アルバム概要
Native Construct『Quiet World』は、2015年4月21日にMetal Blade Recordsからリリースされた、このバンド唯一のフルアルバムです(品番:3984-15373-2)。

バンドの実体は、ボストンのバークリー音楽大学で出会った3人――マックス・ハーチック(Ba)、マイルズ・ヤング(Gt)、ロバート・エデンズ(Vo)――で、CDブックレットにも「NATIVE CONSTRUCT IS:」としてこの3名のみが明記されています。作曲・作詞・編曲はすべてNative Construct名義、プロデュースもNative Construct自身が手がけたセルフプロダクション作品です。

制作は一人のスタジオ・エンジニアに委ねられたものではなく、複数のスタジオを横断する形で仕上げられています。エンジニアリングはNative Constructとジェイミー・キングが共同で担当し、ミックスはリッチ・マウザーがThe Mouse Houseで、マスタリングはジェイミー・キングがThe Basement Studiosで行いました。ミックス作業のアシスタントはジェフ・フォックス、追加のプロダクション編集にはマイルズ・ヤングとケヴィン・キングの名がクレジットされています。

学生バンドとしての制作体制でありながら、正規メンバー以外の貢献者も少なくありません。3曲目「Passage」ではサックス奏者カール・カトロンが参加(Discogsのクレジットでは「Uncredited」扱いですが、CDブックレットの謝辞では「サックスの妖術("saxophone sorcery")」として名前が挙がっています)。ジャケットアートワークはスペインのイラストレーター、マリオ・サンチェス・ネバドが手がけました。

7曲、約48分。ジャンル分類は一般にプログレッシブ・ロック/プログレッシブ・メタルとされますが、Discogsのスタイル欄では"Prog Rock, Progressive Metal, Symphonic Rock, Experimental"と、単一ジャンルに収まりきらない幅の広さが示されています。この折衷性こそが、以下で論じるコンセプトの核心と分かちがたく結びついています。

「お遊び」に見える罠
日本盤ライナーノーツ(武田砂鉄氏執筆)は、Native Constructの折衷性を評して「博覧会のように音楽的要素がいくつも盛り込まれ」「ジャズもオペラもファンクまでも含ませてくる」と書いています。この語彙、どこかで聞き覚えがないでしょうか。Soft MachineやCaravan、Hatfield and the Northといったカンタベリー派のバンドを語るときに、よく用いられる言い回しです。

事実、この筆致に導かれると、『Quiet World』もまたカンタベリー的な、力の抜けた「お遊び」の感覚でジャンルを横断している作品のように読めてしまいます。ましてやコンセプトについては「ある女の子に片思いしたシャイな男が、そんな自分を受け入れられず……」という一文で片付けられ、続けて「テクニカルな音と相反することじらせっぷりに失笑してしまう」と評されるとなれば、なおさらです。失恋した青年の妄想譚。ちょっと気恥ずかしい、微笑ましい話――そんな受け取り方をしても不思議ではありません。

しかし、これは誤解です。カンタベリー派のあの脱力した折衷性、失恋さえも韜晦とユーモアで包んでしまうあの軽やかさとは、Native Constructは似て非なるものです。むしろ正反対と言っていい。ブックレットに刻まれた歌詞とコンセプトを丁寧に読み解くと、そこにあるのは笑えない、笑ってはいけない種類の物語だということが見えてきます。

 

 

 


二重構造としての『Quiet World』
物語の外枠はこうです。ある女性に片思いした内気な青年が、その想いを受け入れられず、自分の思い通りになる「皆が口を利けない世界」を創造しようとする。ボーカルのロバート・エデンズ自身、公式解説でほぼ同じ言葉を残しています。

しかし、これはあくまで外枠に過ぎません。アルバム構成を丁寧に追うと、もう一層深い構造が見えてきます。

2曲目「The Spark of the Archon」で登場する新キャラクター、アルコン(Archon)は、雲の上に住む民と海の彼方に住む民を統合し、蜂起を主導します。彼らが対峙する敵は、人々が「Sinister Silence(邪悪なる沈黙)」と呼ぶ存在。アルバムの残りは、この内的世界における両者の絶え間ない闘争として展開していきます。唯一の例外が4曲目「Your Familiar Face」で、ここだけがこの内的世界からいったん離脱し、Sinister Silenceの悲劇的な背景――つまり物語冒頭の出来事そのもの――を描き出します。

整理すると、この作品は二重構造を持っています。

  • 外枠の物語:失恋した青年が、自分だけの静かな世界を創造する
  • 内側の物語:その創造された世界の中で、Archon対Sinister Silenceという神話的な闘争が繰り広げられる


