或るお嬢さんが来ました。十年もお勤めして、今更に張り合ひが無くなったと云ふのです。
「貴女は何が出来ますか」何も出来ません。
「お茶やお花は出来ませんか」何も出来ません。
「変だな、何も出来ないとは、何もしなかったんですね」
「そうなんです」私も匙を投げた‼︎
 

何故十年も無駄をしたのですか、十年間の空費だ、犬だって猫だって、十年位いはひろひ食いしても生きています。貴女は只生きて来ただけなのですか、その間何でもおけい古する時間は無かったんですか、ぼんやり暮して終ったのだ、どんなに忙しくとも一日の中、一時間や二時間、会社から帰ってからでも自分の時間として、勉強したり、修業する事は出来る筈、十年間通じて全部でなくとも、せめて二年や 三年間毎日一時間程度でも「私のものにする時間」を持って居たなら、一年で三百六十時間 三年で一千時間、四十幾日 随分大きな時間ではありませんか、
 

さあ、今、四十日間 ブッ通しで勉強しやふと思ても 食べる時間 さあオシッコ さあネンネの時間で、何も出来やしない。
 

で、毎日の一時間 二時間が大切なのです、貴重なのです。

又、此の一時間二時間に本当の「よろこび」を感じ、毎日の生活に張り合ひを感ずれば その一時間二時間を得る為に、生きる為に会社で働くことも意義ある事になる。それが無いと、何の為に働いているか、只、ぼんやり生きる為に働いていた、と云ふ事になりませう。