靈を存在して働いてゐるのであるが何故「存在するかどうか」と云はれるのか、それは靈の現象の中にゐて、判らなくなって終って居ることないのである、丁度水の中にゐて水が呑みたい!!と探し求める様なものである。もふ少し理解して欲しい。


 たとへば現代の様に原子力学が發達して、原始潜水艦や髙度に發達した航空機がどんどん出来て来ると、人々はその機械の複雑さ、そして精密さ、そして精確さに驚嘆する、正しい製図正しい製作正しい理論正しい構成があれば動くものであるし、又、動くものとの観念を持ってその構造に信頼するが、その偉大な機械の理論の奥底に一つの無視出来ない一つの條件を忘れて居はしないだろふか、

 即ち、電気現象の素朴な一現象、プラス+マイナス−の少さな少さな理論である。

 この實に素朴の判り切った現象が行はれなかったら、その偉大な機械は活動しない。


 人々はその機械の組合せ、理論的な整然さに嘆声を上げはするが、小さな、原始的な一現象がなければならぬと云ふ事を忘れ勝ちなのである。


 人間の生活の中でも、忘れて終ってゐるのは、その靈の存在と活動なのである、

 此の靈の現象を無視して人間生活を行ふことは、それは丁度物理の基本理論を無視した航空機をたばせやうとするのと同じである。