自分の鼻で呼吸をしませう。
 

躯が小さいからって、大人が子供のキップで電車に乗れない。

新潟駅の馬鹿な改札掛りが 孫に買ってやつた三尺程の子供スキーを抱へたオババに、スキー持込禁止の立札を示して怒鳴って居たのを見た事がある。
 

こんなきうくつな、変な世の中で、空気だけは自由だ、神楽鼻で大きく呼吸したつて、ダンゴ鼻でピクピク呼吸したつて、つつましやかにお嬢さんが息をしたつて、まだ余りがあるよとも云はれないし、お前は大きな鼻だから、税金をタント出せとも云はれない。
 

俺は俺の鼻で"いき"をするんだ、貴方もそうすれ。
 

俺は俺の鼻で とは禅の極致なのだ。
 

道元禅師が宋の国に十三年留学して、帰つて来て、博田の港に上陸した時、俺は一巻の経巻も持つて来なかつたよ。眼横鼻直と我知れり矣 と、云つたと本で讀んで 俺はハハアー 俺は俺の鼻で 呼吸するだけだなと、考へ付いた。
 

人に相談に行く。鼻を持つて行つて預ける様なもんだ。

鼻を持つて引きずり回されに行く様なものさ、相談に乗つてもらつて、鼻を預けて終つたら、もふ、左も向けぬ、右にも行けない、遂には いき苦しくなつて終ふ。
 

又、相談に行つて、よしよし判つた、が本当に判つてくれたかどうか、中国の留学生が 四万温泉の旅館で落書きした言葉が良い、「理解?それは甚しい誤解である‼︎」とね。
 

「理解」してくれても、それはその相手の人の一方的判断なのだ、親だつて子供の考へが理解出来ない時もあるんだし、娘の気持が判らないと、生んだ母が嘆いて相談に来る、

それが他人が「理解」した。妙だぞ、まして相談に行く方の頭の中がモヤモヤなんで、解決方法が判らないんだから、その相談に乗る方も 危いものだ。
 

アチコチと相談の鼻を持ち回つている中に、待つてましたと、鼻の穴にネジリ棒を突っ込まれて、牛の様に朝から晩まで 田圃の中を歩き回はらされる。

鼻は急所、急所を突ん出して相談に行くんだから危い危い。