性命と云ふのがあります。

それは其の人の持つ特徴なんです。特技とも云ひましょうか、それ程自覚しなくとも「俺はどうしても斯ふしたい」の根本のものです。それが殻に関係ない、自性なんです。本然のものです。「汝、本来の面目」なのです、

 

この本然のものを発揮しなくては、私も貴方も同じです。甲も乙も同じです。これ無くて生きて居るのであったら、私の価値もないし、貴方の価値もない。そして、只、生きる為に働くことになる。


"出世と成功"で申しました通り、この性命を発揮せねばなりません。自分の自分らしい本来の特徴を生かさねばなりません。
 

私は、私の生活環境の殻を自分から固くしているのでした。そして無意識的な苦しさが自分を駆って参禅させたのです。そして尚ほ俺は!と威張って、殻の上にまた宗教、禅と云ふ上塗りをするところでした。


"テメイは何だ"は「古るい殻を破っても 新らしい禅と云ふ殻をかぶるな」と云ふ親切心だったのです。今になって判りました。

 

「君は仏教を信仰なしで研究し給え、君の良いところはそれだ、信仰して終っては、その人なりの形を作って終ふ、君は飽くまで研究することを忘れるな」とは西村大串老の言葉でした、

 

お陰様で 禅寺生活が好きでい乍ら、坊主にならず終ひ、有難いことです。画家は絵を書く事に夢中です。生きるよろこびを感じて居ます、画を書く為に生命を尊び養って居ます。