「夢中問答―禅門修行の要領」( 西村 恵信【著】NHKライブラリー)
足利直義の問いに夢窓国師が答えていく問答の中で、
禅の精神、修行のかたちやそのエッセンスが明らかにされる。
オススメ度
☆☆☆☆☆
直義の禅への疑問が、非常に的確かつするどく、かつ、その夢窓国師の返答も簡潔かつシンプルなため、
絶好の入門書といえる。
①直義の問い
一切ほかのことを捨てて、坐禅修行をおこなうことは、大乗仏教の衆生済度の精神に反するのではないか?
①夢窓国師の答え
大乗仏教の慈悲観 「自未得度先度他」(自分がまだ悟らないのに、先ず他を渡す)
人をのみ 渡し渡して 己が身は 遂に渡らぬ 渡し守かな
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「衆生縁の慈悲」として、真実の慈悲とは言わないと答える。
「無縁の慈悲」こそが、真実の慈悲と答える。
一切の衆生を救おうという肩をはった使命感などはなくとも、
悟りを得て真実の生活をすれば、その姿によって衆生は済度されてしまう。
「月の衆水に影を映すがごとし」
「水を掬すれば、月手にあり」(『虚堂録』三:月に映ろうと思わなくても、手に水を掬えば月の影はいつでも写る)
映るとは 月は思わじ 写すとは 水も思わじ 猿沢の池
*自他不二、一と多の一体性の考えが無縁の慈悲には前提となっている。
不伝の伝 「釈迦説いて説かず、迦葉聞いて聞かず」
夢窓国師「然らば即ち法をのぶるに、説・不説のへだてもなく、人を度するに益・無益の相もなし」
*「維摩経」において、「愛見の大悲(愛見を離れておらず、世間の実相を知らず、実体に対する執着心をもっているとして)」として批判している。
*慈悲の種類は3つと夢窓国師は答えている。(衆生縁の慈悲、法縁の慈悲、無縁の慈悲)
*法縁の慈悲とは、すべては幻のようなもので実有はないとして、おこなう慈悲のことだが、すべてを幻のごとくに見てしまうために、「如幻」として、これを批判している。
■ポイント■
ここでも、色即是空だけの法縁の慈悲を批判し、
般若波羅蜜的な無縁の慈悲が説かれている。

