遇成とは偶然出来る事である。


 春、部屋の中は暖い。梢が窓ガラスに写って面白い絵になっている。八九の人達が座敷の隅の方に坐をしめてぐるりと輪になって中央を拡げて粘土や洗面器や、ヘラやコテが台の上にある。皆が粘土細工に余念がない。陶器を作る会合だ。


 壺を作る人、茶碗を作る人、大きな丼形の花器に取り組んでいる人もある、こんな温い日には手の中の粘土は早く乾くものだ、急いで作り上げないと、粘土は抵抗し初める、粘土も生きている。


 歯科医の細君が肥えた躯を苦しそうに前かがみにして、花瓶らしい広口の壺を作って居る。


 面白い格構だ、コブコブのでこぼこで口が広すぎるのが、又、面白い。もう少し底部が張ったら安定感があるのにと思ってみる。いいじゃないか、其処に味がある、「そのままそのまま」と叫ぼうとすると、「チョット借してごらんなさい」と向ひ側の絵書きさんが手を出した。マドロスパイプを置いて引き寄せる。さっきから、俺と同じに眺めていたに相違ない。チョット底部を押し上げて、口を細くひねってみる、アチコチいぢって居るのだ。段々妙な形になるじやないか、さっきの今まであった如何にも土らしい無細工な素朴さが失はれて行く。やがて、「仲々むづかしいですね」と奥さんに返した。
 

 奥さんはそれをウヤウヤしく煩く様にして受け取って、さも感心した様に眺めてから、又、形を付け初めたが、やがて止めて終った。