺を持って、イエスのものだと判定するのに反論はない。
たぶん正しいのだろう。
これだけ関連のある名が、一つの墓に収められることなど、そうあるものではない。
クリスチャンにとっては大事件かもしれない。
イエスが妻帯し、子供まで儲けていたのでは、かなりその教義にも修正が必要になってくるかも。
最も重要なのは、イエスが死後、「復活」したのかどうかという問題だ。
これはクリスチャンの信仰の根幹にも関わっている。
しかし、この書の中でも触れられているが、多くのキリスト教関係者が、「イエスの墓が現実に見つかったとしても、それはイエスの復活を脅かすものではない」と考えているようだ。
イエスには肉体を持ったまま、最終的には昇天したといわれているが、それは解釈の一つにすぎないらしい。
イエスの復活と昇天を、その霊性の問題、現象だと考える向きもあるようだ。
だとすれば、死後、復活を果たしたのはイエスの霊であり、実際に多くの人に復活を印象づけたのは、肉体を持って蘇る奇跡ではなく、「人間の本質は霊であり、不滅の存在なのだ」という証明なのかもしれない。
それはそれで素晴らしい奇跡ではないか。
しかし、「ユダ」というイエスとマグダラのマリアの子供がいたとすれば、その子からイエスの血脈が現代にも残っているかもしれない。
こりゃ、ダヴィンチ・コード顔負けだ。なにせ、こちらはリアルな学術調査そのものなのだから。