靈位では他人であって夫婦になっては不幸だ、靈位では仇敵の関係であり乍ら、肉体的には親子になってゐては悲惨である、此の様なものは、世の中に隨分多い友人の交際でも、商取引関係でも靈位に左右される事が非常に多い。これは、それを気付く事に依って予防や、関係を解消する事が出来るのではないか。


 だから、自分と相手との靈位の差をはっきり知って置く事が大切である、それは簡単である、「気が合ふ、合はない」の一言である、その時、慾得の心をはさんでは正鵠を得ない。この事は「宿命と云ふこと」で云った性命的共感なのである。


 夫婦としての靈位が合って結婚したなら、それは仕合せである、共通感念が何より強く、何年離れてゐても不安を感じない、又、夫婦とならなくとも、靈位の合った者同志は不安を感じない。が此の様なのは望ましいが仲々ない。何故なくなったのか?結婚に必要な性命的共感と云ふ靈位の働きを確かめることなく、慾得の心、因縁を尊重して結婚した事に依る。斯くて、殿様と下女、門番と王姫の組合せが出来て終ったのである。


 何故、斯ふなったのであるか、それは靈と云ふものを見失った過去の宗教家や学者に依るものである。そして、今更の様に因縁だ業だと云ふ。


 此の因縁業は後に性命と云ふところで述べるが、兎に角靈とは斯く恐ろしい働きをしてゐるものである事を知って慾しいのである、宗教家の云ふ生靈死靈」よりもっと痛切に毎日の生活を支配して居るのである、