私が初めて参禅したのは十九の夏 奥州の入口、白河の寺で 老師は鈴木真海師でありました。参禅して暫くすると独参と云って、老師と二人だけで禅問答をやる。

或る日、何気なく部屋に入るといきなり大聲で、「テメイは何だ‼︎」とやられました。
 

江戸っ子のベランメイの巻き舌調子です。

此の鈴木師は東京大英文科の出身であり乍ら、禅坊主なった人。昔の東京大英文科出身には気骨のある人が多かったのでせうか、後に懇篤な指導を与へて下さった西村大串老師も東大英文科出身だったのです。


此の方は、確か読売新聞の主筆をしたり、ジュネーブ会議に出席された人だったと思ひます。又、日本で唯一の本草学者で 支那の本草綱目と云ふ本を和訳された漢方医学の大家でもありました。

 

私がシンガポールから帰った三十三才の頃には 偶然私の越後の村松の家から一里程離れた白山と云ふ山の麓の 慈光寺と云ふ古るい禅修業の寺に 老の病躯を養って居られたのです。暫く、又、私の禅生活も初まり、重ねて、六波羅蜜の勉強もさせられ、漢方医学も教へられました。年老ひても昔と同じ巻舌でテメイと呼ばれました。今は亡き人として懐かしい思ひ。
 

さて、"テメイは何だ‼︎"と大喝されて、私も負けずに 寺の屋根も吹っ飛べとばかり大聲で「ヤマザキマサオだ‼︎」とやると、ニヤリとして、「化物メ、それの無いテメイは何だ‼︎」と来た。ぐっと詰まって終った。
 

それから。俺は何だが初まりました。