koburaの Teacher業☆楽しもうぜ組

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ムリはせず、毎日楽しく、昨日よりもほんのちょっとでも前進しよう。
せっかくなった教師という仕事。
楽しみながら、一緒に、「価値ある」日本の教育づくりをしていきましょう☆

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ゴー宣道場31ページまでを読んで。

覚悟がなく、自分の人生に責任がない。
それをこのごろ強く感じている。

何がしたいのかわからず、高いコンサルやら何やらを受けても分からず。
最近はコンサルよりもよほど図書館で本を読んだ方が価値があると思うようになった。

その中で読んでいる本。

道場では身分の差がなかったことを初めて知った。強くて負かされても、「君」と尊敬できた器が大きい。道場は権力も不可侵の聖域だったからというのもあるのかもしれないが。

西洋文明が入る前から、公論意識や「公議輿論(世論と違い、自分の全人格をかけた思考を、神輿を担ぐように意見すること)」という考えがあったことを初めて知った。
はたして自分は、普段口にする言葉、人に対していう言葉を、全人格をかけて言っているか?

否。

その場だけの、思いつきの無責任な発言がほぼだ。輿論の意識をしていきたい。
言葉は人格だ。

また、ゴー宣道場の心得で惹かれたところは、

切磋琢磨の場であり、
志高きものの「共同作業」の場であること。
礼節を重んじ、「互いの向上」のために語り合うこと。

何故ここに惹かれたかというと、
わたしはチームというものがよくわからないからだ。個人主義者で一人でいたかった。群れたり集団というのが苦手だ。
人と一緒に何かをするメリットがよくわからないのだ。気疲れするというデメリットにフォーカスしてしまっているのだろう。

結果、同志や仲間という経験がなかった。

共同作業という言葉なら、なんとなくイメージできる。仲良しこよしをするわけでない、というなら、なんだか安心したのだ。

どうやらわたしは、仲良しこよしとチーム(同志)というのを混線してしまっているようだ。整理してあげたい。