男は仕事に夢中になって行くもので、一旦家庭と云ふもの、女房と云ふものが確定すれば、あとは、仕事仕事と熱中する、夫はその妻に此の仕事を理解されて生き甲斐ひを感し、尚ほ、男としての誇りを持つものである、若し、自分の仕事を認めて貰えないと不幸になって終うのである。
此の、夫の仕事を認めてやらない、否、此の人は、何を仕様としてゐるか、これを判断理解してやれない妻は夫の生長の芽をつまんで終うのだ。
夫が自分らしく生きる為にアレコレ考へ、努力する根本を理解しない妻では、何人の子供を生んでも、只の女なのだ。決して”妻の座に居る」とは言へない。
仮に、夫が外で他の女にヨロメイたとする、その一時一時を過ごした女性が、その男の、俺は斯うしたい。俺の希望するやりたい仕事は。こんな事をしたい。例へば俺はこの研究がしたい、又は、あの様な絵を画きたい、然し、今は出来ない、と、出来ない乍ら、憧れ、努力して居るその希望を知って、「そうなさいませ、それは本当に立派なお仕事です」と勵まされたら、男性は、それを理解してくれる女性の許に走って終うのである、
