達人と名人とは どの様に違ふと考へた事が有りますか、

達人とは物事に眞に練達した人なのです。鍛の三年、練の十年を経て、初めて達なのです。
 

名人とは、勿論鍛練を経るものでせふが、その鍛練を十三年も過ぎなくとも才能を発揮する人、天分のある人なのです。
 

達人は、何処ででもその特技を振るひます、酒興の席でも 画室でも達筆をふるひます。そして、確かに三年十年の経験 努力 精進の尊さを示します。
 

名人は 気が乗らないと出来ない、画きたくなるまで筆が持てない。作りたくなるまで作れない。インスピレーションと云ふか 気合が這入らないと云ふか、兎に角出来ない。グーッと躯中に、腕にも力がこもって来る様な、それが来ないと、無理に書いても、作っても、面白くない、不安だ、壊して終ひたくなる。
 

達人は、何処で何をしても立派です。名人は気が乗らぬと出来ない。ワガママっ子みたいです、然し達人の繪が立派なら、名人の画は生きて居ます。
 

達人の画は上手に描かれて、美しく一点の非難も許るされません。名人の画は下手くそで雑の様ですが 言葉を持って居ます。見る者に話しかける様な力が、大きさがあります。
 

達人の画は誰でもほめます。名人の画は名人でなければ判りません。
百点の人は百点の人でなければ判りません。五十点の人に百点の人の価値は判りません。お釈迦様にならなければお釈迦さまの言葉の深い意が判らず、孔子の様にならなければ 孔子様の本当の言葉が判らず、貴方でなければ貴方の立場が判らない。
 

その偉い人の言葉を、偉くない人が勝手に使ひ廻して、勝手に解釈付けて、「偉い人が斯ふ云ふんだぞ‼︎」になってはもふ処置なし。
 

勿論 達人から名人になるのですが、本来名人たるべき人は鍛練が非常に短いのです。