これは丁度、電気と同じで、電気そのものの實体を見たものはない。

 これは電気だと示してもそれは電気の働きだけである。カミナリは電気の放電現象なのである、要するに、電流、電圧、抵抗の三角関係の現象が物理的に表現されたのであって、それは電気そのものではない。


 その現象だけがあって實体は把握出来ないもの、では實体がないから存在しないかと云ふにそうではない。電気がある、又、電気現象を起すべき條件がそろはなくては、その現象を現はさない。


 これは、電気の場合のみでなく、靈そのものも、電気と同じ様な條件で存在が認められるのである。


 それが非常に赫らかなときもあり、又微妙なときもあり、長時間の時もあり、一瞬間に光にぬ時もあり、又、人は依っての感じ方に強弱もある。


 現代科学万能の時、靈がある等喋ることは古るくさいことと批判されるであるふが、決してそうではない、人と人、人と物の関係には、唯物的には説明出来ぬ一つのものがある。それは人と人、或は人と物との靈の交流なのであって、これが、人の生活を大きく、休みなく支配して居るものであると云ふことを、良く理解して貰はねばならない。


 「だから私は靈は存在するともしないとも云はない」


と云ふのである。靈の作用は丁度電気の存在がなく、而して働きがあり、働きがある為には條件が必要なことも略んど同じなのだからである、皆さんは、電気は存在しない!!とは云はない。
 それは電気の働きを認めて知って居るからである。