太宰治と更級日記に見る《間思考》 | Zenyôji

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東京でブックデザイナーとイラストレーターをやっています。

僕の江戸研究のテーマは《間思考(ましこう》です。

江戸二六〇年に育まれた、西洋とは決定的に異なる思考があったからこそ、二六〇年という長い平和な時代・政権が可能になったのではないか?と考えています。



その《間思考》の時代が終わると、明治がやって来ます。

《間思考》の対局とも言える《点思考(てんしこう》が西洋文明とともに大量に輸入され、法律という形で、社会のルールを変えようとします。



その急激な変化(変化は常に急激ですが)に、当然ひずみができます。

それを、もっとも敏感に感じたのが、新時代の文学者たちだったのではないでしょうか。

「純文学」で「点思考と間思考の歪み」を解こうとしたのではないのか? というのが僕の仮説です。



だからこそ、その時代に生まれ、多くの人が共感したのではないでしょうか。



《間思考》の観点から純文学を見ていくと、その時代の葛藤が見えてきます。









太宰治の『斜陽』

この中で、主人公はある友人と精神的な別れの体験を吐露します。

主人公は友人が貸してくれたレーニンの本を返すのですが。

この時、友人は彼女がレーニンを読んでいないことを察し

「あなたは、更級日記の少女なのね」といい、「私を恐れている」と断じます。

そして、バイロンの詞を原語(英語)で暗誦して別れを告げます。


バイロンとは江戸後期のイギリスの政治家・詩人で、アイルランドのカソリックを擁護するなど、革新的な人物で、既存社会・政治への批判を行いました。言わばレーニン同様の「革命家」と言えます。晩年の『カイン』は特に現代日本の社会にも強く訴えるものがあると僕は感じます。


その反対に『更級日記』というのは、平安時代中期の作品で、著者は菅原孝標(すがわらのたかすえ)の次女です。

孝標は常陸介(ひたちこくし)と呼ばれる鹿島など関東の管理を任された役人でした。その娘で十三歳~五十二歳までの自叙伝的なエッセイです。
内容は簡単にいうとアンニュイ物語です。役人の家に生まれ、地方で育ち、嫁ぎ、最後はひとり寂しい暮らしだと嘆き終わります。
彼女は《間思考》です。どういうところが《間思考》かというと「変化を求めていない」のです。
「自分は寂しい」と嘆きながらも、だからといって「どうあるべきか」という理想は語りません。つまり、誰かに救って欲しいけれど、それは自分が当然受けるべき権利を侵害されているからであり、社会が変わるべきだ!とは考えていないのです。


反対にレーニンの本を薦めてくれた友人は、《点思考》です。それは、例えばレーニンの中に理想の社会があるのではないか? という問を主人公にしているからです。
しかし、主人公が「更級日記の少女」であれば、老いた未来は見えています。嘆けども変化を求めないことになり、それについて話すことも好まないだろうと断じています。だから、諦めて、バイロンの詞も、簡単に理解してもらおうと、日本語では言わず英語で言うのです。彼女は同じ英語の先生に学んでいますから、「理解したければ一歩進んできなさいよ」という挑発であり、要望も含まれていたかもしれません。


そして、太宰治はそんな主人公に決心をさせます。
本は読まずに返し、その友達とも別れてしまったけれど、
「私は確信したい。人間は恋と革命のために生れて来たのだ。」と。
ここでは、《恋》と《革命》は並列なのも注目したいところです。
太宰治はこのふたつが入れ換え可能だと考えていたのではないでしょうか?


