友達の家の子供が生れました。友達はその子を抱いてゐます、フン、子供だなって、それはお前の親の親なんだぞ!!と思ったのが、私の二十七の頃、従妹の家で赤ん坊が生れました、丁度家内を連れて遊びに行ったら、お産婆さんが来て、別室で従妹が産むところ、暫く私達は別室のコタツに這入ってゐました。
オギヤアーと赤ん坊の聲、「ソラ生れた」私は飛び立って、その部屋に這入ろふとする、家内がびっくりして飛び付いて引き止める騒ぎです。あとで大笑ひ、此の時も妙に思ひました。子供が生れるなんて、それはミヨケル(孵化)する事ではないか、此の大きな家根の下で、代々生れたり死んだり、今、生れたと云ふが、待てよ、これは、生れたんではなくてミヨケタんだぞ、畳の間のゴミの中からノミが孵化するのと同じことだ、そのノミが、今、小学校六年生になってゐる。人間の親と子とは、實は、生命の自己保存の手段だったのです。
いろいろの蟲達も、動物も植物も「命」のあるものは、生き継ぎ生きる為に種子、卵、子と形は異っても、一つの紐の様に長い永い生命をつなく手段を持ってゐたのです。
その永い永い「生きる」間に、その生存の條件をいろいろ形づけて来ました、その境遇に適應する様に、その生態は特殊のものとなり、又、生きる手段を自然に得て来てゐるのです、蟻は蟻らしく、蜂は蜂らしく、
人間も幾百萬回となく、親子親子として変化を経る間に、人間としての特徴を持ち、それが黄色や黒や白にもなって来てゐる、