「もっと静かな世界」を望んで創造したはずの世界そのものが、皮肉にも「沈黙」を体現する支配者によって脅かされる。この入れ子構造、そして主人公の内なる傷が神話的スケールの闘争劇へと昇華されていく過程にこそ、このアルバムの真の主題があります。個人的な失恋という卑小な出来事が、雲の上と海の彼方の民を巻き込む叙事詩にまで拡大される。ここにあるのは「お遊び」ではなく、感情を神話の水準にまで押し上げようとする、きわめて真剣な身振りです。

折衷性を駆動するもの
この二重構造を踏まえたうえで、あらためて「カンタベリー的に見える」折衷性の中身を見てみると、その駆動原理がまったく異なることが分かります。

カンタベリー派の折衷性は、ジャズのハーモニー感覚をロックに持ち込みながらも、脱力感とゆるさを手放さないところに本質があります。技巧をひけらかすのではなく、さりげなく難しいことをやってのける。譜面に固めきらない即興性・スウィング感が生きています。

Native Constructの折衷性は、これとは根本的に異なります。バークリー・メソッドという体系化された音楽理論を土台に、意図的かつ計算的に組み立てられている。ジャンル横断は遊び心ではなく、劇的効果と物語進行のための道具として機能します。1曲目「Mute」の冒頭、壮大なオーケストレーションとブラストビートが混じり合いながら疾走し、中間部でQUEENを意識したかのようなコーラスワークが入ったかと思えば、透き通るような声色を遮断するようにデスヴォイスが被さっていく――この落差の演出は、Archon対Sinister Silenceという闘争そのものの音響的な表現に他なりません。

つまり、多様な音楽的要素の混在は、単なる技巧の見本市ではなく、内的世界における対立と葛藤を音で描写するための必然的な選択なのです。「計算された散らかりを楽曲の整合性として編み込む」という設計思想は、コンセプトの二重構造と分かちがたく結びついています。


この作り込みは、ライブの現場にもそのまま持ち越されていました。2015年のProgPower USAでの演奏映像を見ると、ステージ上にキーボード奏者の姿はなく、代わりにドラムセットの手前、ラックマウント機材の上に1台のラップトップが置かれています。おそらくここから、生演奏だけでは再現しきれないオーケストレーションやキーボードパートを流し、ドラマーの視界に入る位置でタイミングを同期させていたのでしょう。専任のオペレーターを立てる余裕のない学生バンドらしい、簡素だが機能的な運用です。スタジオで作り込まれた音の密度を、ライブでも切り詰めずに再現しようとするこの姿勢そのものが、Native Constructの折衷性が「その場の即興」ではなく「あらかじめ設計された響き」であることを、何より雄弁に物語っています。

失恋ソングは、なぜ笑えないのか
この対立をもっとも鋭く映し出すのは、歌詞における「失恋」の扱い方そのものです。

カンタベリー派における失恋、たとえばケヴィン・エアーズの作風を思い浮かべると分かりやすいのですが、彼らの歌詞は本当に失恋や喪失を扱っていても、どこかで自分自身を突き放して見る視点、韜晦、言葉遊びへの逃避が挟み込まれます。ロバート・ワイアットにしても、感情そのものは切実であるにもかかわらず、それを大仰な悲劇として盛り上げることを許さない照れがある。深刻さをそのまま提示すること自体が「ダサい」という美意識が根底にあり、ユーモアは感情を軽視しているのではなく、その生々しさに耐えるための緩衝材として機能しています。

Native Constructは、これと真逆です。失恋した青年が「誰も口を利けない世界」を妄想的に創造し、その内部でArchonとSinister Silenceの神話的な闘争が繰り広げられるという構成には、皮肉る視点や自己戯画化が一切介在しません。むしろ個人的な感情を神話的スケールにまで拡大し、劇場的に――まさにQUEEN的に――盛り上げていく。「Your Familiar Face」でSinister Silenceの悲劇的背景が明かされる仕掛けも、個人の傷を叙事詩的な悲劇へと格上げする方向に働いています。

これは単なる歌詞のトーンの違いではありません。英国的なアイロニー(自己を客体化する視線)と、アメリカ的なシンセリティ(感情への没入と拡大)という、もっと根の深い文化的分岐点がここに露出しています。Dream Theaterに象徴されるアメリカのプログレ/メタル系譜が背負ってきた表現文化そのもの――感情の誇張を恥じない、むしろ最大化することが技巧の見せ場になるという美学――が、Native Constructにもそのまま受け継がれています。バークリー・メソッドという体系化された理論を土台に持つこと自体、感情さえも設計対象として扱う姿勢と地続きなのでしょう。