「恋とは個人の革命であり、革命とは社会の恋である」


これがどちらも点思考であるのは、恋も革命も「理想が必要」な点で確認できます。
「《点思考》は理想へ向かう思考」で、「《間思考》は現状を維持する思考」なのです。


では、太宰治は《間思考》から《点思考》への転換が必要だと考えていたのでしょうか?
おそらく、そうではないでしょう。
太宰治は《間思考》の美意識のを愛する人間で、《点思考》は肌に合わなかったのではないでしょうか。


『斜陽』のストーリーは、決心した主人公は、そう決心しようと思っても・・・・
「あれから十二年たったけれども、私はやっぱり更級日記から一歩も進んでいなかった」としています。
しかし、以前は心のすれ違いが多かった母との間が、少し近寄って行き、家族には以前になかった穏やかのものが訪れます。


ここのテーマは「変化と成長」なのです。


レーニンやバイロンといった革命は《変化》ですが、主人公と母の間は《成長》です。
《点思考》では《変化》が求められます。
理想に向かって変えなければならないからです。
ところが、《間思考》では《変化》は急過ぎて受け入れられるものではありません。
何故なら、現状維持するためには《変化》は抑えなければならない、
「出る釘は打たなければならない」のです。
必要なのは《成長》なのです。ゆっくりとした変化です。


《変化》は自己否定から始まります。現状が悪くなければ変わる必要がないからです。
そして、《成長》は自己肯定から始まります。今があるからこそ育つことができるからです。
それは「特別である必要」もないのです。
雑草の様にあたり一面の「みんなと一緒」「平凡が一番」ということに繋がります。
これらは、点思考から見ると全く「進歩のない考えかた」に見えます。
が「現状がベスト」であれば、変わる必要はないのですから、当然の感覚なのです。
例え嘆くことがあっても。


さて、そんな間思考の「美」を『更級日記』の中の和歌から見てみましょう。


菅原孝標が常陸から帰って、主人公に再会した時の歌です。


 「思ひいでて 人こそとはね山里の
  まがきの荻に 秋風は吹く」


思い出してくれる人もいないほど、遠くに住んだ自分のところに、たまに「お元気ですか?」と言伝をくれることには、驚き嬉しかった。という歌です。
自分から手紙出すとか、田舎の人と交流して楽しく暮らすとか、ないのかよ!

なんて、思ってはいけません。
アンニュくないと《儚:ものの哀れ》という日本の美は感じることはできませんからね。


これを『斜陽』というタイトルとミックスして表現したのが、イラストです。


『更級日記』の最後は五十二歳になった主人公が、誰も思い出してくれない、寂しいと嘆きながら、


 「茂りゆく よもぎが露にそぼちつつ 
  人にとはれぬ 音をのみぞ泣く」


という歌を詠みます。
誰も思い出してくれない、ヨモギ(雑草)が茂っていくばかりの庭で、露に濡れ、涙に濡れ、自分の嘆きだけを聞いて、また泣いています。。。
すると、尼になった知人から返歌があります。


 「世の常の 宿のよもぎを思ひやれ
  そむき果てたる 庭の草むら」


ヨモギは何処にでも生える雑草でみんなと同じでいいですね。
私は世間を棄てた身ですから、そのような庭に生える雑草を想像してみてください。。。
つまり、あなたよりももっと誰も思い出してくれない、と嘆いています。


そんなに、寂しかったら行ってふたりでランチでもすれば?
なんて考えちゃいけません。
そんな現状でも彼女たちは満足しているのです。
やがて寂しく死んでしまうでしょうけど。


イラストは様に斜陽に輝く一粒の雫です。
この美しさが彼女達の人生であり「美」なのです。
夕日に照らされ輝くのは一瞬で儚いものです。
その後は必ず、暖かな太陽は沈んで闇が訪れます。
しかし、それを「悪いこと」とは捉えません。それが、自然だからです。
そして、陽が落ちれば、空には満天の星が輝くでしょう。
斜陽に輝く雫よりも、弱く「当たり前」の光りです。
草木を育てることのない、弱い光りですが、それは明らかに美しいのです。


「現状にある、些細な美しさを見つめること」
これが《間思考》のひとつの幸福感なのではないでしょうか?
その、どれもが自分の所有するもでもなければ、永遠でもありません。
そのかわり「繰り返し」が約束あれているものなのです。


その美しさを棄てて、誰も彼もが永遠の陽だまりを求めることは、決して素敵なことではない。

と、太宰治は『斜陽』で語っているように思えます。