いろいろの結婚から、隨分と異った幾種類もの性命がまじり合ひ、もつれ合ひ、丁度何本かの絲をより合せた紐の様に、甲と云ふ性命が祖父に現はれ、乙と云ふ性命が父に現はれ、丙と云ふ性命が子に現はれ、丁と云ふ性命が孫に現はれ、今度は乙、その次は成と現はれて来る、だから、学者の子が必ず学者とはきまってゐないし、愚か者の子が大学者にもなる。芸術家の子が医者になったり、軍人の子が坊主の眞似事が好きになるのです、
此の性命を完全に無視した時代があります、それは德川時代、士農工商の区別を完全に付けて終ひ、職業は世襲と云ふことにしました、斯ふしないと、德川幕府の存續が危いからで、その太鼓を叩いたのが御用学派の朱子学の連中、そして、人よりも家が大切になって来て、一應、世の中の秩序は出来たが人間性は完成に無視されて三百年、そして、昭和の今にまでその遺風が残ってゐて、「親に似ぬ子は鬼っ子」だとさ。
鬼っ子が当り前の事で、若し本当に親-子-孫が同じ性命で同じ生活を行ふものであったら、文化も文明もありはしない、私の存在も必要なく、蟻と同じになる。鬼っ子でなくて、若し本当に親も子も孫も同じ性命体のものが續くとしたら、隨分純血種のものなんでせう、その純血種は存續しては居ない筈なんですが話に依ると、當中で雅樂をやる多家一族はその雅樂を純潔に維持する為に、他族との結婚を禁じて居られると聞きましたから、其の一族の方は生れ乍ら雅樂の性命の持ち主達かも知れません。
親にも似ない性命、兄弟でも異ふ性命は、人間発生以来、生命としては一貫したものを持ち乍ら、性命は別な形で受け継れて来たものです、