「made in US」という刻印
『Quiet World』は、プログレ×メタルという掛け算のバンド史の中に位置づけるだけでは捉えきれない作品です。学生バンドの過剰な野心と、それを裏付ける確かな作曲技術が拮抗している瞬間の記録であると同時に、「失恋を笑えない」という一点において、これが紛れもなく「made in US」の作品であることを刻印しています。

折衷性という表層だけをなぞれば、カンタベリーの牧歌的な遊び心と混同してしまうかもしれません。しかしその奥で鳴っているのは、個人の傷を神話にまで拡大しようとする、笑いの入り込む余地のない切実さです。

なぜ一枚しか残らなかったのか
その切実さは、皮肉にもバンド自身の終わり方にまで及んでいます。

2019年3月、ギタリストのマイルズ・ヤングはFacebookで、バンドが「無期限の活動休止」に入ることを公表しました。声明でヤングが挙げた理由は、メンバー間の不和や創作的な行き詰まりではありません。大学卒業後の生活費、キャリア形成、生活基盤の安定――「大人の生活」の現実が、徐々にバンドの優先順位を下げていったという、きわめて率直な説明でした。Native Constructは一度も安定した収入源になったことがなかったとも述べられています。制作中だった2作目も、メンバー個々の音楽的関心の変化とともに当初の構想から大きく逸れてしまい、日の目を見ることはありませんでした。

ここで注目したいのは、この説明の仕方そのものです。バンドの終焉を、はぐらかしやアイロニーで包んで語るのではなく、経済的現実として直截に、ほとんど無防備なまでに率直に提示する。これは、本稿で見てきた『Quiet World』の歌詞の身振り――感情を茶化さず、そのまま神話的スケールへと押し上げる態度――と、驚くほど地続きです。バンドは自らの終わりに際してさえ、感情をはぐらかすことを選びませんでした。

一枚しか残らなかったこのアルバムの輪郭は、その切実さを正面から見つめたときに初めて、くっきりと立ち上がってくるように思います。そしてその切実さは、音楽の内側だけでなく、学生時代の情熱的なプロジェクトが「生計を立てる必要のある大人の現実」に押し出されていくという、あまりにアメリカ的で、あまりに普遍的な結末にまで貫かれていたのです。

今、彼らは
2019年の声明では、メンバーそれぞれのその後も明かされています。ロバート・エデンズはサウンドデザインの仕事に就きながら個人でボイストレーニングの指導を、マックス・ハーチックはゲーム業界でサウンドデザイナーとして働いています。マイルズ・ヤングは音楽理論・作曲の個人レッスンを手がけながら、YouTubeチャンネル「Music With Myles」で音楽理論の解説動画を配信するようになりました。ライブメンバーだったジェイク・ディックはクルーズ船でのドラム演奏を経てLAへ移り、ポー・ホックはギター講師業のかたわら、テクニカルデスメタルバンドReplacireやソロプロジェクトで演奏活動を続けています。

誰も演奏そのものをやめたわけではありません。しかし、あの緻密な器楽的技巧と作曲理論を注ぎ込んだバンド活動そのものは、生計の手段としては選ばれませんでした。ヤングが音楽理論の「解説者」に転じたことは象徴的です。バークリー・メソッドを体現する演奏家であることよりも、それを教える立場に立つことのほうが、経済的には持続可能だったということでしょう。

この帰結は、彼らが活動していた10年前も、そして今も変わらない、あるいはむしろ強まっている音楽産業の構造を映し出しています。器楽演奏の技巧を極め、緻密な構成を積み上げた48分のコンセプトアルバムを作ることは、収益という観点から見れば、もっとも割に合わない選択の一つです。ストリーミングのアルゴリズムやショート動画のバイラル性が支配する現在の音楽経済で確実に収入を得ようとするなら、必要なのは器楽的な鍛錬ではなく、数十秒で耳に残るフックだけで組み立てられた楽曲を量産する体制でしょう。この傾向は『Quiet World』がリリースされた2015年にもすでに芽生えていたはずですが、この10年でさらに加速し、後戻りの利かない前提になってしまいました。

Metal Bladeという老舗レーベルが、学生バンドの野心的な一枚に賭けるという判断を下せた2014年という時期そのものが、今にして思えば、産業構造がまだそうした賭けを許容していた最後の窓だったのかもしれません。『Quiet World』が「奇跡の一枚」として語り継がれるのは、音楽的な完成度の高さゆえだけでなく、そうした窓が閉じる直前に生まれた作品だからでもあるのでしょう。