「通人」と言うのがある、これも知ってる、あれは斯うだ、これは斯くあるべき、ヤレ、何の彼のと、何でも知ってゐる、仕事の上なら良いだろうが、切角招待された宴席でも料理の講釋を初める、酒の味をウルサク説明する、芸者を遊ばせる席で(芸者を呼んで遊ぶと思ったら、間違ひなんだ)芸者とあそばせて、その気分に浸るのが芸者あそびなんだのに、芸者より俺の方が芸達者だと、褒められたがるウルサイコトウルサイコト。白が黒になってゐても良いさ、ハハー、黒になってゐるね、これも面白いねと、その雰囲気に同化して、そのまんまあそぶそして、ヘチヤな芸者には踊れ踊れと困まらせない。唄えない芸者には唄はせない、三味線を持てない妓には、ホラ、口三味線で長唄来い、清元もよし、小唄をやるか、それで結構遊ばせて帰す。
これが野暮の粋と云ふものだ。
これでないと芸者に、もてない。
人生もこれと同じで、斯ふでなければ、とか、これは斯ふいふもんだと、通になって、知ったか振りするインテリよりも、さあ呑め呑めと、賑やかに、あそんで、そして、粋に暮らすことである。
