宮本武蔵の五輪の書と云ふ兵法の事を書いた本の中に「拍子」と云ふ一節があります。
歌でも 踊りでも、謡曲でも、拍子と云ふものがあって、これが判らないと踊れない、歌へないものだと云ってあります。


拍子とはリヅムなのです。
 

その歌独特のリヅム、踊独特のリヅムがあります、剣道にも間合ヒと云ふものがあつて、それが判らなけれは戦へない、勝てない、その相手のリヅムを破れば勝ちは当方のものです。
 

有名な踊の俳優が舞台に出る前に、少し仲違ひの三味線のお師匠さんの処に行って、今日は此の様に踊りたいからと申しますと、いやだ それならいいよ俺は俺の思ふ様に踊るから、勝手にしろ、売り言葉に買ひ言葉、さて舞台に立って、チチンチンと三味線にやられると、フワアツとその調子に乗せられて終って、あんなに意気張って力んで居たのにどうし様もなかったと
 

これは名人同士の話。
 

戦争するにも、先づ開戦に先だって知らねばならぬことは、相手の大将は誰だと云ふ事です。大将の戦ひぐせや、気分がその軍勢の気分になります。相手が怒りっぽい大将か、慎重な大将かで当方の作戦を考へねばなりません。ですから、相手国はどんな大将を立てて仕掛けて来るか、先づスパイを放って探ぐる必要があります。
 

世事の交渉でもこれと同じで、相手の人柄や性格や、嗜好まで知って交渉するじゃありませんか、大切なのは相手の拍子、リヅムなのです。