老師は私の父とも懇意だったし、私の生ひ立ちも性格も 百も承知でやった事です。
 

本当は斯ふ云ふ事なのです。

山崎正雄と云ふ殻をかぶって居るお前よ、その殻の無いお前の本姿を掴んでいるか、「汝、本来の面目如何‼︎」お前本然の姿を云ってみろ‼︎だったのに、大聲で大威張りで「俺はー」とやったんだもの バケモノではありませんか、
 

それまでは、内弁慶で、マッチャンは大威張りに気張って居たのです、母も兄貴達もマッチャンはマッチャンらしく威張るのに閉口したかも知れません。
 

それから三十年、今、禿頭の若月先生になって、ヤレヤレと落着いて尻をおろして考へますと、「俺は何だ‼︎」が随分永い間でした。性命と云ふ事に気付いたのは四十二、三の頃 盤渓禅師の「不生禅」を本で読んでハッと考へ付いたのです。

随分無駄な長道中をした様に思ふんです。

 

兎に角"殻"です。殻が厚かった様です。